蛍光灯の連ドラ初回感想

『残念な夫。』
ぬっくんの呑気なナレーションに乗った『奥さまは魔女』のような軽快な出だしはよかったが、途中から「やっぱり」と萎えてしまった。こういう話は深刻さよりユーモアを前面に出さないと幅広い層に受け入れられないと思う。
過去のかたよったドラマ視聴経験からすると、最終回の前の回くらいで陽一が涙ながらに自己批判&「オレ、生まれ変わります」宣言かなんかして、最終回で完璧なロボット夫、または妙にかっこよく頼もしい夫に化けるパターンが想像される。そこにいたるまでは、作り手は亭主族をsageまくり……「陽一バカすぎ。でも、聞いてよ奥様! 宅の主人はもっとひどくて」と盛り上がる視聴者は確実に一定数いるだろう。だが知里と性別、子供の人数、身長体重云々が同じなら誰でもドラマに共感するとはかぎらず、「フィクションの主人公はもうすこしかっこいいほうがいい」とばかりに多くの人々が裏の東山閣下に流れていく可能性大である。

スタッフが乳幼児を抱えた女性の溜飲を下げさせることばかり考えて、これから子供を持つかどうか迷っている人たちをビビらせたら(このドラマとタイアップしている)東京都の税収アップにつながらないではないか。納税者を産んだ女性を讃えるだけでなく、すこしは現に税金払ってるお父さんたちや独身男女にも優しくしてあげれ。

知里はモンスター化した設定だそうだが、倉科カナは現実にありがちな「ふてぶてしさ」を出さず、かわいらしく演じている。日舞の稽古に熱心だとかで、時代劇でその成果を見せてほしいものだ。
主役はもう三十代半ばでバラエティ芸人でもないのに、白目向いたり百面相やったりするのはどうなのか?? しかし、目利きの方々が「玉木宏はふりきったコメディがうまい」と褒めておられて、自分の鑑識眼があやうく感じられる今日この頃。正直、彼はカナちゃんから向上心のかけらでももらわなかったら、このキャストで仕事をした意義がないと思うばかりである。事前にPRされた「博識で温厚」設定がなかったことにされたようなのも落胆の一因だ。


というわけで、今季は平均年に2クールの"連ドラ全滅期"に当たるかと思っていたら
『デート~恋とはどんなものかしら~』
がおもしろかった。古沢良太の脚本を杏と武内Dがぶち壊しにするんじゃないかと危惧していたが、BGMから演出のテンポからすべて噛み合って、にやにや、げらげら笑える一時間強だった。古沢なら、凡庸な恋愛礼賛に陥らずに最終回まで持っていけると期待する。

男が文学好き、女が理数脳でよかったのだとは思うけれど、男女そろって理系だったり文系だったりで、さらにオタク化したドラマも見てみたい(BSで)。
デート当日を冒頭に持ってきて、そこにいたるまでの日々がシニカルにユーモラスに描かれる。
平成のこのご時世、高等遊民を演じて長谷川博己以上にはまる男優を思いつけない。二回目以降、どんな文学者の言葉を引用するのか興味津々だ。依子が公務員と知って「次に寄生できる相手を見つけた」と言わせる古沢の意地の悪さよ! 多くの女性の「結婚相手は公務員がいいわぁ」ってのは、実はこういうことだ。そのうちに「みんなぼくをクズ呼ばわりするけど、女性が同じことやったら責めないくせにぃ!」くらい言わせるのかなー。
女優としてあまりよい印象のなかった杏だが、今回はぐっと株が上がった。長台詞ごくろうさま、次回も楽しみにしています。数字と法則の世界だけに生きているようでいて、根は親孝行で優しい依子がはまっていた。仏壇の前で自分を心配する父を見た後、模造紙(?)に数式を書きまくるシーンでの、傷つきやすい小学生のようなまなざしも印象的に残る。巧の生年月日にときめいた理由が「素数だから」ってのは、想像ついちゃったぞい。古沢先生、もっと先端を行くネタをよろしく。
近年、虚飾にまみれた小金持ちや名流夫人の役が多かった国仲涼子だが、きっぷのいいガテン系のお姐さんは見ていて楽しい。

常識人というか、ベタな恋愛ドラマの価値観に縛られた鷲尾をお邪魔虫として配置したのが愉快。毎週、鷲尾が依子と巧からやり込められる場面も見どころになるはずだが、どれだけバリエーションを出せることやら。

フジは『ヨルタモリ』だけやってればよいと思っていたが、三谷と古沢のおかげで「ただで」おもしろいドラマを拝めることには感謝せねばならない。