『花燃ゆ』第16回『最後の食卓』

聞いていて納得できた台詞は、「見苦しく動き回るな」と「お前の叫びごときで意見が揺らぐ兄ではない」の二つくらい。どちらも中高年男性が文をたしなめるものだ。
内野謙太の町人髷は似合いすぎである。すこししか映らない幼児も含めて、子役選びに優れているのは、もしかしてこの枠の唯一の長所になってしまったのか。褒めたくなったのは以上の些細なことだけ。

土屋版松陰が語る「自由――民の輝き」の空疎なこと。今のリベラルのだめっぷりそのものだが、リアル松陰は異国に蹂躙されないための草莽崛起を唱えたのだろうに、来週もお白州で「民の輝きが~」とか言わせちゃうのだろうか?!

松陰帰宅の場面に流れる不気味に明るいBGMとかいい大人が泥んこシーンとか、「ほのぼの感」を強制される視聴者の身になってほしい。
あとさき考えず兄に家出をそそのかす文ちゃんにビックリ。アスカ・ラングレーに「あんた、ばかぁ!?」と言ってもらいたいでござる。
最後にまた牢に戻ったら、高須久子に手を握られて、なんか説得されちゃう松陰もいやだな。
『最後の食卓』と銘打ちながら、看板に偽りありの内容だった。夕餉の席でみんなから寒い励ましを受ける松陰を見たかったかと言われれば、それもまっぴらなのだが。
1~4月の実質上の主役が死ぬ回の前哨戦としてはまったく肩すかしだった。予告で見る伊勢谷松陰はビジュアル的には鬼気迫っていて魅力的だった。お話としても、せめて第1回と同等レベルになりますように。