『まんぷく』残すところあと2週間

ラーメン好きの家人が好んで録画チェックするので、つきあい視聴。初めのうちは時々おもしろい昭和コントという印象だったが、折り返し地点あたりからだんだんおつきあいが苦痛になり、最近はカップラーメン製造工程のネタだけが救。
ハキハキ歌うのが身上のミュージシャンがオープニングソングを担当しているが、字幕がないと何言ってるかわからないうえ、次の日になると内容をまったく思い出せない。ごひいきの川合憲次は朝ドラには向かないであろうタイプだが、ときどき『パトレイバー』っぽくなったりするのがご愛敬。仕事が盛り上がる場面はさすがにしっくりくる。

今まで一番おもしろかったのが、忠彦が復員してみんなで万歳していると、泥棒クンの神部がどさくさに紛れて一緒に万歳するシーン。テンポがよくて、こういうノリが得意なスタッフなのかと思ってしまった。二番目に好みなのが、敗戦直後、世良が万平の家にやってきて、「しょせんこの世には持ってるやつと持ってないやつの二通り。だったらごちゃごちゃ言わんと動かんかい」みたいに煽るシーン。これからドラマに命が吹き込まれるかも!と期待させた。

大河とちがって朝ドラにはなんの思い入れもないので、特に腹が立つこともないが……主人公のはずの福子が副主役のように見えて、それでいいのかなぁという印象。

とりあえず、好感ポイントを羅列すると
1.塩づくりの撮影は、泉大津ではなく南あわじ市吹上浜だとか。青々と広がる海、ちょっと見える丘ともに美しく撮れていた。解放感あふれる魅力的な絵作りであった。
2.福田靖というと、『龍馬伝』でつまんない芸者に「こんなつまんない国やだ」と言わせ、奴隷に売られても不思議がないエゲレスに逃亡させることをいいことのように描いていたことを思い出す。今回も妙な自国dis外国ageをやらかすかと危惧してたら、とくにそんなことはなかった。
3.前半は世良のキャラがよかった。何かと胡散臭い男ではあるが、生命力とか人間くささとかいうものを感じさせた。
4.主要登場人物の衣装にそれなりのこだわりを感じる。克子はきれいな寒色系、福子はオレンジ系黄緑系。モンペが妙に小ぎれいだったが、薄い内容を汚い外見でごまかさないのはそれなりの見識。
5.台詞をもごもご言うキャストがいない。とりあえず何が起きているのかはわかりやすい。
6.主演が産後早めに復帰したことでバッシングする視聴者が出るかと思いきや、意外とそれがないらしくてよかった。

7.真一と忠彦で理性的なトークに花が咲くあたり、お婿さんあるある場面。

そーでもないポイント
1.わざわざ安藤サクラとハセヒロを使ってこの人物造形? 百福氏を公私共にうんと漂白した結果が萬平なわけだが、実にもったいない。このふた月くらいは、主演女優があまりおもしろくない大坂芸人のように見えるときがあって辛い。福子が母親や子供たちに対して薄情に見える場面が多い。昨日のはとってつけたようなお母さんエピソードだな~。
2.前半の推進力だった世良が、後半はすっかりカレーを食べるだけのおじさんになってしまった。
3.塩づくり時代、お金に困っていたのに人員削減の話が出なかったのが不思議。
4.嫉妬深い主婦のクレームがくるから女中さんはもう出せない? 仮にも従業員から「奥様」と呼ばれる福子が、ねんねこ姿で海辺にたたずむ姿に違和感ありまくり。
5.ここ数週間は夫唱婦随のようになっているが、塩づくりのころの福子は、小企業のおかみさんじゃなくてサラリーマンの奥さんのような雰囲気だった。
6.真空凍結乾燥機に排水ホースがついてない。
7.鈴を道化扱いする演出に食傷気味である。最初はまあよくいるスポイルされた奥さんという感じだったのが、なぜかいきなり経理の仕事ができたり、かと思うと客観的に見て過重労働の塩づくり時代に、しかるべきサポートをしてもらえない。身重の若夫人たちが夫から(あの時代にありか?と思うような)いわたりの言葉をかけてもらったり、福子が萬平からことあるごとに「お前のおかげだ」と言ってもらえたり、若い主婦層をターゲットにした造りなのは伝わってくる。年配の鈴をコケにするのもサービスのつもりなのだろうか。

極私的に『あまちゃん』と『てるてる家族』なみにツボにはまる朝ドラは滅多にないのだろうとは思う。4月からは『てるてる』の担当者でもあり他の作品でも信用を積み上げてきた大森寿美男が書く『なつぞら』が始まる。年末におしんダイジェストが放送されたが、「これは並みの朝ドラが束になってかかってもかなわない」と思わせた。その全編再放送も始まるとかで、録画機が過労死しないように心を配る毎日が待ち遠しい。

『女川 いのちの坂道』

実在の"女川1000年後の命を守る会"の活動をもとに、復興半ばの街と青年たちをとらえたドラマを、ロードムービータッチで描くフィクション。NHK昨年からドローンをフィーチャーしたドラマ作りが目に付く。今回は咲の家があった場所から一気に上昇するアングルにぐっと引き込まれた。平埜生成以外の要素には期待せずにチェックしたが、予想以上の収穫であった。皆川猿時、多根楽子、高橋務の渋い助演が忘れがたい。

案の定、女川原発が避難所の役割を果たした件にはふれなかったものの、全体としてはNHK的な糾弾趣味もなく、これからを生きていく人々に敬意を払った良作だった。

母親が職場の年寄りを助けに浜近くに引き返し、帰らぬ人となってしまった咲。生き残った老婆への逆恨みのような感情には、それは仕方ないだろうという説得力があり、またそれを乗り越えるエピソードの作り方も真摯でよかった。ただ、あのイベントでもうちょっと車椅子を活用できなかったのかと思えなくもない。

咲の父親の「おれは(東京に行かなくても)いい。ここがいい」がよい台詞。

未来の女川町民に向けて女川中学卒業生が寄せた碑文
―― 今、女川町はどうなっていますか? 悲しみで涙を流す人が少しでも減り、
   笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています

石碑を囲む、よい顔の先生方、生徒諸君の写真。

そして、これ以上はない順番で生徒の作品が一句一句画面に出る。(もちろん、この番組内で発表されなかった作品が数多くあるとはいえ)三者三様とはまさにこのこと。

夢だけは 壊せなかった 大震災

まっててね 今届けるよ おばあちゃん

うらんでも うらみきれない 青い海


脚本:岡下慶仁、脚本協力:田中直人
撮影:夏海光造、諸川博一
演出:石井永二
プロデューサー:合津直種
制作統括:茂木明彦、三浦尚
今後、この人たちのうち一人でもかかわったドラマやドキュメンタリーが作られたら、見ることにしたい。

『女川 いのちの坂道』

実在の"女川1000年後の命を守る会"の活動をもとに、復興半ばの街と青年たちをとらえたドラマを、ロードムービータッチで描くフィクション。NHK昨年からドローンをフィーチャーしたドラマ作りが目に付く。今回は咲の家があった場所から一気に上昇するアングルにぐっと引き込まれた。平埜生成以外の要素には期待せずにチェックしたが、予想以上の収穫であった。皆川猿時、多根楽子、高橋務の渋い助演が忘れがたい。

案の定、女川原発が避難所の役割を果たした件にはふれなかったものの、全体としてはNHK的な糾弾趣味もなく、これからを生きていく人々に敬意を払った良作だった。

母親が職場の年寄りを助けに浜近くに引き返し、帰らぬ人となってしまった咲。生き残った老婆への逆恨みのような感情には、それは仕方ないだろうという説得力があり、またそれを乗り越えるエピソードの作り方も真摯でよかった。ただ、あのイベントでもうちょっと車椅子を活用できなかったのかと思えなくもない。

咲の父親の「おれは(東京に行かなくても)いい。ここがいい」がよい台詞。

未来の女川町民に向けて女川中学卒業生が寄せた碑文
―― 今、女川町はどうなっていますか? 悲しみで涙を流す人が少しでも減り、
   笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています

石碑を囲む、よい顔の先生方、生徒諸君の写真。

そして、これ以上はない順番で生徒の作品が一句一句画面に出る。(もちろん、この番組内で発表されなかった作品が数多くあるとはいえ)三者三様とはまさにこのこと。

夢だけは 壊せなかった 大震災

まっててね 今届けるよ おばあちゃん

うらんでも うらみきれない 青い海


脚本:岡下慶仁、脚本協力:田中直人
撮影:夏海光造、諸川博一
演出:石井永二
プロデューサー:合津直種
制作統括:茂木明彦、三浦尚
今後、この人たちのうち一人でもかかわったドラマやドキュメンタリーが作られたら、見ることにしたい。

『ベトナムのひかり~ボクが無償医療を始めた理由~』

日本とベトナムを往復しながら、日本ではフリーの眼科医として稼ぎ、ベトナムでは無償医療を続ける実在の医師をモデルにしたヒューマンストーリー。

歌、画面とも美しい冒頭の数分間とクライマックスが見事に呼応する佳作である。
適度な笑いをちりばめつつ、医者の本分とは、人が生きるとは、といったテーマもまじめに描く。説教がましくならずお涙頂戴にもならず、本木一博の演出センスと濱田岳の演技のセンスがかみ合って心に残る一作となった。濱田とキムラ緑子の軽快な達意の芝居は絶品。いつか二人で『おもろい親子』なんてタイトルで10分とか15分でいいから連続ドラマをやってくれないかなー。

なんでベトナムの若い男性外科医がやたらイケメンなのかと思ったが、別に深い意味はなかったらしい。ベストイケメンがなかなか主人公の羽鳥となじめない理由も、嫌みなく明かされる。

羽鳥夫人は、まだ子供もいないことだし、離婚して金儲けに邁進するタイプの男と再婚したほうがいいんじゃないかという気がした。が、夫の人となりを憎むことはできないらしく、マイホーム資金をポンと差し出す。今どき珍しい美談である。

「治療費を払えない人には自分が立て替える」なんて宣言したら、そのうち払えるのに払わない患者が出てくるんではないか。個人で大金を負担するのではなく、治癒した人が少額でも寄付する制度とか、何か基金を作る案はないのだろうか。

「人は人を助けるようにできてんねん」は羽鳥の亡父が残し、羽鳥自身、それと意識せずに口にしていた言葉である。これは、"己の背中を見せる"ことにより、我が子に偉大な教育をほどこした父の物語でもあった。近頃は、いかにして「助けてもらう側」に滑り込むかを人々に吹き込みたがる活動家の存在が邪魔くさい。

眼科業界やベトナムの庶民の暮らしを知っていたら、もっと複雑な感想を持ったかもしれない。

小河ドラマ『龍馬がくる』(時代劇専門チャンネル&カンテレ)

おおいに笑えて脱力する"非"本格派時代劇。30分(実質20分前後)×4話構成。
"人生最後"の龍馬を演じる武田鉄矢本人の前に、本物の龍馬(三宅弘城)がタイムスリップしてくる。本物は、偉人伝に描かれた人物像とはまるで違う情けないところが多いけれど、ノリで場を明るくする男だった!

武田に向かって「タカダさん」と言っちゃうし、「龍馬」を「リュウマ」と呼ぶし、失礼にもほどがある箭内夢菜の役をご本人が演じる。いかにも日本髪やおすべらかしが似合いそうだしぜひお姫様の役で! と願っていたら、極私的お初の時代劇はお龍であった。勝気なお龍向きの人とは思えないが、今回は短いライトコメディなので問題なし。
おそらく生涯ただ一度と思われる、皆川猿時西郷隆盛もなかなかのおとぼけものだった。曲者の演劇出身俳優として山崎銀之丞も出演。

喧嘩はからっきしだけど、おそるべきスピードで「バイトして合コンして」の現代若者文化に適応する三宅龍馬。
撮影所ではどんどん武田の領域を侵食していく。

小ネタ満載のメタ"龍馬ドラマ"でもあった。
三宅龍馬が渡りをつけたアメリカ人のリストがすごい。携帯のメール一覧に出てくるのが、"すぴるばーぐ"、"げいつ"、"るーかす(件名:じゅだい おぶ たけだ)"、"あっぷる"、そしてなぜか"おばま"。
ハリウッドが考えたリメイク映画のタイトルが『バックマーツ・フューチャー』と『パイレーツ・オブ・カイエンタイ』。

累計100万突破のベストセラーが『立ちションして会社が出来た』(¥1,620、世海書房)――坂本龍馬が本気で教える本場の【立ちションベン】――

そして武田鉄矢の歌の物まねをする三宅龍馬。

暗殺場面では「僕は死なんぜよ!」。「福山よりかっこいい龍馬をやるぜよ」……おいおい大丈夫か! なぜか流れるチャゲ&アスカ。

企画・プロデュースが宮川朋之。
監督・脚本が細川徹。この人の『織田信長』もぜひ見なければ。
ミレービスケットとコラボ企画で3,000個を視聴契約者限定プレゼント。応募の締め切りは15日だそうだが、ちゃんと全品はけるか心配だ。

おまけというか、ご丁寧に『龍馬がくる』内で撮影された超高速・龍馬の一生と言うべき『武田鉄矢主演 大型連続時代劇・坂本龍馬』も20分弱放送してくれた。
ちなみに『龍馬がくる』で貼られた『坂本龍馬』のポスターには「監督:小友隆史」の文字。大友啓史のパロディーだ。
きっちり紹介されて勝に対面し、その勝から紹介されたということで、龍馬が西郷を訪ねるシーンがばかばかしさの極致である。
「遠かったでしょ」
「神戸からでしたからちょっと。あの角で迷いましてね」
「あああの角ねぇ」

「じゃ、時間なんで」と立ち去る龍馬。
ナレーションは小林研二が重厚に語ってくれるし、野口健司による撮影の色調は渋いし、ほんとに珍品であった。

時専のみならず地上波でも何度か再放送して多くの人々を笑わせてもらいたい。

『家康、江戸を建てる』

将軍みたいなお名前の門井慶喜の原作は未読。
昨年の『風雲児たち蘭学革命篇~』に続いて、合戦ものではない単発時代劇が正月に放送された。
治水は太古の昔から統治者が直面する大きな課題だった。家康についてはまったく不勉強な当方だが、いろいろ知れば知るほどえらい政治家だったとの思いが募る。

とくに木管を埋める場面でセットづくりが大変だったろうなぁ!というのが前編『水を制す』で一番の感想。
一見軟弱優男風の千葉雄大クンが切れ者の役人を意外に好演していた。佐々木蔵之介は舞台出身ということでずいぶん評価が高いようだけど、台詞がときどき聞き取れません!
昭和平成のサラリーマン家庭じゃあるまいし、家庭と仕事を"対立するもの"ととらえてすねる若者のエピソードはお腹いっぱい。

圧倒的に後編『金貨の町』のほうがおもしろかった。日ごろ当たり前のものとして使っている通貨だが、400余年前にはあのような産みの苦しみがあったとは!
そして前編に比べると根性より工夫のお話なのが好みである。

たんなる原作の抜粋かどうか知らないが、切れ味するどい台詞の数々にしびれた。「へりくだる」云々は多くの日本人が噛みしめるべき言葉である。
「謙遜は大嫌いじゃ! 何も生まん! お主は前からうぬぼれておったろう。本当は、こうなることをお主も望んでおったのではないか? へりくだる人間は仕事もへりくだる。お主はお主の名で、お主の仕事をすればよいのじゃ」
家康は十両の大判ではなく、使い勝手のいい一両小判の鋳造をもくろむ。
「(通貨の流出の懸念について)持ち出すやつは持ち出すであろうし、持ち込む者は持ち込むであろう。商いはつねに使い勝手を尊ぶ。利にかなって広がるのは、どうしようもないことじゃ。その暁にはここ江戸に多くの商いが生まれ、人やものが多く集まることになるであろう」
「もしやあなた様は、小判で天下をとろうとしてはるんですか?」
「庄三郎、やるかやらぬか、どちらじゃ? この江戸で名を上げてみよ!」
「やります。この庄三郎、己が腕を存分に家康様のお役に立ててみせます」

三河守様と言ってくれればなおよかったが、わかりやすさ優先か。

庄三郎が小判を作る際中、駿河に先を越されてしまう。前編の主人公は人を切り捨てられなかったが、後編の主人公には切り捨てる決断力があった。だがそのことが遠因で窮地に落ちる。
「我欲の前では人の信など水泡がごとし。現にお主も後藤家に仇なすことを承知で己の欲のために生きる道を選んだではないか。笑止! そのような生ぬるい覚悟でわしの理想とする小判を作ることなぞできぬ!」
「恐れながら、勝負はまだついておりません」
庄三郎が差し出した駿河の小判はベコベコに歪んだお粗末なしろものだった。
「早生か?」

転んでもただでは起きぬ庄三郎の返答がよかった!
「へえ、早かろう悪かろうの粗悪品でございます。そのようなしろもの、だーれも使いたがりません。そのようなものは、すぐ信用を失い消え去ります。恐れながら勝負はまだついておりません」
「勝てるか、われらの小判は?」
「色形、装飾、品位、どれをとってもあてらの方が上でございます。あてに策がございます。後藤の名でございます。後藤の名をつけたうえで駿河の小判を手本に作らせていただいたと申せば、太閤様かて文句をつけることはできません。堂々とあてらの小判を出すことができます」

人が"利"や"理"で動くドラマ、才気と負けん気のある若者が活躍するドラマがもっと増えますように。
柄本佑BSプレミアムの『リキッド~鬼の酒 奇跡の蔵~』(源孝志D)で杜氏を演じていたのが印象に残るが、今作ではずいぶん演技が向上したと感じる。洋風の面差しが時代劇に合うかと危ぶまれた広瀬アリスが豪商の令嬢にはまっていた。ゆくゆくは淀君など演じられるようになるだろうか。

門井氏の『家康、江戸を建てる』にはほかにもネタがあるそうなので、ぜひ続編が作られてほしいものだ。

『母、帰る~AIの遺言~』

作者の言葉……三國月々子

およそ人生にまつわるあらゆることに正解は見つかりません。そこにあえて、常に明確な回答を提示するAIを置いたらどうなるか……。
抱えた矛盾をぶつけあう家族たちが「それでも」と顔を上げてお互いを見る。そんなささやかな物語を生み出せたかなと感じています。(公式HP)

 

直人の目が変だから実はこっちがAIなんじゃないかとか、息子は母と浮気相手との子なんじゃないかとか、いらないことを考えながら見てしまった。ミステリじゃないんで、素直にヒューマンストーリーとして受け取るべきであった。直人が亡母の思いや一見ろくでもない義父の人となりを理解していく過程が、優しいタッチで描かれていて心にしみる。
故人を三次元コピーしてしまうと消去するのに心理的抵抗が大きいから、声だけ再現するという設定。今まで読んだり見たりしたSFにはなかった発想で「なるほど!」と思わされた。

音楽が吉森信で音響効果が吉田直矢。ピアノの音色が美しい。
人工知能考証が松原仁。考証って何したのだろう?
あの程度の喧嘩シーンのためにアクション指導が入るとはびっくり。

意外に無難だったラストより、AI退場場面の方が印象に残る。折り鶴が飛び去るゆかしい絵作りだった。
小谷高義Dの名はお初。丁寧なほどよいテンポの演出で次回お目にかかるのが楽しみだ。

キャストは柳楽優弥奥田瑛二などうまい役者ばかり。声だけであそこまで視聴者を惹きつける岸本加世子は立派である。
あらためて映像世界の母性神話の強さ恐るべしと思った。地方の中高年夫婦といえばこのドラマのようなパターンが多いのかもしれない。が、そろそろ分からずやの妻に悩まされてきた都会のサラリーマンに光を当てるドラマも作られるべきではないのか。深夜枠かBSなら男性視聴者もターゲットにできるだろうに。