『足尾から来た女』後編

NHKのことだから、サチの兄や銅山の社長に土下座させるようなとんでも展開の可能性がなくはないし、正造がサチの兄を杖で打った時には、「げげ、権力側の人間には村人総出でリンチが正解みたいにしちゃうんか?」と疑ったものだが……いろいろと杞憂に終わってよかったよかった。

前編には自働電話が出てきて、あの時代に公衆電話があったのか!と興味深く思った。後編では、凌雲閣をはじめとする都会の街並みが、さすが『ブラタモリ』などのリサーチとCG技術の蓄積を感じさせた。あいにく元札幌市民なもので、市電が走る街並みが映るたびに、「あ、北海道開拓の村だ!」と現実に引き戻されてしまうのが残念。サチの生家取り壊しシーンが大がかり……金に糸目をつけなかった時期の『8時だよ!全員集合』の大道具スタッフの話を思い出した。もちろん今回のほうがはるかに手間も金もかかっているはずだけれど。

政治主眼の前編とひと味ちがう、文芸色の強い後編だった。女郎買い中毒と借金おねだり上手を描かなかったら、石川啄木を使う必然性がないのにそんなん演出できるのかと疑っていたら、両方逃げずに出してきて驚いた。薄暗い女郎部屋にかけられた赤いカーテン、白と赤の障子紙、赤い襦袢。あきらめきった生活や人肌の温度や、いろいろなものが伝わってくる。この考証スタッフ、照明スタッフなら、明治~昭和の私小説をいくらでもドラマ化できそうだ。高い報酬を得られる漱石のような専業作家は、当時の文芸界では例外的な存在だという説明の入れ方もスマート。与謝野鉄幹がどんな亭主なのかにもサラリとふれて、あの時代の文士ダメンズ描写がなかなか。

原敬の出番があまりにもすくなくて拍子抜け。ただ、警官を呼んでサチを逮捕させるくらいの力はあるはずなのにそれをせず、笑ってすませる大物ぶりには味がある。
足尾で手伝いたいと申し出るサチに「さっちゃんに法律は読めるのかな?」と問う正造。権力者に石を投げたってなんにもならない、暴力に訴えるのではなく、あくまで法律にのっとって戦う男の描き方がいい。まだ若いサチに、東京でやり残したことはないのか、ここに老人と留まるより前に進むためにやることがあるだろう、と背中を押してやる。自分の思惑のために人を利用するだけのプロ市民の正反対だなぁ。
見終わって、足尾銅山は悲劇だが、銃弾が足りずに戦争に負けて露西亜の植民地になっていたら、訴訟の自由すらなかっただろう、とも思う。

あくまで田舎から出てきた若い女性の目を通した明治の日本を描き、『足尾から来た女』という看板に偽りはなかった。最後サチが、頭で理解できない以前に肌に合わない社会主義活動などには走らず、世間からはじかれた人々といっしょにいられる傷病院で、自分以上に傷ついた人々のために働こうと決心する展開に打たれる。きっと、英子の母から漢字以外にもいろいろなことを学ぶだろう。あの一面の麦畑がCG抜きの実風景だとしたら、ロケハンすごい!

好いた男と花火見物に出かけるサチの半襟が、つねよりしゃれている。「娘娘した」という古い言い回しがぴったりだ。
明治の小説には、奥様と呼ばれるような主婦がいる家庭には女中や書生を置く習慣があるいっぽう、お金に困って着物を質に出すこともある、という話がけっこうある。質屋で安く買いたたかれるより、与謝野晶子の弟子にすこしでも高めに買ってもらおうとする場面に、なるほどと思った。綺麗な着物を来た大家の奥様、時栄に雑巾がけをさせてヘンだと思わなかった『八重の桜』のスタッフにくらべて、いろいろまっとうだなぁ。そういや、喪失と再生は、『八重』のテーマでもあったっけか。

前編では、サチが兄の手紙が読めなくて悔しかった話が出た。後編では、啄木の詩に感覚的に惹かれたことがきっかけで、もっと字を読めるようになりたいと思う。学びのきっかけが内面から発するものだから、とってつけたような話にならないのだ。

クリスチャンと社会主義者をやたらと美化しがちな日本の映像世界にあって、本作は異色。三四郎は反戦主義者だったのにあんな描き方して許せんという意見があるが、"○○主義者=善"みたいな単純なレッテル貼りを疑うのも本作の眼目の一つだ。名目がりっぱな○○主義を信奉する(えてして裕福な家の出で、教育レベルが高い)人々の地に足がついていない感じが大人向けドラマになっていたし、北村演じる三四郎には、そりゃあ英子のような女ならほっておけないだろうという負の魅力がある。
ところで、ことなる二つの分野を代表する男が二人とも「石川」なのは、池端氏のアイデアなのか?

制作発表がアンテナに引っかかったのは、ときどき良作を作る社会派枠だったのと、脚本家と主演女優が気になったから。いざ蓋を開けてみると、主人公が担当する素朴さよりも大人の不純や老成に惹かれる性分なもので、藤村志保鈴木保奈美北村有起哉の演技がかなり印象に残った。英子が足尾の惨状を見て(かすかに)はしゃいでしまうところなど、活動家の本性があらわれていて、あれが演出家に言われる前に自分で考えた演技だとしたらなかなかな女優だ。不実な男とわかっちゃいるけどヒモ状態の三四郎を見捨てられない女心も、サチをスパイとして切り捨てず、福田家に尽くしてくれた心根の優しい一人の人間であると受け入れる懐の深さも、説得力をもって表現していた。露出しすぎな渡辺一族はちょっと苦手だが、たぶん啄木は彼で適役だったのだろう。体格、雰囲気とも実物イメージに近い窪田正孝あたりがやったら、会った翌日からオノマチの尻に敷かれそうだし。はじめて見たときは変態めいた役ばかりだった柄本明が乃木大将やら田中正造やらはまるようになるとは感慨深い。

このスタッフなら、林芙美子の『放浪記』をやれるのではないか。ヒロインは高岡早紀さまで。
尾野真千子には、こじらせたインテリ女の役などもやらせてみてほしい。
太平記』と同水準とは言わないから、一時期実験的に放送されたような半年作品でもいいから、もう一度池端俊策脚本による大河を拝みたいものだとつくづく思う。