『ノースライト』前編『消えた家族』

横山秀夫の原作は未読。

大森寿美男はもっとも信頼できる脚本家の一人である。今回のドラマ化にあたり、横山から出された条件の一つが今まで通り脚色を大森が担当することだったという(『TV navi』1月号)。この二人がタッグを組んだ土曜ドラマクライマーズ・ハイ』、『64(ロクヨン)』はともに極私的年内ベスト5入りの傑作だったので、横山氏の認識を知って我が意を得たりと顔がほころぶ。

 

森の中を走る車にノスタルジックなBGMがかぶさる。このシーンを見ただけで、また一つ傑作が始まりつつあると感じた。音楽担当の稲本響は傑作『眩~北斎の娘~』で印象的な曲を書いた人だ。

 

建築士・青瀬は自分のカラーを生かした仕事をさせてもらったが、そのY邸を訪問すると、家はもぬけの殻だった。

吉野一家の捜索がメインになるかと思いきや、青瀬の半生の回顧やら、友人で所長の岡嶋が抱えた危ない事情やら、元妻ゆかりの思いやら、いろいろ錯綜する複雑な話だった。岡嶋の妻が、腹に一物あるんだか夫にも言えない悩みを抱えているんだか、あきらかに不穏な雰囲気を漂わせている。演じるのは田中麗奈だが、くれぐれもヒステリー一本やりの芝居にならないでほしい。

 

青瀬はダム作りをなりわいとする父親について、転校を繰り返す子供時代を送った。もともと内気な性格もわざわいして学校では友達ができない。あんな繊細な質では、まず飯場の大人たちや子供たちにばかにされたりけっこう嫌な目に遭うのでは? だが青瀬の父は立派である。ダム作りの仕事について息子に説明してやるし、自信を持て、寂しがることはない、と勇気づけてやる。”父性”は今作のテーマの一つかもしれない。

冒頭からしばらく、誰も主人公の苗字を発音しない。放映時間の半分近くなったところで、おとなしい少年に「あおせみのる」と言わせる演出にぐっとくる。

 

新聞記者出身の作家は少なくないが、『ロクヨン』といい『ノースライト』といい、横山ほど新聞記者の悪意や無礼や浅ましさを赤裸々に描く人は珍しい。

横山はドラマ化の条件として、Y邸を実際に立てることも挙げたという(前掲誌)。建築素人の自分には、どうしてそこまでしたいのかはわからない。小さな子もいる家族が住むには、階段の手すりが安全ではないように見えた。お気に入りの作家が北側にだけ窓がある家に住んでいたのだが、ほんとうにノースライトという手法があるとは知らなかった。北窓で信濃の風景を愛でるのもいいけれど、暖房費がばかにならないのではないか。夏の暑さが問題になる日本南部でこそ広めるべき手法に思える。

 

来週すべての謎が明かされる(はず)。友人家族の人間模様の変化もさることながら、タウトの椅子の来歴に興味が引かれる。

西島秀俊WOWOWで蛇の人をやったかと思えば、今作では「鳥みたい」と言われる。時として心ここにあらず、みたいなムードが漂う俳優なので、どちらもはまっている。後編で、鳥から人に進化するのだろうか。「やっと人の気持ちがわかるようになった」みたいなありがちな結末ではちと物足りない。

エンドロールを眺めていて、昨日の『新十郎探偵帖』につづいて笠浦友愛の演出だったことに気づいた。今後ますますNHKの仕事が増えると期待する。

12/15付記:Y邸の北窓から見える雄大な山景は本物とのこと。それを聞くとそれはすごい、なかなか贅沢、と思うとともに、嘘を本当らしく見せるのがエンタメなのに「これは本物」、「これも吹き替えなし」に過剰に価値が置かれることに違和感を覚える。