『ノースライト』後編『夢みた家』

空を渡る鳥、緑滴る丘陵、不吉な夕焼け、暖色系を効かせた場面、寒色系を効かせた場面。がらんとした家に置かれたタウトの椅子。

厳しい表情で椅子の設計図を描く巨匠と、真剣なまなざしでそれを見つめる少年。一人で考え込む青瀬、友や家族と語り合う青瀬、夜の室内で半分影になった青瀬の姿。

数々の絵と、伴走する稲本響の音楽の組み合わせが、映画を見たあとのようにいつまでも後を引く。今年の忘れがたいドラマの一つとなった。

 

「この野郎、現場の写真を撮りに来たのか!?」

海外ドラマならここで主人公が一発記者を殴るとこなんだがなぁ(毒)

「思い上がるな。お前の記事で死んだんじゃない。あんな記事ぐらいで岡嶋が死ぬかよ。これは事故だ。ちゃんと調べて本当のことを書け。書け!」

友への信頼にもとづいたいい台詞。現実には、今の病院は患者の転落阻止のため万全を期しているはずだが。

 

托卵しちゃった八栄子を憎まず罵らず、彼女の罪悪感を少しは軽くさせる真実を告げる。

父の死の原因を作った人物を憎まず、吉野兄妹に「あれは事故だったと思う」と言う。

青瀬っていいやつだな。

 

斎場そばの公園(?)の滴るような緑と、元夫婦の喪服の黒の対比が眼福。

「あれが俺の本当に建てたかった家なんだ」

西島秀俊はつねに表情演技がうまいという役者ではないが、この台詞を語るシーンでは、幸福感と感謝がにじみ出るいい表情を見せていた。近くにあるものを見るシーンでも、もっと遠くにあるものを見ているような深みのあるまなざしが印象に残る。

 

青瀬の娘の「パパのせいじゃないよ」はただの気休めなんかではない。娘がこう言ってくれた事実が青瀬を癒すのだ。

Y邸を訪れる父娘に続いて、軒下にできた巣にいる鳥の親子が映る。よけいな説明なし。視聴者の目を信頼したカットが多い。

 

タウトの芸術がなぞ解きの重きをなす物語だったが、架空の画家、藤宮春子の存在も大きかった。「埋めること 足りないものを埋めること 埋めても埋めても足りないものを ただひたすら埋めること」 。こんな創作の姿勢を想像するだけでも身が引き締まる思いがする。

 

人は死んでも作品は残る。父親がその背中で、手製の作品で、次世代に大切なバトンを渡す。

死んだ父も友も帰ってくるわけではないので、万々歳のハッピーエンドとはいかず、希望とともにほのかな寂寥感も漂う。それでもエンドロールを見ながら、人生捨てたものでもない、とつぶやきたくなる。繁田が岡嶋の死因について本当のことを記事にしたのも、予想外のよいエピソード。おっかない取り立て屋のような男は、たんに妹を心配するだけの、他意はない男だった。悪人が一人も出てこないミステリだった。

 

これからも笠浦友愛や稲本響が関わるドラマができたら、要チェックである。

制作が訓覇圭というだけでも、最初から信用できる気がしていた。

そして大森寿美男の脚色。主要登場人物はおおむね寡黙で、要所要所でハッとさせられる言葉を述べる。設計事務所の若手同士の口論だけは(ドラマにメリハリをつけるためではあろうが)耳障りであった。

朝ドラ『なつぞら』はつまらなくはないけれど、なんで大河じゃなくて朝ドラを書くのか? というもやもやはずっとぬぐえなかった。昨年は朝ドラを書いたし、今年は土曜ドラマを(ほぼ)立て続けに二本披露したことだし、そろそろ大河再登板のニュースを聞きたいものだ。