『漱石悶々』

二、三の点でひじょうに苦手な脚本家。しかし、めったにクローズアップされない磯田多佳が出てきて、しかも演出が源孝志。後者の磁力が勝ったので視聴した。ちょいと高級な酒を使った菓子を味わうような一時間半であった。

京の旅館、お茶屋、大丸別荘、伏見稲荷、博物館といった名所の数々。
蒸気機関車の蒸気、霧雨のなかを歩く男二人。
ヒロインがこんなに羽織をとっかえひっかえしてくれるドラマは珍しい。小豆色の半襟もあまり見たことがないタイプだった。
水に浮かんで流れていく赤い椿の花や、白い花びら。
源孝志らしい映像美を堪能したが、なかでも大友の店先に提灯が灯る場面と、二間つづきの和室の襖を開け放って男女が夕餉を囲む場面が忘れがたい。オレンジがかったほの明るい画面作りでは、ドラマ演出家のなかでこの人が筆頭では?
せっかく京都見物をする機会なのに、名所旧跡に「なぜだなぜだなぜ他の男と」のモノローグを重ねる趣向が愉快。妄想場面と現実場面の切り替えも、ほど良い塩梅。

事前にあれこれ調べなかったおかげで、『真田丸』で直江兼続を絶賛好演中の村上新悟が拝めたのはサプライズである。
「ほー、せんせ、おいでになるのんか」
「是非行くとまでは決心していませんが」
「決めてはらへんのんか」
「だいぶ心は動いています」
「どっちや」
清風が読み上げる漱石の手紙に相槌を打つ粋人。いい声でとぼけたユーラスな台詞を聞かせてもらってありがたし。

尾上紫の登場も当方にとっては大サービス。和事の名手なのに、時代劇ではいつも役が小さめでもったいないと感じてきた。今回は三味線の弾き唄いで本領発揮! 正直なところ、宮沢りえの踊りをどう思われたのだろう? 

豊川悦司漱石をやるには少々色気過多な気もするが、まあこれは『漱石の妻』ではないからいいか。多佳がからむとやたら嫉妬深く、小さい男なのに小さい男と思われたくなくて背伸びして加賀正太郎を呼ばせるくだりが愉快だった。

襖越しに妄想しているという妄想場面。
「春の川を 隔てて 男女哉」
おそらく源孝志が演出担当したであろう回の『新日本風土記』で知った歌だ。初めて聞いた時は、こんなふうにドラマ化されるとは夢にも思わなかった。

多佳の選曲について「あからさま」だからとdisる台詞あり。それは本来の脚本家の作風と矛盾している。
いつもの藤本脚本だと主人公に過剰なヒステリーを起こさせたりするところ、史実の漱石が女々しく長たらしい手紙を書いたのをそのまま流すだけで、十分彼女らしいテイストの話に持って行けたので、事なきを得た印象だ。

東京の漱石邸。黒猫がいい仕事をしている!

多佳が、素人女みたいに恋にのぼせてはいけない、とおのれに言い聞かせる場面が実に大人のドラマである。
『風流ぬす人』って粋なタイトルだなぁ。

「あんたは紫陽花でも虞美人草でもあらへん……京都でしか咲かれへん、特別な花や」
「さすが野暮な言葉尽くさんでもわからはった」
橘仙はん、一度も目が笑わない怖い男はんやなぁと思っていたが、京女の本質も漱石の胸の内もお見通しのあたり、別の意味でも怖いお人やった。

最大の功労者は、ライティングにこだわった源孝志Dであるが、ピアノやオーボエを効果的に使って非日常感やサスペンスを助長した阿部海太郎の功績も大である。