『風の峠~銀漢の賦~』第1回『仇討ち』

めぼしい藤沢周平作品が軒並み映像化されてしまった現在、後釜の第一候補が葉室麟のようである。

源五の顔が過度にアップになったり、のっけから妙に生エロい絡みを見せたり椿の花びらが飛び散ったり、なんだこのなんちゃって唐十郎演出は? 角兵衛の扮装、メークその他説明過剰のどぎつさ……いくつか違和感を持ったところはあるものの、全体としては、葉室麟の世界観を伝えようという志を感じさせる気骨ある作りだった。
登場人物たちに「あの男」、「あのお方」と恐れられ憎まれる九鬼夕斎の映し方がなんとも怪しく妖しい。薄暗い部屋で指にとまらせた文鳥が、か弱げに美しい。それとは対照的に、小弥太の父が殺される場面はモノクロ処理でひんやりしている。

少年三人が満天の星を見上げて漢詩を詠み、志を語る場面。
三人が、あくまで当時の身分制度のしばりの中で友情をはぐくむくだり。
坂の上の雲』以来、久々に青雲の志が描かれた気がする。

小弥太の母が「花の美しさは形にあり、人の美しさは覚悟と心映えです」と語る。脚本家は原作の大事な台詞をちゃんと生かしてあっぱれ。夫が残念とかぶーたれてる女より、千鶴のような女性こそTV画面で見たい。どーかどーか、せめて木曜時代劇とBS時代劇だけは、主婦にへつらったドラマ作りとは一線を画してもらいたい。中村ゆりも、若いのに優しくも毅然とした武家の母親役をこなしていた。細面の美貌も時代劇向き。

「小弥太は私が斬らせません」と言い切り、息子の命を守るため、家名を守るためににみずから敵地に乗り込み、藩主に貸しを作り、「ゆえあって」とのみ遺書をしたためて自害する千鶴。
この年若い姉のなきがらを前にした弟は、甥が涙にくれることを許さない。
「控えよ小弥太。立派なご最期。うろたえてはならん。詮索は無用とのお心。ならば詮索はするな」
篤姫』や『花燃ゆ』には薬にしたくも見当たらない、江戸武士の矜持とストイシズムがここにある。少年にも一人前の男たれと求める大人たちの厳しいこと!
 
小弥太は死んだ母を愚弄した角兵衛に果し合いを挑む。
到底かないそうもない剣の達人相手に、太刀を抜いて向き合う小弥太。少年剣士の気構えを示す大八木凱斗くんは、そこらのイケメン俳優が裸足で逃げ出す凛々しさである。
助太刀する源五を演じる田中偉登くんも、なかなかのジュニア版荒くれ武士だ。
十蔵を演じる鏑木海智くんは、NHKで前にも見たことがある。吉田松陰マニアで「じいさま」と呼ばれる小学生の役だったか……。とにかく、この人は十代にして性格俳優の風格がある。

子役がそれぞれあまりにはまっているので、来週からのおじさんたちが心配になってきた。高橋和也の一人勝ちでは、ドラマとしてつまらない。

松浦兵右衛門を演じたのが堀内正美。洒脱な風流人の演技を堪能した。「老いたりといえど元勘定奉行の私を」と角兵衛を一喝するくだりには、時代劇ならではの爽快感がある。
小弥太の叔父は、少年たちの窮地にかけつけてはあれこれ説明し、十蔵に振り下ろされる魔剣を間一髪で防ぎ、と忙しくご活躍であった。渡辺大はもっと見せ場を作ってもらえば、次期チャンバラスターに仲間入りできそうだ。