『眩~北斎の娘~』

光と影を際立たせる照明(佐野清隆)と撮影(相馬和典)とVFXがすばらしかった。稲本響の音楽も画面作りと競うかのように見事だった。ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けて交響詩〈海〉を書いた話を彷彿させる。
海外の映画祭に出品するとのこと、なるほどと思う。吉原の座敷の場面など、もうちょい明かりを落とせばさらに陰翳礼賛したくなるのにと思ったが、外国人にはあのくっきりした赤と黒が受けそうだ。

絵師を主人公にした映画に篠田正浩監督の『写楽』があるが、今作は絵のドラマとして引けを取らないし、人間ドラマとしては明らかに上回っている。わずか一時間十五分弱で「うまくなりてえなぁ」とつぶやきながら、あがいてあがいて描き続けた女の一代記を描き切った。

クリエイター主役のドラマには、己を見つめて狂気の世界に近づくような"内にこもる"傾向を描く手法がある。今作は、決して満足しない絵師たちを描きながら、彼らの目が外に向いていて開放感がある。素人が余計な口出しをすることはあっても、絵師同士の足の引っ張り合いなどは描かれない。BGMも舟が大海原に漕ぎ出だすような、広がりをイメージさせるメロディーだ。

北斎といえば長生きと引っ越し魔――あまりに散らかすので大家に追い出されることが多かったとも聞く――のエピソードしか知らなかったが、〈富嶽三十六景〉制作より前に卒中で倒れていたとは! 北斎の復活が、甲斐甲斐しい妻の看病ではなく、喧嘩別れした戯作者の叱咤激励によるとする作風がいい。失明以前の滝沢馬琴の言葉に迫力がある。
「無様よの。こんな掃きだめで恍惚としおって。絵描き風情が人並みの往生を願おうとも、わしの知ったこっちゃない。だが、わしはかような往生は望まぬな。たとえ右腕が動かずとも、この目が見えぬ仕儀にいたりても、わしはかならずや戯作を続ける。まだ何も書いておらぬ。おのれの思うように書けたことなどただの一度もござらぬ。それは翁も左様ではなかったのか!? 葛飾北斎! いつまで養生しておるつもりだ! それでもう満ち足りたのか? 描きたきこと、挑みたきことはまだ山とあるのではなかったのか!」
こういう厳しい真実味のある台詞を聞くのは、『TAROの塔』(作:大森寿美男)以来だ。

絵が仕上がるまでの工程をずいぶん丁寧に見せてもらった。ベルリン藍の美しさも堪能。
絵師と彫師も偉いかもしれないが、いつ見ても信じがたいと感じるのは、いくら見当があるとは言え完璧に摺り上げる摺師の技だ。

武家の葬儀で遺体に懐剣が置かれる場面は多々見てきたが、町人だとカミソリでいいのか……。

お栄の母や義妹のような普通の女には独善があり、絵師、戯作者には人でなしの業がある。火事を見物すれば、焼け出される人々に思いをいたすより、炎の色を分析してしまう。北斎が亡くなった時、お栄は父の指から筆を取り上げようとしてとどまり、「もっと描いとくれよ」と言いたげに筆を握らせる。父を失うこと以上に、絵の師匠を失うこと、その制作が途絶えてしまうことが悲しいのだ。

彼女は絵のためだけに生きている。口うるさい女どもと争って消耗する愚は犯さず、軽くいなすところが意外と賢い。
ずけずけ言う善次郎には、落ち込んだ女を慰める優しさがある。

視覚的にひきつけるドラマだが、役者陣の口跡の良さが粋な江戸の芝居のムードを醸し出す。

黒船が来ようと地震が起きようと、人の営みは続いていく。光と影の世界が止まることはない。
闇が支配する夜に強く惹かれてきたお栄。彼女の渾身の一作のアップで物語は幕を下ろす。

世間的には宮崎あおいというと『篤姫』や明るいメジャー映画の印象が強いかもしれないが、極私的には単館系の映画や『ゴーイングマイホーム』での"人と馴れ合わない"役で光る女優さんだ。パッチに着流しの男性的な身ごしらえに、時々ほんとうに男の子のような身のこなし。おそるおそる蘭画を納める仕草や、気を取り直して浜辺を歩く姿など、決して好きな女優ではないにもかかわらず、うまいなあと唸らされる。衣裳の組み合わせも斬新だった。
死ぬまで枯れない天才を演じた長塚京三もはまり役。
『八重の桜』以来気になる中島亜梨沙は、宝塚仕込みのあでやかな日本舞踊で楽しませてくれた。
西村雅彦はいつのまに"西村まさ彦"に改名していたのか!? 

骨っぽい原作(朝井まかての『眩』は未読)さえあれば、大森美香でもこんな見ごたえのある作品が書けるのかと驚く。会話文の抜粋が巧みだと言うべきか。
NHKは、どうしてもたびたび女大河を作らないと気が済まないなら、このレベルの文化ドラマを指向してくれないだろうか? でも、大河だったらお栄が瞼に目玉を描くようなバカキャラにされてしまうのだろうな……。そんでもって「絵なんか描かねえで子供産めばよかったな」とか言わせんだろうなぁ。

佐野元彦の制作ドラマとしては群を抜いた出来。もう一人の制作担当、中村高志は『照柿』、『坂の上の雲』などすでにいくつか傑作を手がけているようだ。演出はさすがの加藤拓。今のところ、今年の単発ドラマとしてはこれがマイベストだ。再見に耐える秀作とはまさに『眩』のこと。