『情景の殺人者』
森博嗣のXXシリーズ最新作に、また「ナオミ」が登場した。ディープな森ファンのあいだでも「いったい誰?」とささやかれている、というかつぶやかれているようだが……『黒猫の三角』などに出てきた早川奈緒美のことではないのか。香具山紫子より四学年上の茶道部員だ。四年違いなので学生としては紫子と完全にすれちがいだが、毎年二回は茶会で会っている設定だった。『黒猫』以外のVシリーズにどのような形で出てきたか、記憶にない。まあ、こういう小ネタ遊びが森ワールドのおもしろいところだ。
『情景』も『オメガ城の惨劇』も犯人像や犯行動機はわりとよくあるミステリ寄りというか、森の癖がいつもより弱いという点では「意外な」ミステリと感じた。小川令子は元優秀な社長秘書で、加部谷恵美は名門大学の建築学部卒だが、犀川や西之園のような常人離れした知性の持ち主ではなく、それなりに知的な思考で地道に謎解きに取り組んでいく。小川は過去の悲しみがときに顔を出し、加部谷は詐欺に遭った痛手から完全には立ち直っていないが、それでも前に進もうとする姿の描き方に温かさがある。加部谷が雨宮純からけっこうなサポートを得る展開は、一種の女性のエンパワメント小説とも言える。名古屋弁のギャグの応酬は、Vシリーズのときと比べてうるさくなくて助かった。
小川と加部谷の過去など知らず、今作が初めての森ミステリだった読者に対しても差しさわりのないストーリーである。森作品としてはかなりとっつきやすい部類だろう。とは言え、作中言及される複数の殺人事件がすべてすっきり片づくわけでないところは、ありきたりのミステリとはひと味違うかもしれない。
刑事が警察のありかたに疑問を呈したり、女性同士が会話しながら「それって思い込みでは?」と気づいたり、マスコミ発表の裏側が描かれたり……凝り固まった頭をほぐしたい向きに受けるエピソードは健在である。
三郷元次郎の今後が気になる。
鈴木成一デザイン室によるカバーは、『馬鹿と嘘の弓』と『歌の終わりは海』ではブルーのグラデーションで楽しませてくれたが、『情景』は薄いグレーの情景に上半身が赤いドレスの女性がたたずむ。書店ではぜひ表紙を見せて陳列していただきたい。
『武士とその妻』
池波正太郎の原作は未読。
時代劇ファンとしては嬉しい丁寧な造りだった。粋やピカレスクな魅力で惹きつけることが多い池波作品だが、今作はどちらかというと山本周五郎的な味わいがあった。
武家の次男に生まれたがゆえ、役立たずの誹りを受け“へそ者”として生きてきた小五郎が、婿養子に入り望み通りの妻を得るも、武士の意地を通し、世の不正をただすため、おのれに過酷な選択を課す。
脚本はおなじみの金子成人、音楽は遠藤浩二、となかなかの顔ぶれ。服部大二Dは『殺すな』の人だったか。松竹が協力しているので、絵に品格がある。チャンバラシーンだけはもうちょい力が欲しかった。中村健人の責任というより、役者のみなさんの鍛錬の問題と感じた。
古き良き日本人を演じられる若手として、工藤阿須加は期待大。小五郎の誠実さや意志の強さの表現にはまったく無理がない。
渡辺大は親父殿の若いころより巧いと思う。
作品を懐の深いものにしているのは、なんといっても和尚を演じた火野正平の力であろう。若いころは想像もしなかった、味のある役者になった。
『鎌倉殿の13人』第9回『決戦前夜』
毎週のように出入りの場面があって楽しい。「ではいり」ではなく「(ヤクザの)でいり」。
現代劇作家としての三谷幸喜、それも一部の舞台やドラマの書き手としての彼はわりと好きだが、時代劇作家としては今までどうも肌に合わなかった。『新選組』はまったくおもしろいと思えず、『真田丸』は、いわゆる大物回りの物語は見ごたえがあったものの、ギャグが滑っているように感じたのと、主人公に魅力がないのとで、完全にはノレなかった。
今年の大河はOPに古式ゆかしい味わいがあり、話の組み立て方にも無理がなく、野外撮影の青や茶の濃さに力が感じられる。
驕る平家を義憤にかられた源氏が討つ!なんていうきれいごとではなく、どの豪族も「今、どちら側につけば生き残れるか」嗅覚を働かせながら動いていたことが、ありありと伝わってくる。なかには、損得よりも坂東武者としての誇りを優先する伊東のじっさまのような男もおり、その筋の通し方は敗れるがゆえに美しい。
三谷流のおふざけはいつもとそう違わないのかもしれないが、時代劇の格を壊さない範囲のユーモアに留めてくれるのがありがたい。元漁師の女房との逢引を優先して本妻との再会を伸ばそうとする頼朝に向かって、全成が「その日では、親子の縁が薄くなり、主は不慮の日を遂げる」といさめる。軽めのトーンの芝居に仕立てていたが、いかにこの不吉な予言が正しかったかを、これから数ヶ月にわたって視聴者に見せつけるわけである。あとから回想シーンで流されるのだろうか。他にも、あとから考えれば重い意味があったという場面がすでにあるのかしらん、たとえば実衣の憎まれ口とか?
坂東の勢力図をまめに図解してくれるのと、各有力武士をしっかりキャラ立ちさせているのとで、こちらは混乱することなくパワーゲームを楽しめる。来週あたりから、朝廷も巻き込んで争いがいっそうスケールアップしそうでワクワクする。
『草燃える』で石坂浩二が演じた頼朝は、完璧なイケメンにして頭脳抜群の将軍だったが、同時に蛇みたいな嫌な奴でもあった。今年の大泉洋はもっと多面的でおもしろみのある人物像を造形している。政子を演じる小池栄子は今のところ終始目を見開きすぎな感じだが、肩の力を入れ過ぎずに尼将軍を見せてもらいたい。
こんなにしょっぱなから「早くくたばってほしい」と思わせる義経もめずらしい。義経であれなら、頼家なんてどんなになっちゃうんだか……。
山本耕史演じる三浦義村がなんかかっこよすぎる件。『草燃える』では、まだ「、(点)」とか「。(まる)」とかつく前の藤岡弘が演じていた。後半の重要な抗争を前にして、「大局を見ねばな」と言った時のぞくぞくするような冷徹さが忘れがたい。たいへんな切れ者見えたものだ。
千葉常胤は、岡本信人史上もっとも賢そうなキャラ。「それはちょっと止しておこう」がかっこよかった。
小栗旬は、身勝手な大人たちに翻弄されつつ成長していく若き官僚を、あぶなげなく好演。おそらくは「やむなく」実父や義弟を放逐し、甥をナニするにいたる展開を、中年義時として渋く演じてくれそうだ。ガッキー以上にかわいいと評判の時政! 歌舞伎役者の余裕がにじみ出た芝居がさすがである。八重は浅はかなんだか腹黒いんだか、正直もそっと出番を減らしてもらいたい。
義村の機転で「武衛」呼びが始まるシーン。あんな笑い交じりの宴会になるとは予想外だった。「武衛」は『草燃える』の時政がさんざんやっていたけれど、あれのオマージュも兼ねているのだろうか。
くだけた口調の会話中も、官職呼びを優先するところも『草』と同じ。近ごろはうるさい歴オタが多いので、スタッフが気を遣っているのもあるのかな。
新春ドラマ
『幕末相棒伝』
なんで微妙にカメラを揺らすのか? 野外をわざと白茶けたような色調で写すのか? 退屈しないストーリー展開だけど主人公がうるさい……くらいの感想しかなかったが、最後に堀切園健太郎Dと知って納得。あの演出家にしてはドラマ部分でさほど惹かれず。
『必殺仕事人』
年に一度のお楽しみ。わざわざゲイネタを出すのはマスメディアが流行らせたくてしょうがないSDGsに乗っかるため? 教会と政府が厳しく同性愛者を弾圧していた一神教文化圏と違い、日本では陰間茶屋なんてのもあったほどなのだが……。前半で大きな事件がかたづいてしまい、いったい後半どうするのか? といぶかしんでいたら、今のSNS炎上を思わせるストーリー展開だった。腐敗した権力者なんかより、たいした悪意もなく暴走する「庶民」のほうがよほど怖い。仕事人が成敗しても後味悪そうな。それでも最後の最後はお正月ドラマらしく締めくくっていた。
民放の連ドラを2本視聴、というか録画して試聴。
『ミステリと言う勿れ』
ポリコレアフロがうざいので心置きなくリタイアできた。いまどき欧米の男が甘いと信じてるのはかなりの情弱ではないかと思われるが、そういう人々をターゲットとする番組なのだろうか。あちゃらの金持ち白人男は、女房の容姿が劣化したらかんたんに捨てるゾ。しかも働かない妻のわがままにはオーベー男子より日本男子(正確には日本人サラリーマン)のほうがはるかに寛大である。
エンケンたちが中南米の警官みたいにゆるく働くようになったら、まっさきに被害を受けるのはそれこそ弱者なのだが、アフロ君には目先の正義のほうが大切なのだろうな。
池本の「こいつめんどくさいな」と「久野、お前もいつかおじさんになる」という二つの台詞だけ気に入った。
『DCU』
アクションドラマとして少しだけ期待した。水中アクションはがんばっている方だろうが、日9のノリが肌に合わず脱落。BGMも台詞も全部説明してくれるので、スマホをいじりながら流し見するにはお手頃なドラマである。『ドラゴン桜』のこじつけ陰謀論に比べればまだ無理がないとはいえ、巨悪の描き方があいかわらず。昔々、水力発電がベース電源として最重要だったころは、エンタメのみならず学校の教科書までダム悪玉論を唱えていてうんざりしたものだが、今またやるとは! 本当に荒くれ物の鯨捕りにしか見えないキャストをそろえた『北氷洋』(BBC)と比べちゃいけないが、アメリカのネイビーシールズと一緒に訓練したなんて設定は……ロサンゼルスとモントリオールの試写会参加者は苦笑したかしらん。ハリウッドでも活躍する海外プロダクションが、TBS側からどんなプレゼンを受けたのか想像がつかない。岡崎体育というとオタクみたいな役しかやらないイメージだったので、潜水夫として出てきてびっくり。高橋光臣が時代劇以外で大きな役を貰えたのはよかった。視聴打ち切りだが西野の健闘を祈る。
今年の連続ドラマ
『俺の家の話』
最終回を見た今となっては、初回から見直したら重みと湿度を感じそうだ。長瀬智也の引退作品がクドカンでよかった。
『ハコヅメ~たたかう! 交番女子~』
原作はある程度既読。家族につきあうのでなかったら絶対見ないタイプのドラマ。原作のエグさは薄めても勘所は抑えており、良心的でかつテンポ良いドラマ化作品だったと思う。戸田恵梨香は好みの女優ではないが、頼りがいのあるベテラン警官ぶりに説得力を感じた。そういえば、『俺の家』でもちゃんとやってたなぁ。
『和田家の男たち』
男三人で食卓を囲みながらあれこれしゃべる、男版『セックス・アンド・ザ・シティ』的な部分が最高。なかでも佐々木蔵之介演じる秀平が、底意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべながら父親に突っ込みを入れるシーンはリピートしたくなるほどおかしい。優は名前の通り優しい性格で、今の若者に多そうなタイプ……って、設定はアラフォーだが。あまりに人にいいように使われるので、最後に爆発するのかと思いきや、そんなことはなかった。相葉雅紀は、悩みもがきながらも、少しずつ前進するアラフォー男を好演。
女性ディレクターが惚れた弱みで秀平の暴走を見逃すのかと思いきや、社会人の常識で行動する展開には、脚本家を見直した。
『青天を衝け』
脚本家の名前を聞いたときは、商売も政治も書けない朝ドラ大河になりそう、二回くらいでギブアップか……と予想したのに、意外にもその両方どころか、まったく期待していなかった水戸の抗争も生々しく描いていた。不明を恥じる。
維新後の若き新生国家ニッポンが株式会社やらなんやら新制度を次々と打ち出していく。なかでも郵便制度の始まりのようすを具体的に視覚化したあたり、小学生にもわかりやすく楽しめる演出で、これからの近代ドラマの手本になりそうだ。
佐藤直紀の音楽は、青天をつきさす勢いで進む江戸、明治の人々の勢いや志を格調高く表現した。明治のドラマの音楽としては、『坂の上の雲』とともに耳に残る。
吉沢亮はへたすりゃ顔のことばかり取り沙汰されそうな役者だが、ティーンエイジャーとしての登場部分からまったく危なげない芝居で、なによりすぐ熱くなる男特有の滑稽さを滲ませるところがうまい。終盤は、演出家の意向なのかメーク担当の考えもあるのか、年寄り臭が不足気味だった。副主人公の徳川慶喜は、よくある「知能は高いけど薄情」の「薄情」部分がない設定。草彅剛がここまで偉大なる最後の将軍を体現できるとはびっくり。父、斉昭役の竹中直人の暑苦しい芝居の正反対を見事にやってのけた。
平岡円四郎を紹介したのは、今作の功績のトップ3くらいに入りそうだ。有望株を見る目のある大人がいなけりゃ、活躍できなかった若手もいたのかもしれない。これまでの大河では軽く流されがちだった大隈重信や井上薫がちゃんと仕事をする上に、人間くさく生き生きしていたのも予想外。半海一晃の小村寿太郎再現率が高すぎ! いい人を演じる橋本愛は、個人的にはあまりしっくりこない。時節柄、主人公の妻はどうしても持ち上げないといけないのだろうが……。歌子を演じた小野莉奈は若いのにゆかしさと落ち着きがあり、今後も大名の奥方役かなんかでお目にかかりたい。敬三役の笠松将に、昔の優秀な日本人のたたずまいがあって立派。嫡男に過大な期待をかけて潰してもまだこりずに、孫に「専門を変えて跡継いでくれ」と言う栄一にはドン引きしたが、史実では敬三は見事に期待に応えたそうで、人間に与える環境の影響とか遺伝の影響とか考えてしまう。
最終の二話だけは、しょせんNHKのがっかり風味。あの路線でいくなら、お人形の交換という日米親善事業にふれればよかったのに。それにしても、ナイーブな国際派みたいな栄一像にやや興ざめだ。大陸人の狡猾さや欧米人の根強い人種差別意識、「俺らがルールブック」の本音をまったく知らなかったなんてことがあるのだろうか。
『岸辺露伴は動かない』はリアル視聴の暇がなく、お正月のお楽しみとする。
今年の海外ドラマ
間違っても欧州で暮らしたいとは思わないが、ドラマはおもにイギリス以北の欧州ものを楽しんだ。
イギリス:『港町のシェフ探偵パール』はアメリカのコージー寄りミステリみたいになるのか?と危惧したが、大根はいないし、事件には苦味があるし、予想以上のおもしろさ。『テンペスト 教授の犯罪分析ノート』は妄想シーンがユニーク。教授の心の傷のもとがなんなのか、まあ想像通りであった。ドンカーズ刑事の家庭問題を説明台詞ぬきで端的に示す演出がさすが。だからといって、恋心を寄せる男性刑事へのあのやり口は感心しない。
ドイツ:『ウーゼドム 罪深き母の捜査ファイル』の容赦ない展開に啞然。甘くない作風が好きな当方ですら、あそこまでやるかと思う。ドイツは合わないなぁ。
アイルランド:『息詰まる愛~夫はなぜ殺されたのか』と『侵入者~暴かれる夫婦の秘密』。後者はイギリスChannel 5のドラマだが、ロケ地がアイルランドで全体のムードもロンドン発のそれとは異なるので、自分の中ではアイルランド枠。どちらも陰鬱ですっきりした解決もなく、だが後味はドイツのドラマほどギスギス、ザラザラしていない。樹木が生い茂らない崖っぷちの風景は、日本の自然とは別種の美しさがあって心惹かれる(住みたいとは思わない)。
オーストラリア:この国のドラマを見たのはお初かも。『探偵ミス・フィッシャー~華麗なる事件簿』は馬車と自動車と蒸気機関車が混在する時代のムードたっぷり。おしゃれで大胆なヒロイン、タフな下町っ子の運転手コンビ、過去のあるメイドや少女たちのチームワークが楽しい。
アメリカ:今更だがミステリ・コメディ『名探偵モンク』シーズン1~3の再々放送をチェック。強迫性障害を患う元警官の名探偵ぶりに、ときにハラハラ、ときにイライラ、ときにジーンとさせられる。つまらない回が一度もないのがすごい。アシスタントは少々もったりしたナタリーより、おきゃんなシャローナのほうが断然好みだ。
来年の楽しみはなんといってもポワロのスピンオフ的作品というふれこみの『アガサ・クリスティー 名探偵ヤルセン』。1月2日にAXNミステリチャンネルで冒頭15分だけ紹介するそうな。
今年の単発ドラマ
上半期は、東日本大震災がらみの傑作『星影のワルツ』と『ペペロンチーノ』。喪失感と希望と人生の滋味が描かれて忘れがたい。
下半期は圧倒的に『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』。源孝志にはずれなし! 役者の業と妬みと欲望。歌舞伎にはくわしくないが、劇中劇の王道の演出にも外連味にも痺れた。仲蔵の、全身に塗りたくった白粉の白と着物の黒の対比だけでもあざやかなのに、口から噴き出す血のりの赤が強烈。照明にこだわる源だからこそあそこまで魅力的な画面になった。錚々たる面々にはさまれても肩に力の入りすぎた熱演にならず、小粋に演奏場面もこなす上白石萌音は、今後ますます楽しみだ。謎の侍の「勝手に俺たちの生き方窮屈にしてんじゃねえ」がユーモラスで印象に残る。
中村仲蔵なんて知らないと思いながら見ていたが、「なぶりもの」の一語を聞いたとたん、松井今朝子の『仲蔵狂乱』を読んだことを思い出した。いやぁ、アレが実演されなくてよかった……。
大森寿美男が脚本ということで『風の向こうへ駆け抜けろ』も録画視聴。中央競馬から地方競馬へ格下げになった女性騎手の成長物語。腐っていたはぐれ者の集団がよそ者から刺激を受ける再生ストーリーでもある。競馬のことはほとんどわからないが、j人馬一体で疾走する姿は美しいと思う。ヒロインが伸びていく過程もおもしろかったが、「GIではさんざんだった」のくだりにまともなドラマでよかったと安堵した。
大森は時専チャンネルで3年間がかりの池波正太郎の脚色を控えている。大河脚本再登板まで辛抱強く待つしかない。