『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』海外レビューその2

https://quillette.com/2020/06/02/a-rainy-day-in-new-york-a-review/

以下は、自由思想を旨とする”Quillette”の記事の部分的な紹介。全訳ではない。[]内は私見

 

ローナン・ファローは新進気鋭のジャーナリスト。ハーヴェイ・ワインスタインを糾弾する記事をニューヨーカー誌に書き、2018年の#MeToo運動の盛り上がりの一因となる。その後、同記事はピュリッツアー賞を受賞。今年はHachette社がウディ・アレンの自伝"Apropos of Nothing(突然ですが)"を出版する予定だったが、ローナンが自伝出版反対キャンペーンを展開したため、Hachetteは出版を断念した。その後、自伝はArcade社から出版され、騒動が世間の注目を集めたために、同書はベストセラーとなる。

 

モーゼスとスーン・イーは、ミアとローナンによるウディ批判に反論した。

今のところ、ミア派の勢いが強く、アマゾン・スタジオは『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の国内公開を取りやめた。ウディはスタジオを訴え、自作4本の公開権を取り戻したものの国内で配給会社を見つけることはできていない。

長年ウディを叩いてきたニューヨークタイムズは、メディア評論家ベン・スミスによるrローナン批判記事を掲載。スミスは、ローナン・ファローは緻密な取材を行わず、その記事には誤報が多いと論じた。

『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』に出演したティモシー・シャラメ、セレーナ・ゴメス、グリフィン・ニューマンは世間の風潮に迎合し、アレンと仕事をしたことを後悔している、ギャラは反性暴力団体に寄付する、と表明した。

 

アレンはその長いキャリアの中で、良作を撮ったら次は駄作、のようなパターンを繰り返してきた。三連続失敗することはまれとはいえ、近作『カフェ・ソサエティ』、『教授のおかしな妄想殺人』、『女と恋と観覧車』はひどかった。[どうひどいのか説明なし。Dreadfulはひどいというより、陰鬱だからこの評論家の好みでないということか]

 

『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、コロナ禍が襲う前の魅惑のニューヨークを舞台に、じれったい恋模様を描く快作である。富裕層が暮らすアッパー・イーストサイドの豪華なマンションは、生の防波堤のようなものだ。

アレンは言う。「いつだって雨のマンハッタンを撮りたいと思ってきた。一日中雨が降っているストーリーをね。今回は水タンク車を使ったよ」。ベテラン撮影監督ヴィットリオ・ストラーロは、二人の主人公の災難におとぎ話的色合いを与えるために、路上シーンはやわらかな琥珀色で撮っている。アレン映画に欠かせない要素が音楽だ。今回はエロール・ガーナーとコナル・フォークスの"Great American Songbook"からピアノ曲が選ばれた。

 

キャラクターとシチュエーションを時にセンチメンタルに、時にぴりっとドライに、練り上げられたプロットでさばいている。まさにアレン十八番のストーリー展開だ。エンディングも秀逸である。ギャツビーはセントラル・パークで馬車に揺られながら、コール・ポーターの『ナイト・アンド・デイ』の歌詞――不実な恋人はそれをシェイクスピアの台詞と勘違いするのだが――をつぶやく。「喧噪の中にいても、ひとり寂しく部屋にいても」。そして馬車から飛び降り、もっと自分にふさわしい恋人が待つ、デラコルテの時計の前へ戻っていく。