『戦艦武蔵の最期 ~映像解析 知られざる“真実”~』

NHKスペシャル』なので予想どおりというか……予想を超えた酷い出来だった。
はんぱな日本人より戦艦の値打ちがわかるお金持ちのアメリカ人が撮った貴重な映像をろくに紹介せず、さらに三菱が好意で公開してくれた設計図にねじまげた説明をつけ……ドラマ『戦艦武蔵』と同じくスルーすればよかったと後悔しきりである。

海外のドキュメンタリーなら「魚雷と空爆の集中砲火を受けながら八時間浮いていた、すごい奴だ!」となるところを、なぜか装甲の製造で手を抜いたから沈没したみたいなミスリード。アメリカ産の戦艦なら同じ条件でびくともしないとでも思わせたいのだろうか?? 反戦プロパガンダの良し悪し以前に、事実でないことを報じる教育的に悪い番組である。"知られざる真実"じゃなくて"またぞろ学生活動家気分の団塊の主張"じゃん。こんなもんを親子で鵜呑みにしたご家庭が少なかったことを祈る。

爆撃機目線というか上から目線というか、攻撃を受ける戦艦を「ダメな船」みたいに報じていたが、あれが日本軍の爆撃機と米軍の戦艦だったら、全然違うことを言うに違いないから、あの手のディレクターたちは信用できないのだ。

ポール・アレン氏は仲間内で楽しむための"Musashi the Moview"とか作ってないのだろうか? もしそれがあるのなら、ヒストリーチャンネルあたりで放映していただきたいものだ。あるいはすでにPBSあたりが戦艦ドキュメンタリー・シリーズに加えているとか?

NHKはやっぱり、緊急災害速報とドラマと、ネコとか深海魚とか平野レミとかねほりんモグラが出てくる動物番組にしかいいものがないな。

 

『池波正太郎時代劇スペシャル 顔』(時代劇専門チャンネル)

ネタバレあり。

原作未読。

真田丸』は楽しい歴史エンタテインメントだし、土曜日の『忠臣蔵の恋』は新規顧客開拓のためにも時代劇の火を維持するためにもよい試みだし、今年は時代劇ファンにとっては悪くない年だ。さらにありがたいことに、またしても時専チャンネル(今回はJ:COMも協力)が心に沁みるオリジナルドラマを作ってくれた。

朝靄、池、川、湯気……水の表現が印象に残る。メイキングを見たあとだけに、雨のシーンがうまく撮れていてよかったと安心。

いつも以上に街中の風景にリキが入っているというか、こんなに物売りがいっぺんに映る場面は記憶にない。煤払いの道具が売られていることで、年末の風景なんだなとわかる仕組み。「お神酒徳利、縁かがり」は初めて聞いた口上だ。

十五年前にさかのぼる回想シーン。かなたの信州の雪山のさえざえと美しいこと。こんな画面だけでも、見てよかったと思わせる。
筆をとる梅渓にゆっくりズームインしていく、このいかにも丹念な絵作りが本作の醍醐味。
そして遠藤浩二のBGMが渋い!

報酬はいつもの倍以上だ、和助を斬れと迫る久五郎。極悪人と断じる気になれない和助を斬ろうとして、機会をつかみかねる十蔵。傑作『老盗流転』を彷彿させる、じわじわじりじり息詰まる心理戦で視聴者の目を釘づけにする。

絵に心がすなおに出る人、出ない人。一流の画家はどちらが多いのか? どの芸術分野でも人格と作品の美には関連性がないとはよく言われることだが。

大事を成したあとの十蔵の顔に虚脱感やら罪悪感やらいろいろなものがにじみ出る。出家でもするのかと思ってしまったが、穏やかに畑仕事をする場面につながった。完全な幸福感を得ることはかなわず、心に澱をかかえて永らえるのか、それも上質な短編小説の締め方だ……しかし、音がとつぜん途切れる。「刺客に襲われるのか?!」との予感ははずれた。仕掛人の最期としては、病死だからまだよかったと思わないでもない。

剣と絵筆の両方に秀でた男の思うに任せない人生を97分で描いた珠玉の時代劇である。
石原興の薫陶を受けたのかどうか知らないが、山下智彦の陰影に富んだ演出がすばらしい。次回作が楽しみだ。
金子成人は手練れだが、十蔵夫婦の仲睦まじさを表現するための会話がちょっと説明過剰だった。お沢の姉の台詞が、女優のしゃべり方もあいまってうるさかった。

松平健は予想外に小味な魅力を発揮していた。十蔵の妻、お沢を演じたのが佐藤友紀。自分にとっては『新・半七捕物帳』以来ほぼ20年ぶりの再会だが、つつましく凛とした風情は変わらず。鬼首の勘兵衛を演じたのが冨家規政。ワルそーでいいねぇ。信吉役の小野塚勇人は、とても時代劇初挑戦とは思えないきびきびとした好演。やくざもんの危険なにおいをさせつつ、信義を捨てない男に説得力を持たせた。石黒賢がいいと思ったのは初めて。

今夜と明晩は、鬼平の親方のサヨナラ公演か。心して見ねば。

『ハウス・オブ・カード 野望の階段』第8話

脂ぎった古沢良太みたいな脚本を軸に、毎回どぎつい権力闘争が繰り広げられる。

現代のリチャード三世――と言っていいのかどうかは不明、最後にどこまで上り詰めるのかはネタバレ情報を見ない限りわからないので――フランク下院議員は、応援してきたウォーカー大統領から国務長官に任命されるもくろみがはずれ、復讐に燃える。
基本的には、主人公が貸し借りで人を動かし、借りがあることがわからない鈍い人間は脅して言う事をきかせる……ってのを繰り返しやっているわけだが、今のところまったく飽きない。第8話は初めてセンチネル軍事大学が映り、フランクにも反骨精神旺盛で熱い"いい奴"だった時期があった(らしい)ことを、旧友が語る。第7話までは演説となればつねに準備通りに雄弁をふるっていたフランクが、めずらしく己の感情をもてあます場面もある。だが〈フランシス・J・アンダーウッド図書館〉落成式が終わると、フランクは旧友と一緒の写真が載ったパンフレットを椅子に放り、腹心に選挙に向けた指示を出し、おそらく二度と(つるんでも利益をもたらしそうもない)同窓生に会うこともあるまい、と予想させるエンディングだった。
フランクの有能な戦友である妻、クレアが元カレと長電話していた。このドラマの作風からして、妻がぐずぐずめそめそして夫の作戦を邪魔するなんて展開はないとしても、カメラマンがらみで一波乱ありそうだ。中年になってもひきしまった肉体を保ち、ハイヒールとタイトなワンピースが似合うクレア。いろいろな意味でぜい肉をそぎ落として生きてきた彼女と男たちの、これからの丁々発止が楽しみだ。
"野心的"というには脇が甘く、しょせん利用されるだけで終わりそうなゾーイ。だが彼女の今後より、知事選出馬のために心を入れ替えつつあるルッソのほうが心配だ。

原作は、サッチャー政権下で首席補佐官を務めたマイケル・ドブズによる『ハウス・オブ・カード』。イギリスでは1990年代にタイトル『野望の階段』(BBC)でドラマ化され、第一部は日本でも放映された。野心をぎらつかせた田舎出の成り上がり者フランクと異なり、イギリス版の主人公フランシス・アーカートは毛並みの良い老獪な院内総務だった。狡猾な口癖、「そう思うのは君の勝手だが、私の口からは何も言えない」が忘れがたい。いかにもイギリス的な知的なドラマで、後を引く冷え冷えと怖い心理劇でもあった。イアン・リチャードソンの名演をもう見ることができないのは残念だ。

脚本家のアンドリュー・デイヴィスは英米両バージョンに参加している、と今日知った。エンド・クレジットの字がいつも小さすぎる上に流れが速すぎるので、毎回公式で脚本家をチェックしてみよう。

唯一の見るに堪える国内報道&インタビュー番組『プライムニュース』はあるし、最近は土曜の『SUPER』も加わったし、予想外に早く『ハウス・オブ・カード』を放映開始してくれたし、BSフジの極私的評価はうなぎ上りである。

『真田丸』第43回『軍議』

サブタイトルを堂々『軍議』と名付けて、ちゃんと魅せる脚本家が今年の作家でまことに僥倖。軍議をまともに描けたのは、過去10年では大森寿美男山本むつみくらいだ。藤本有紀は古典の抜粋みたいな軍議シーンだけはよかった。

幸村が具体的な策を出し、せっかく五人衆の意見がまとまったのを、有楽斎がぶちこわし。
その後、秀頼が幸村の策を用いようとしたのに、今度は茶々がぶちこわし。

『十二人の優しい日本人』以来、日本人の話し合いをいろいろと書いてきた三谷が、パッと見薄口ながら、なかなか残酷な会議の流れを書いてくれた。言葉遣いが重厚ではないので、時代の雰囲気を出せるかどうかは役者の力量によるところが大きい。翔さんもいいが、勝永を演じる岡本健一が割り当てられた台詞以上に戦好きの男を体現していて魅力的。

徳川勢と豊臣勢をくらべると、男のレベルの差があるのは当然ながら、大蔵卿局や茶々といった女のレベルが低すぎるのも敗因と思わされる。実家が敗戦つづきで辛酸をなめてきたゆえに極端な人生観が身につき、さらに秀吉の側室となってからはあえて現実から目を背けて生きてきた(←今作では)。知力胆力ともに、阿茶局にも(今作の)お江与の方にも負けている。

有楽斎のことはアニメ『へうげもの』で初めて知ったくらいで、実写では今年が初見。これからどんな活躍をしてくれるのか――というより、どんな邪魔をしてくれるのか――楽しみだ。

『夏目漱石の妻』第4回『たたかう夫婦』

『坊ちゃん』のキヨ=鏡子なんて、こじつけすぎじゃあないかと思ったら、孫の房之介が唱えている説だとか。相性がいいんだか悪いんだかわからなくても結婚生活というものは続いていく、みたいなまとめもありだと思うが、肯定的な空気で終わらないと鏡子夫人が浮かばれない。

冒頭は漱石が謡を披露する場面。弟子だか友人だかに「ヤギが絞殺されているようだ」と酷評された酷い声ではなく、ふつうに音痴という表現だった。こんなところで安いお笑いを入れたくないというスタッフの矜持か。

かわいがっていた文鳥が死んで激昂する漱石。たかがペットが死んだくらいという鏡子の反応は、当時というか昭和のなかごろまでの常識で、「坊主を呼べ」のほうが常軌を逸している。演出によってはブラックコメディにもなったろうが、今回は夫婦の亀裂をきわだたせていた。

荒井の造形が興味深い。子供たちにはなつかれ、鏡子にたいしては差し出がましい口をきき、ほかの弟子には優越感を示す。金銭面で房子に迷惑をかけ、新聞社におしかけて漱石を中傷する。池端俊策NHKでの仕事がすくなくないのに、今作でも『足尾からきた女』でも活動家の無責任や卑劣を仮借なく描き出す。満島真之介は巧いのだけれど、涙流すより人に聞こえる声を発するほうに注意を払ってほしいと思う場面がちらほらあり。

按摩を演じる梅沢昌代があいかわらずいい味を出している。あんなおばちゃんでも『野分』なんか読んでたのか! そして、鏡子が息抜きできて、かつ大人相手に本音をつぶやける貴重な時間を描きながら、当時の漱石作品の人気やら日本人の知的水準やらをうかがわせる一コマであった。

尾野真千子は毎回好演してきたが、今回は結婚生活も十年に入っている女の疲れや生活感をさりげなくにじませていた。修善寺の大患での、山ほどいやなところがあっても絶対に死なれたくない夫への「あなた!」も真に迫っていた。いいシーンでどうでもいいことが気になったのだが……鏡子の涙をシーツがはじいていた。撥水シーツってあのころあったのか?

文人なんて配偶者としても交際相手としてもロクなもんじゃないと悟り、堅気の名古屋人と結婚する房子は賢い。最後の手伝いをする場面の房子は匂うように美しい。嫁入りを控えた娘としての黒島結菜の演技が秀逸だったのか? それともメイクの技術によるものか? 房子は夏目家で花嫁修業をする間に、男どもを観察しただけでなく、鏡子の人となりを深く理解し、『青鞜』の思想に触れ、実に充実した四年間を過ごしたようだ。

ラストの漱石の「君はどこまでも君だね」は、房子の「女性にも個性はあります。鏡子さんを見てそれがわかりました」に対応する台詞か。山の緑に白い衣装をまとった夫婦が映える。『坂の上の雲』を彷彿させる絵作りで、柴田岳志はこの場面を一番撮りたかったのかと思うほどだ。


「くさくさしてしかたがない」なんて、ドラマでは久しぶりに聞いた言葉だ。「~してらっしゃい」や「~なさい」が、かならずしも目下相手の言葉遣いではないことを、若い世代にわかってもらえたかなぁ。このほかにも、漱石の小説に出てくるような言い回しが多々あり、耳にも楽しいドラマであった。池端氏は日本語の達人ではあるが、ずいぶん前から「お食べになる」という台詞を書くのが少々ひっかかる。


イギリスでノイローゼになって帰ってくる漱石が日本人のシンパシーを呼びやすいのにひきかえ、ドイツに行って白人相手に堂々と論戦を挑み、女泣かせて帰ってきちゃった鴎外はいまいちドラマになりにくい。数少ない鴎外関連の映像作品の一つがNHK単発ドラマ『玉と砕けず・ある森鴎外伝』(作:山下久、演出:望月良雄、制作:高橋康夫)である。この傑作を再放送するか、あるいは新作に挑むかしてもらえないものか。

オノマチはハセヒロとのかけあいだけでなく、借金を申し込みにきた中根、塩原との(ある意味)たたかいの場面に魂がこもっていてすばらしかった。身長は本人とかけはなれているにもかかわらず、当分長谷川博己以外の漱石を見ても違和感しか湧きそうにない。第4回の夫婦、親子の諍いの場面には、前回までより怖さが増していて、明治の男の不機嫌はこれくらい嫌な感じだっただろうなという説得力があった。だからこそ「うちへ帰ろう」という愛の言葉に重みが出る。
期待したより出番がすくなかったが檀蜜もよかった。斜め後ろから映されたときの、ほっそりした首のなよやかな美人ぶりときたら! 今作といい『経世済民の男高橋是清』といい、作品と共演者に恵まれているなぁ。昔の女の風情を出せる人なので、これからもNHKの文芸ドラマなどで重宝されそうだ。

明治の文人ドラマといえば硯友社は恰好な題材なので、森下佳子あたりに書いてほしい。ちょび髭生やしたハセヒロは山田美妙に似てないこともないが、演じるなら尾崎紅葉だろう。

池端ドラマのオノマチにはなんの不満もないが、そろそろまたガサツでない役が回ってこないと役柄が限定されてしまいそうで心配だ。

 

『忠臣蔵の恋~四十八人目の恋』第4回『事件』

浅野内匠頭が刃傷事件を起こして即日切腹を命じられ、きよと十郎左衛門の縁組どころではなくなる。

吉良の造形がなんとも古めかしい単なる嫌な奴だった。大事なのはヒロインの波乱に満ちた生涯なので、吉良がらみの描写はサクサク進むことになりそうだ。
内匠頭は回想以外ではもう登場なしなのか。今井翼は出番は短いながら、質実で神経質すぎるにしても家臣に慕われる殿さまを好演。このレベルで時代劇演技をやれるなら、大河に出てもおかしくないと思わされた。
それにひきかえ、阿久利から漂う"小娘感"がなんとも残念。今回などは、主君がいない状態で、正室がいかに権限を発揮すべきかを示すに絶好なエピソードだったはず。ミムラあたりがやってくれれば、説得力が出たのになぁ。
武井咲さん、表情演技がんばれ! 福士誠治はこれからもっと力量発揮の場面をもらえるのだろう。

全20回とのこと、間延びせずに最終回まで魅了してほしい。

『Nのために』一挙再放送(TBSチャンネル1)

イヤミスの大家たる湊かなえは敬遠しているのだが、映像作品『贖罪』(WOWOW黒澤清監督)には痺れた。『N』は友人が勧めていたので、CATVの放送を視聴。

のっぴきならない状況にもがきながら人を思い、ある時は黙って身を引く若者たち――号泣や絶叫に頼らずに見る者を感動させる、良質なドラマだった。節度のあるテンポや絵作りといい、あざとくない場面転換といい、要所要所で絵を止める手法といい、『名もなき毒』と『ペテロの葬列』に通じるものがある。調べたところ、演出担当の梶原あゆ子、山本剛義、音楽担当の横山克は三作に関わっていた。家入レオの『Silly』は作品に合っていたが、音楽で補わなくても十分いいシーンにまで流し過ぎなのはちょっと残念。

2014年、高級マンションで殺人事件の現場に四人の若者が集まった。うち二人はその10年前、瀬戸内海の青景島で起きた放火事件に関わりがあると疑われている。なぜ二人は両方の現場に居合わせたのか? 引退した元警官、高野が真相を突き止めるべく関係者の話を聞いて回る。若者たちは全員イニシャルがNだが、火災現場で声を失った高野の妻「なっちゃん」だってNである。きっと彼女が火災現場でなんかやらかしたか被害に遭ったかしたのだろうと思って見ていたら、予想を超える展開であった。

冒頭、ヒロインの父親が「義務と労働だけの人生はもういやだ」と言って、いきなり愛人を家に連れ込み、妻子をぼろ家に追い立てる。笑顔で妻子を追い出す杉下には狂気すら感じられるが、その気持ちはわからないでもない。そのあと主にヒロインを苦しめるのは、長いこと保護される権利を享受し浪費だけしてきた母親である。この母親がのちにまともに働き出す展開は意外だった。最後に希美と和解する場面は感動的だが、あれは原作通りなのか?

10話かけて放火事件の真相とマンション殺人事件の真相を明かしていく手際が見事で、ミステリ・ドラマとしても堪能した。野口夫妻の究極の共依存はともかく、いくら世間知らずとはいえ奈央子のものすごい勘違いにもびっくり。

高野の調査活動は、究極的には妻Nの心の解放を導き出す。彼も若者たちと同じくNのために生きる道を選択するのだ。

成瀬は日本人好みの切なさ漂う青年で、窪田正孝のはまり役。極私的には小出恵介の芝居のほうが印象的で……『吉原裏同心』はよっぽど不向きな題材だったのかと思わされた。メイン四役のうち一番割を食いやすかったのは安藤役だったはずだが、賀来賢人は日向を歩いてきたがゆえに、不本意な形で仲間から守られてしまう――それは疎外されるということでもある――役を好演していた。2004年のクリスマスイブが近づくにつれ、成瀬にある感情を抱くようになるのだが、ありきたりの憎悪や嫉妬に見せないのはむずかしかったのではないか。最終回、成瀬と安藤が対峙するさいの、ほどよい距離感や緊張感や互いに示す敬意もよかった。
榮倉奈々は予想以上に魅力的だった。ひたむきだが暑苦しくはなく、成瀬や安藤のためを思って何かを我慢する演技に妙な被害者風味や痛々しさがないのも彼女ならではか。

三浦友和は重みのある語り部だった。織本順吉演じる野原老人もN。若者たちが野口に近づいたのも、老人Nのためだった。両親に恵まれなかった希美や西崎にとって、野原はよき祖父のような存在である。彼が若者たちに慈愛を示す場面も忘れがたい。