『シン・ゴジラ』(総監督:庵野秀明、監督・特技監督:樋口真嗣)

ネタバレあり。


後方に坐った子ゴジラがときおりガサガサモソモソするたびに集中力が遮断されたが、それ以外ではどっぷり庵野の映画の世界にひたれた二時間であった。この手の作品を見るときはメタにおもしろがるだけで終わりがちなヒネコビタ映画ファンにはめずらしく、首脳陣の乗ったヘリが追撃されあたりではほんとうに心が苦しくなった。

海保オタ、陸自オタ、海自オタ、空自オタが盛り上がるのも納得の出来。官邸オタ、事務機器オタ(いるのか?)などにとっても嬉しい作品だろう。鉄オタは無人の新幹線や在来線を生贄にする場面に欣喜雀躍するのだろうか、それとも「Nゲージをそんなふうに扱うなぁ!」と激怒するのだろうか? 行政システムについてのねちっこい調査が、ひじょうに魅力的な対策本部ストーリーに結実している。本作で一番ユニークなのは、このシステム描写かもしれない。

上映終了後、一部の大きなお友達が拍手したので当方も便乗。満場に拍手が広がるかと思いきや、そんなことはなかった。観客が右へ倣えの日本人ばかりじゃないということで、それもまたよし。

できればあと五回は見たいところだが、ちょっと無理そうなのでDVDが出たら速攻で買うしかない。9月20日、出版予定の『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』(監修:東宝、編修:庵野秀明、出版:グラウンドワークス)も待ち遠しい。

監督たちは、メッセージ云々よりもとにかく最先端の技術を駆使しておもしろい怪獣映画を撮ることを目指したのだと思う。制作が東宝であって〇〇製作委員会ではなかったおかげで、その意気込みが潰されずにすんだようだ。

近年の邦画にありがちな駄目な演出を排除したのが勝因だとよく言われているが、タフなスーパーヒーローが大活躍するのではなく、職業意識の高いやや優秀な人々が協力して難局に当たるところ、主人公が誰かとくっついたり別れたりしないところは、非ハリウッド的な日本的な手法である。この二点は、出来がいいほうの邦画の一つ、『ハッピーフライト』と共通する。矢口が官房副長官、赤坂が総理大臣補佐官、尾藤が野生生物課長補佐、泉が政調副会長。重要な登場人物のポジションがいずれも"サブ"だというのも今作の特徴か。矢口にはマッチョイズムのかけらもなく、毛並みがいい設定ながら、外国映画に出てくるエスタブリッシュメントにありがちな富のにおいも威圧感もない。


冒頭の東京湾アクアラインの不気味な出来事やら、何通りもの会議やら、テンポが速く場面転換がひんぱんなのに観客を混乱させない。あの内容を二時間におさめたのは驚異的。会議会場のセッティングのすばやさに唖然とした。わざわざそこで場所を変えるのか!と驚かされることもあった。

蒲田に不細工なクリーチャーが出てきたときは、まさかあれがゴジラとは思わず。あれと別にゴジラが出てきて戦ったりするのかと思ってしまった。

首相が最初に攻撃開始の決断を迫られる場面。ふつうの国なら、あとで何十万何百万の死者を出さないために、「撃て」と命令するよなぁ……と思ったが、いずれにしても通常の銃火器では倒せない相手なのだった。

事態をいたずらに楽観視したり、「想定外だよ」で思考停止したり、縦割り行政で非効率的なところがあったりといった日本人の欠点にふれつつも、「そんなら変えればいいじゃない」という軽やかさがあった。被害者とか被抑圧者の視点で上に文句を言うのでなく、自分たちで責任を持って対処しようというムードが好きだ。
邦画にしてはエリートの活動場面が多いにしても、逃げ惑う住民たちの描写は十分あったと感じる。瓦礫の下から死者の脚がのぞく場面もあったし、ゴジラが通過した町の惨状を目にすれば小学生でも死傷者に想像が及ぶのではないか。

戦闘ヘリが一斉攻撃したり、ずらりと並んだ戦車が狙いを定めたり、やはり実写で拝むと血が騒ぐ。

自衛隊の総攻撃がきかないとわかった瞬間、オペレーションルームで米軍上層部が立ち上がって部屋を出て行く。説明抜きで次に何が起こるかがわかる演出。だが米軍の爆撃機でさえゴジラに歯が立たないと判明して前半が終了する。

重苦しい雰囲気で幕開けする後半。泉の明るさが救いになっている。
国連安保理の非情な結論にショックを受けながらも、独自の解決法を編み出そうとする巨災対。血液を凍結させるメカニズムがよくわからなかった。この点について生物オタや化学オタが興奮したようすもない。DVDが出たら要復習か。

「中露が(日本への核爆弾の投下を)せっついています」は、サヨク脚本家なら絶対に書かないリアルな台詞だ。いわゆる製作委員会方式だったら、横やりが入って削除されたかもしれない。
底意地の悪いフランスが日本の要請に応じるくだりは、せこい交換条件でも設定すればいいのにと思わないでもなかった。だが、フランス大使に頭を下げ続ける里見たちの姿には、ああ日本人と胸が熱くなる。

凍結作戦は、血液凝固剤を充てんしたミサイルを口中に撃ち込むのかと思ったら、もっと地道なやり方だった。クレーン車大活躍のヤシオリ作戦を見て、不謹慎にも(?)「ゴジラの歯医者さん」という言葉が頭に浮かんでしまった。無理やり歯医者の椅子に座らされた幼児のようなゴジラであった。「歯医者さんのゴジラ」と呼ぶべきか。


戦闘シーンと会議のシーンだけでも十分満足できた内容だが、それ以外にも見どころはたくさんあった。
「この国はまだ大丈夫だ」
「そろそろ好きにしたらいいんじゃないですか」
の二つの台詞が忘れがたい。
諦念に満ちた『ゴジラ』第一作にくらべると、科学や国際協力への希望や信頼が描かれて後味がよい。
若い人たちは、いつにもまして日本dis番組が多い8月のテレビを見るより、映画館で『シン・ゴジラ』を見ていただきたい。(オリンピックでは日本選手の活躍が見られるのか)

先月までは「何がゴジラださっさとエヴァを完結させてくれ」と思っていたが、すっかり考えが変わった。エヴァは立ち消えでもいいから、庵野監督&樋口監督には、またおもしろい特撮を作っていただきたい。そのときは、ドローンの活躍"も"期待。

上映時間の都合でキャストがものすごい早口だった。台詞のペダントリーは雰囲気を楽しめばいいだけ、なときもある押井作品と違い、今作は内容を聞き取れないと意味がないので、台詞回しに難がない人が選ばれたことに納得する。滑舌に難のあるイケメンはひと言しゃべって退場扱いだった。長谷川博己が「立て板に水」をやれるのは知っていたが、市川実日子があそこまでやれるとは思わず。パタースンについては事前にいろいろ聞いていたので、かえって反感を持たずにすんだ。片親だけでも日系人だとしたら、むしろ訛りのない部類に入るのではないか。キャラの点でも、あの手の駐日米人としては無神経さも明るさも鼻につかないほうだ。


おそらく十分の一くらいしか気がつかなかったオマージュ、気がつきたかった小ネタなど
*牧博士の写真にびっくり。どんだけ岡本喜八が好きやねん。

*ヤグチランドウって、イカリゲンドウのパロディー?
*首相が秋田出身であることを示す小物があると聞いていた。台詞をしゃべる人々に気をとられて、背後に映るものを見逃してしまった。
余貴美子の胆の坐った防衛大臣かっこよかった。ドラマ『外事警察』での官房長官の演技を思い出す。庵野監督は『外事』を見たのか?
*深夜、オフィスで働く清掃会社の男性の姿も、よきプロフェッショナル賛歌であるこの映画らしい一コマだった。ロングショットなので顔が判別できず。じつは大物俳優だったりするのか?
*避難準備中の三人親子のいるマンションが破壊される場面が、『巨神兵東京に現わる』の破壊場面に似ていた。
*会議中にエヴァのBGMが流れた。何度聞いてもついつい『踊る大捜査線』の音楽と間違えてしまう。
*連れが「会議のようすがネルフと似ている」と指摘。自分には陰謀のにおいがプンプンするネルフと今作の会議とはかなり違って感じられた。
*戦闘シーンで伊福部作曲のマーチが流れるとアがる!

*ヤシオリ作戦はヤシマ作戦へのオマージュかと思ったら、ヤマタノオロチに飲ませた酒の名とは! SF作家は古事記がお好きなのか。今も八塩折仕込みの酒が造られていると知って二度びっくり。映画の影響で売り上げが伸びるとよいな。
*ラスト、皮が溶けた(?)ゴジラの尻尾が苦しみながら死んだ人体のような形だった。

『百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~』

のっけからなんだが、「小野寺夫婦」って……「小野寺夫妻」ではあかんのか?

ここ数年、NHKのプロデューサーとしては一番高品質な作品を連発している訓覇圭が制作統括、2008年に傑作『あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機』(TBS)を書いた池端俊策が脚本、音楽が千住明、原案が岡部伸の著作ということで、BSじゃなくて地上波だからと少々腰が引けながらも、ある程度期待していた。柳川強Dの名前ははじめて認識した。過去作で骨太と感じたのは『鉄の骨』のみ。
原案は『消えたヤルタ密約緊急電』であって自分が読んだ『「諜報の神様」と呼ばれた男』ではないからと言われればそれまでなのだが、戦時中の描き方は予想よりドメスティックな比重が高く、戦後の場面では期待した『ムーミン』の翻訳場面がまるでなく、なんだかアンバランスな印象を受けた。終盤の座談会は、強権的なリーダーが出にくい代わり責任のありかが曖昧な日本型集団の風刺画として痛烈。

外地から日本の状況を俯瞰した夫妻を描きたいにしても、あそこまでロングの俯瞰ショットを多用するとはずいぶん思い切った演出というか、安易な感情移入を拒みたいということか。それにしては、絵本を送る送らないの場面で、個人的に苦手な「女目線の戦争ドラマ」臭がきつかった。

タイトルに「百合子さん」が入っているだけに、夫人の暗号文作成シーンに時間を割いたのは、この手の映像作品では貴重なアプローチかもしれない。しかし小野寺信氏と海外工作員との虚々実々の駆け引きが、あまりに描かれなくてがっかりした。せっかくリビコフスキー(偽名イワノフ)を出すのなら、ベンチの殺人事件よりほかに踏み込んだ諜報活動を描けそうなものだ。

ヤルタ密約の顛末について、登場人物も視聴者も怒りの矛先が大国ではなく日本軍部に"だけ"向くような作りが実に日本的。
終戦工作が小野寺夫妻が望むようにできなかったのは返す返すも残念なことで、あと1、2か月早い終戦の可能性はあったはずだ。いっぽう、「開戦は不可なり」の件は……『あの戦争は』を書いた池端氏だから、当時の状況ではそれは通らないことはわかっていたはずだが。

ストックホルムでロケというと、国内ロケにくらべてどれくらいコストがかかるのだろう? いつも以上に猛暑の今夏、北欧の美しい街並みは眼福であった。
今作や映画『杉原千畝』のように、直接的な戦争の場面を出さずに二次大戦を描く試みは、これから増えていくのだろうか。日本だけでなく中露米英の動きを公平に描く作品――予算からいって実写は無理だからアニメで、思想的にあれこれいちゃもんをつけられにくそうな深夜枠で――を、才能ある作家たちの誰かが作ってくれないものか。
ベートーベンの第九が何度も流れる。「盗聴を防ぐための手段」だったものが、終盤はコンサートで楽しむための楽曲に変わる。という音楽の使い方の妙については、ツイッターを読んで初めて気づかされた。

コータローには食傷気味である。他にもああいう役柄を演じられる俳優はいるだろうに。思いがけず千葉哲也の尊顔を拝めたのは幸い。土曜ドラマなどで準主役くらい大きな役をやってほしい。

下半期の楽しみはもうないのか……と思っていたら、9月24日に池端脚本の『夏目漱石の妻』放送開始とな! 悪い意味のNHK臭がない良作になりますように。音楽は『55歳からのハローライフ』がすばらしかった清水靖晃。小粋な作りになるのか、あるいは格調高めに行くのか? 芸術志向、エンタメ志向、両方向で精力的に仕事をしている長谷川博己漱石というのも、尾野真千子が妻というのも納得のキャスティング

新旧朝ドラ

オノマチ目当てで見た『カーネーション』がおもしろかったので、その後10作中5作に挑戦。『あまちゃん』はマイベスト、『マッサン』も政春中心の話は楽しんだ。『あさが来た』と『とと姉ちゃん』は三か月以内に視聴打ち切り。

とと姉ちゃん』は、『マッサン』のあと途絶えていた志あるドラマの復活かと思われたし、西田征史にも嫌悪感がなかったので視聴開始。めずらしく西島秀俊の奥さんが幸せそうだし、娘も風呂場でおぼれたりしないんだなと思っていたら、本人がまっさきに病死してしまった。浜松編は、小橋家の家風がていねいに描かれて見ごたえがあった。
深川編は、最初の方だけでも滝子の女傑ぶりや青柳商店のなりわいが無視されなかったのでほっとした。前作の主人公はやり手経営者のはずが、なんだかぼやけた奥さん像でがっかりしたので、今回である程度溜飲を下げることができた。

脚本家が人がいいのか(?)ネガティブなことを書くのが苦手なんだなという印象を受ける。
固定ファンのためにイビリ場面を用意したようだが、いきなり義務的にいじめ的言動が挿入されて、それがいつのまにか解消する、というパターンの繰り返し。
大日本帝国全否定を社是とするNHKからいろいろ指導がいくのだろうが、ヒロインが道の真ん中を歩いているからとおばさんにお叱りをうける件には、ここ笑うとこですか?と思ってしまった。まじめで野暮ったい多田の「ビアホールに行きましょうよ」にも面食らったが、行ってみたらひどくお行儀の悪い男どもに羽交い絞めにされたりする常子であった。現在でも欧米の柄が悪い酒場ならあの程度のことはあるが、日本のサラリーマン向けの店であんなトラブル発生とは、取って付けた感がありすぎ。大河『真田丸』が最新の学説を積極的に取り入れているからには、朝ドラスタッフも『理想だらけの戦時下日本』(井上寿一)くらいは読んで、テキトーにいい加減にやってた庶民の姿も描いてみればいいのに、それこそ腕が必要なのだろうな。こちらから仕かけなければ戦争にならないという虚構を前提とした歴史教育もどきもあいかわらずで、視聴者の頭に悪影響を与えている。

昔の朝ドラは颯爽としたヒロインとか、前人未到の分野に踏み込むヒロインを主人公に据えたと聞いているが、最近はとにかく女性視聴者――『マッサン』のときは男性視聴者? ――の自己愛を逆撫でしないよう、凡庸な人柄にしなくてはいけないのか? 子供時代の常子が感受性の鋭い利発な子でたいそう魅力的だっただけに、成長してからの姿にとまどう。女優さんにもモデルの女性にもいろいろと失礼では? 主人公をフツーにしなければいけない縛りがあるのなら、せめて鞠子は賢いままにしておけばよいのに、森田屋に居候する段になってから、無神経な言動がふえすぎ。これまた子ども時代は豊かな内面を感じさせた美子が、本役になってから「息苦しい」とかいまの贅沢な奥さんみたいな言葉遣いをしたときには勘弁してくれと思った。
戦後のGHQの検閲は戦中の内務省のそれより徹底的で手ごわかったことなども、まあ描かれないのだろうなぁ。


てるてる家族』再放送のついでに録画してきたが、30分のうち前半はおもしろく後半はさほど不愉快ではないがつまらないというのはけっこう辛いので、『とと』からは6月25日で脱落。『てるてる』は70回を超えたところで、どうでもいい、要らない、と思わせるエピソードが一回もない。大森寿美男は過去十年の大河で唯一コメディセンスが肌に合う人だが、朝ドラで見せるコメディセンスにも毎度気持ちよく乗せられている。演出家のリズム感と大森の作風がマッチしている。おもろい夫婦のかけあいも最高で、この点でも前作朝ドラで不満だった点が解消された。高度成長期の明るい日本と言っても、主人公一家の運命はそれなりに山あり谷あり。谷の部分もしかつめらしく、深刻ぶらずにさらりと見せるところが趣味がいい。なんといっても、宮川泰のOPが人を浮き浮きさせる。

LaLaで再放送した『ゲゲゲの女房』は完走。漫画家の妻が主人公だが、水木しげるとW主役のようなものだから話がもった、というところもある。主人公が内気なのは珍しいらしい。安直な木登りシーンがなくてよかった。引っ込み思案のヒロインの娘時代、結婚後の貧乏時代、水木が成功してからの多忙な時代、親が先立ち娘たちが巣立つ時代、と156話にちゃんと流れがあり、誰もとつぜん人格を豹変させたりせず、その人らしさを発揮して生きていた。ヒロインは夫大事の古風な女性だが、少々人情の機微に鈍感だったり、抜けたところもある。「あたしの自由が」とか過剰な自意識がなく、すがすがしい人柄であった。彼女の描き方以外でも、日本人の美しい心性を謳い上げる手腕なら、今は山本むつみが一番だと再認識した。最終回の手つなぎシーンも、お手本のような締めくくりであった。

大森寿美男山本むつみも朝ドラで成功して、大河の仕事が回ってきた。この二人以降、それを期待したいのは羽原大介だけである。原作付きで彼の脚本、主役が玉山鉄二だったら、いいものができそうだが……ヘタレじゃなくて堂々の硬派な武将、あるいは経世済民の男で大作を一つお願いしたい。

『重版出来』第9話

心が「私をヒロインの参考にしても」と申し出るのを、「それはちょっと」と却下する中田がおかしい。でも、街をぞろぞろ歩く今時の女の子たちを眺めてもピンとこない。で、アユを一目見て、無意識に描こうとしていたタイプだと気づく。創作の神が与えたかのような幸福な出会い。心は編集会議で、ビープとは「中田さんにとっての母性の象徴です」と言うかと予想したのに、そうではなかった。最終話でもっと突っ込んだ議論があるのかな。これまで永山絢斗はB太呼ばわりされることもあったようだが、A太より深みのある巧い演技を見せている。

高畑を困らせる"かまってちゃん"は、ぐずぐず言いながらまた元に戻るのかと思っていたら、無事に旅立ってくれたようでせいせいした(酷)。

予告で顔を見せてくれた沼田がどんな台詞を言ってくれるかひじょうに楽しみ。でも、来週で終わりとは悲しい。

 

大河ドラマ『真田丸』プレミアムトークショー(雑な備忘録)

日時:2016年6月5日 午後2:30~3:45
会場:ホテル日航熊本、中宴会場『天草』
出席者:500名前後(県外からの来訪者が1割前後)
講師:新井浩文

と銘打っていたが、新井浩文を中心に(屋敷陽太郎Pと田中正Dにも)女性アナウンサーが大河の話を訊く、という体。開演前、「きょうはサプライズがあります!」との言葉があり、新しいキャストの発表でもあるのかと思いきや、なんと山本耕史の飛び入り参加であった。俳優さん登場時の歓声は予想以上!

新井発言
・きのう熊本に到着、行きつけの飲み屋に行った。年長者のあいだでは清正公は大人気だが、若い子に「加藤清正を演じている」と言っても反応が薄い。本妙寺で清正像を拝んだ。じっさいにあんな長い兜をかぶったら、ちょっと首を動かしただけで倒れてしまう。清正というと、綿密な土木工事をした人というイメージ。
荒戸源次郎との出会いから、映画界に入った。(『赤目四十八瀧心中未遂』や『ゲルマニウムの夜』の話が出なくて残念)
・屋敷さんには『64』でお世話になった。若いころ出た『少年たち3』の演出は田中さんだった。
・あて書きと言われているが、自分はあんなに酒癖悪くない。
・まだ出番終了時の脚本はできていない。
・30数話で、三成と清正の濡れ場がある。(温泉のシーン? 会場には、『平清盛』の例のシーンみたいなものと勘違いした人はいなかった……と思う)
・つけ髭は人毛!
・所作指導の先生はほとんど何も言わない。
・自分は人見知りだから、三谷さんのメアドを訊くような真似はできない。
・脚本がすべて。脚本を読み込んだとおり演じてみて、監督からダメ出しされたら、監督に従う。役作りのこだわりはない。
・このあと控室で煙草吸います。きょうの飛行機で帰る。時間が許すかぎりサインしますよ。

山本発言
加藤清正について上手にまとめる。
・時代劇では畳の縁を踏まないのがマナーとされるが、血気盛んな若者だったら踏むことだってあるだろう。役柄に応じて所作を変えることも必要だ。
・『オケピ!』で三谷さんと知り合った。「根がひどいやつ」と思われているふしがある。今作でも信繁の台詞に「どこか人を不快にさせるものを持っている」(←堺雅人の声色)とあった。撮影の合間に、堺さんから「山本さん、ずばっと言うからなぁ」(←堺雅人の声色)と言われた。アナウンサーから「本人の前でもそうやって物まねしたりするんですか?」と訊かれると、「しますよ。堺さんは『ふふっ』と言うだけ」。
・三成は熱いハートを持っているけれど、素直に出せない。三成と清正はもともとはものすごく仲がいい。
・演技について三谷さんにメールで確認したら「いいと思います」のリプライが来た。

屋敷P発言
・あて書きというのは、新井さんや山本さんの性格をそのまま書くということではなく、「こんな演技をさせたらはまるだろうな」という設定のこと。
(秀作も手がけるかわりあの『江』のPもやった人なので、なんとなく山師っぽいイメージを持っていたけれど、実直な勤め人風の方だった)

田中D発言
・皆さん、脚本の意を汲んで、よく演じてくださっている。
(『足尾から来た女』のDだったのか! 今後も田中Dの回はとくに期待したい)

Q&Aタイム
女性「自分は人間くさいなぁと思うのはどういうとき?」
新井「酒飲んでだらだらしてるとき(あと失念)」
山本「悩むとき(?じゃなかったかも、ほとんど憶えていない)」

小学校男子「得意なことはなんですか?」
新井「卓球は県代表になった」
山本「たくさんある。手品、ギターなど」
新井「君は何が得意なの?」
少年「バスケットやってます」
新井「ポジションは?」
少年「モニョモニョ」
新井「ベンチを守っていらっしゃる(客席、笑)がんばればうまくなるかもしれない……ならないかもしれない」

楽しい一時間十五分だった。山本氏による堺雅人の声色は傑作! 『スタジオパークからこんにちは』などでもぜひ披露していただきたい。新井氏は意外とこだわりがなく、「オファーが来ればなんでもやりたい」という印象。

『重版出来』残りわずか2回!?

原作未読。野木亜紀子の脚色力が抜群である。ほんとうに表現したいものがあって台詞を選び、あるいは作り出しているのが伝わってくる。
出版社がらみのお仕事ドラマ、そして質で仕事を選ぶオダギリジョー出演ということで見始めた。今年の民放としてはマイベストになりそうだ。初回、妙な精神論ではなく技法の改良で問題解決するエピソードで始まったので、つかみはOKという印象だった。主人公が出しゃばったり、ありえない幼稚なミスを犯したり……が”ない”ので余計なストレスなく見ていられる。ああいう熱血スポーツウーマンを演じてうっとうしくならないのだから、さすがは黒木華だ。
第5話、第7話を神回と呼びたいが、第8話もよかった。

第5話
「本が私を人間にした」
重みのあるひと言。本などなくても生きていける人はおおぜいいるし、そういう人の方が生物としてまっとうなのかもしれない。だが、公私ともに本が欠かせない視聴者にとっては心に響く、真実味のある台詞だ。ワンパターン気味なのかもしれないが、山場となる場面に被さるBGMに感情が高ぶる。「ここぞという時のために運を貯める」発想がユニーク。
高田純次小松政夫が有能で誠実な人物を演じた時のかっこよさには、いかにもな真面目系男優に出せない味がある。若き日の久慈を演じた平埜生成の気迫に惹きつけられた。若松孝二監督が生きていたら、きっと使っただろうと思わせる。単館系の映画かNHK土曜ドラマで再会したいタイプだ。

第7話
初回から、表面は穏やかながら屈託を感じさせていた沼田。そのうち爆発するだろうと予想していたが、この回で退場だった。30歳でもなく35歳でもなく40歳でおのれの才能に見切りをつけたところに、いっそうの苦みが残る。酒屋を継いでからも腐らずに生きていけば、味のあるじいさんになれるはず。当分のあいだ、ムロツヨシといえば「沼田」の印象が残りそうだ。来年の大河でも活躍なるか?

第8話
ひさしぶりに和田が岐阜の書店主と再会し、老漫画家の意外な新婚旅行話を知る。
牛露田が編集者とコミュニケーションを取りはじめ、娘と和解する。
若い中田と大塚がスランプに陥る。大塚は早々に復活。中田はもうちょい。
元幽霊クンが、ライバル社の営業との攻防から勘違いしかけたところ、書店員、河の姿を見て思い直す。

これだけのストーリーを45分で無理なく展開。民放の連ドラにしてはずいぶん登場人物が多く、なおかつ交通整理がゆきとどいている。分析癖のあるひねた視聴者でも、ぐっとくるエピソードだった。

「(こんな時代だからこそ)私ら大人はかっこつけなきゃならんでしょう!」
和田編集長はトラキチで気分屋なところもあるが、胆が据わっていて責任感のある、まさに”かっこいい”上司だ。質で勝負の漫画を載せるからには、売れることだけ考えたものも載せなければならないわけで、その部分を背負っている安井のこともきちんと評価している。
後田アユを演じているのが『ゴーイングマイホーム』の好演忘れがたい蒔田彩珠。いくら相手が駄目親父でも、「これ見ろよ!」と亡母の写真を突きつける怒りの芝居に100%の説得力を持たせられるのは彼女ならでは。和田は帰りぎわ、さりげなく「今度はお父さんに鮎のお菓子を持ってくる」と言う。牛露田が愛娘につけた名前は、好物の鮎(のお菓子)から来ている、という話。
ふた昔前だったら、逆境にめげずに戦ってきた中田が正しく、坊ちゃん育ちの大塚がまがい物、みたいな描き方になっただろう。両者とも評価する公平さは、クリエーターも受け手も成熟してきた証だ。中田が人に共感できるようになったら作品の質が上がる、かどうかには疑問を感じる。彼はあくまで、キャラの魅力ではなく世界観で勝負するタイプの漫画家ではないのか。

家族が漫画家の犠牲になったり、苦労して一緒に歩いたり、ばかりでなく、我がまま女房から受けるストレスを創作のエネルギーに変える漫画家も出さなくちゃ不公平だろー(でも無理か)。梨音にふりまわされる高畑を、そのバリエーションとして楽しむことにしよう。

『真田丸』第19回『恋路』

愛する女に「私は日の本一、幸せなおなごでござりました」と言って死んでほしいと願う秀吉。
最終回に向けての最大の興味の一つが、茶々の最後の台詞になった。秀頼に向かって「わらわは日の本一、幸せな母じゃ」と言わせるのか、家臣が家康への恭順を説くのを、「今私は、日の本一、幸せなおなごじゃ」とはねつけるのか……。

こんなにも「秀吉より家康のほうがはるかにマシ」と思わせる作劇も珍しい。切れ者の面はあれど、人品骨柄が"関白"の位にまったく釣り合っていない太閤殿下。いろいろと大事なものが欠けている家族や忠臣たち……これまで三谷幸喜のシリアスな面も魅力的だと思ってきたが、聚楽第の爛れ方をこのように描くとは思っていなかった。豊臣勢が映る場面のライティングの色調が、熟しすぎて落ちる一歩手前の柿のようである。

合戦場面よりもリアルに血を見せない場面のほうが怖い。
天正壬午の乱の最中よりも、終了後のひとときの太平の世のほうが、弱肉強食を感じさせる。

天下人の人懐こさと残酷さ――脚本、俳優の演技とも、登場時は両方の比率が同じくらいだったが、だんだんどす黒さに偏っていくのだろう。小日向文世は、登場から二回目くらいで、ついついヤクザっぽい気性が出てしまう演技がうまかったが、これからも楽しみ。
今年は主人公の最大のライバルが最終回まで出て、それを芸達者の内野聖陽が演じるのがかなりの安心材料。敵役は変化しないものとして描かれる作品が多々あるけれど、今作は主人公と同じように成長していく過程が描かれる。大河『徳川家康』は傑作だったし――淀川長治が生きていれば「お修身の先生みたい」と形容しそうな――全身誠実さのかたまりみたいな滝田栄もよかったが、内野家康はビビり体質と傑物ぶりを無理なく両立させて、大河史にあらたな家康像を残すに違いない。前回、「わしのために芝居打ってちょー!」と頼み込んでくる秀吉とのやり取りは傑作だった。このベテラン男優二人のコメディセンスに比べると、女性陣のお芝居が少々物足りない。阿茶局だけでも、今後もう一段階高いレベルの存在感を示してほしい。