『百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~』

のっけからなんだが、「小野寺夫婦」って……「小野寺夫妻」ではあかんのか?

ここ数年、NHKのプロデューサーとしては一番高品質な作品を連発している訓覇圭が制作統括、2008年に傑作『あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機』(TBS)を書いた池端俊策が脚本、音楽が千住明、原案が岡部伸の著作ということで、BSじゃなくて地上波だからと少々腰が引けながらも、ある程度期待していた。柳川強Dの名前ははじめて認識した。過去作で骨太と感じたのは『鉄の骨』のみ。
原案は『消えたヤルタ密約緊急電』であって自分が読んだ『「諜報の神様」と呼ばれた男』ではないからと言われればそれまでなのだが、戦時中の描き方は予想よりドメスティックな比重が高く、戦後の場面では期待した『ムーミン』の翻訳場面がまるでなく、なんだかアンバランスな印象を受けた。終盤の座談会は、強権的なリーダーが出にくい代わり責任のありかが曖昧な日本型集団の風刺画として痛烈。

外地から日本の状況を俯瞰した夫妻を描きたいにしても、あそこまでロングの俯瞰ショットを多用するとはずいぶん思い切った演出というか、安易な感情移入を拒みたいということか。それにしては、絵本を送る送らないの場面で、個人的に苦手な「女目線の戦争ドラマ」臭がきつかった。

タイトルに「百合子さん」が入っているだけに、夫人の暗号文作成シーンに時間を割いたのは、この手の映像作品では貴重なアプローチかもしれない。しかし小野寺信氏と海外工作員との虚々実々の駆け引きが、あまりに描かれなくてがっかりした。せっかくリビコフスキー(偽名イワノフ)を出すのなら、ベンチの殺人事件よりほかに踏み込んだ諜報活動を描けそうなものだ。

ヤルタ密約の顛末について、登場人物も視聴者も怒りの矛先が大国ではなく日本軍部に"だけ"向くような作りが実に日本的。
終戦工作が小野寺夫妻が望むようにできなかったのは返す返すも残念なことで、あと1、2か月早い終戦の可能性はあったはずだ。いっぽう、「開戦は不可なり」の件は……『あの戦争は』を書いた池端氏だから、当時の状況ではそれは通らないことはわかっていたはずだが。

ストックホルムでロケというと、国内ロケにくらべてどれくらいコストがかかるのだろう? いつも以上に猛暑の今夏、北欧の美しい街並みは眼福であった。
今作や映画『杉原千畝』のように、直接的な戦争の場面を出さずに二次大戦を描く試みは、これから増えていくのだろうか。日本だけでなく中露米英の動きを公平に描く作品――予算からいって実写は無理だからアニメで、思想的にあれこれいちゃもんをつけられにくそうな深夜枠で――を、才能ある作家たちの誰かが作ってくれないものか。
ベートーベンの第九が何度も流れる。「盗聴を防ぐための手段」だったものが、終盤はコンサートで楽しむための楽曲に変わる。という音楽の使い方の妙については、ツイッターを読んで初めて気づかされた。

コータローには食傷気味である。他にもああいう役柄を演じられる俳優はいるだろうに。思いがけず千葉哲也の尊顔を拝めたのは幸い。土曜ドラマなどで準主役くらい大きな役をやってほしい。

下半期の楽しみはもうないのか……と思っていたら、9月24日に池端脚本の『夏目漱石の妻』放送開始とな! 悪い意味のNHK臭がない良作になりますように。音楽は『55歳からのハローライフ』がすばらしかった清水靖晃。小粋な作りになるのか、あるいは格調高めに行くのか? 芸術志向、エンタメ志向、両方向で精力的に仕事をしている長谷川博己漱石というのも、尾野真千子が妻というのも納得のキャスティング