今年のドラマ(NHK、BS以外)

上半期
重版出来!』の圧勝。というか、他に見たものがあるかどうかすら思い出せない。
実写ではなくアニメだが、特例で『昭和元禄落語心中』も挙げたい。原作は未読。絵の魅力は原作がいいからと言われてしまったらそれまでだが、渋い中間色が粋でよかった。芸の道の厳しさ、一番求めているものは他にあるのに、互いにすがりつきながら生きる助六とみよ吉。菊比古のむごい言葉が引鉄で助六が死を選ぶ……みたいな展開を予想していたら全然ちがい、まったくあっけない最期であった。
来年1月6日に続編スタートとのこと、楽しみだ。八雲となった菊比古はますます寂しい影をまといそうな予感がする。

これをゴールデンに実写でやるとして、石田彰山寺宏一レベルの口跡で落語をやれそうなスター俳優を思いつかない。アニメでやらねばならない最大の理由は、風俗再現の資金不足よりテレビ俳優の技術不足か。クドカンの『タイガー&ドラゴン』がどんなものだったのか、怖さ半分、興味半分で見たくなってきた。

下半期
見たいものが一つもなかった。家族につきあって『神の舌を持つ男』と『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』を視聴。『神の舌』は堤幸彦の作品なのに、ちょっとずつテンポが遅いのと、主人公がものや人(!)を舐めて成分を分析する絵面が気持ち悪いのと、主演トリオのうち佐藤二朗しか演技がこなれていないのとで、なんだか残念な印象しか残らない。

『校閲』は、いままで光が当たらなかった業種をテーマにしたのが売り? 完全な門外漢が見てもありえないことだらけの刑事ドラマや医療ドラマにくらべれば、とっぴな展開はなかった。が、いかなトンデモドラマでも、刑事が犯人を逮捕する、医者が手術をする、といった職分のツボははずさない。出版業界と無縁の視聴者は、編集と校閲の区別がつかないまま見終わったのではないか。「やらなくていい」と言われたことをやったり、他人の領分に踏み込んだりするのを良しとするムードもなんだかな。字面チェックがメインの本当の校閲ドラマを作るとすれば、CGキラキラで半分アニメにしなければ視聴者の興味を継続させるのは無理そうだから、まあ仕方がないのか。たいして貯金があるはずもない主人公がかなりの衣裳持ちだったり、「もっと仕事に精進してからでないと」という理由でいったん恋人と別れる結末だったり……そういうのが今でもウケるのか、とやや意外であった。
不満はあってもさほど不快感なく見られたのは、ひとえに石原さとみの魅力ゆえ。彼女の温かみのある個性がなかったら、早とちりとお節介と「タコ」含む無礼な発言の連発には耐えられなかった。
名前は表に出なくても社会を支える職業人が大勢いる、という主人公の気づき描写はたいへん好印象。

『鬼平犯科帳 THE FINAL』

京極備前守「いかな人助けでも、悪をもってしては台なしではないか」
長谷川平蔵「ごもっともなる仰せ。しかしながら、貧しき者の理屈はまた別。命をつなぐひと椀の粥に、善悪の区別がござりましょうや。人というものは、良いことをしながら悪いことをする、善と悪とがないまぜになった生き物でござります。人の世も、尋常一様にはまいりません。かように、是非弁別の分かちがたきことは、見て見ぬふりをするのも寛容かと」

前編『五年目の客』の冒頭あたりでは『大岡越前』かよ!と思うくらい、少々説明過多な台詞が気になったが、だんだんとなじんだ。上記の『雲竜剣』ラストの台詞は、『鬼平』総括にふさわしい内容であった。脚本担当は、前半が金子成人、後半が田村恵。

中村吉右衛門は歩き方などさすがに年齢を隠せない様子だったが、「火付盗賊改方である!」の発生などまだまだ力強い。お声がしっかり出るうちの幕引きでよかったのだと思う。
若村麻由美は『老盗流転』で年増の色気を魅せたが、今回は予想を超えて辛い過去に悩む女の風情がよかった。谷原章介は死角のない俳優というイメージだが、ときどき甘くて良い声が鬼平の世界にそぐわないような印象を持った。もちろんミスキャストとは思わない。
田中泯はいい役ばかりやる兼業俳優。登場シーンの笑顔に凶悪さがにじみ出ていたような……報謝宿に向かう時にあれではあかんのではないか。

鬼平』シリーズは初めて見た時から、「総合芸術」と呼びたいくらい映像美と音楽の味わいと緩急自在な演出と達者な俳優陣の組み合わせが見事だった。最終回を仕切ったのが、先日の『顔』の冴えた演出も記憶に新しい山下智彦監督でよかった。なんといっても長らく企画を担当してこられた能村庸一氏にお疲れさまと申し上げたい。

『戦艦武蔵の最期 ~映像解析 知られざる“真実”~』

NHKスペシャル』なので予想どおりというか……予想を超えた酷い出来だった。
はんぱな日本人より戦艦の値打ちがわかるお金持ちのアメリカ人が撮った貴重な映像をろくに紹介せず、さらに三菱が好意で公開してくれた設計図にねじまげた説明をつけ……ドラマ『戦艦武蔵』と同じくスルーすればよかったと後悔しきりである。

海外のドキュメンタリーなら「魚雷と空爆の集中砲火を受けながら八時間浮いていた、すごい奴だ!」となるところを、なぜか装甲の製造で手を抜いたから沈没したみたいなミスリード。アメリカ産の戦艦なら同じ条件でびくともしないとでも思わせたいのだろうか?? 反戦プロパガンダの良し悪し以前に、事実でないことを報じる教育的に悪い番組である。"知られざる真実"じゃなくて"またぞろ学生活動家気分の団塊の主張"じゃん。こんなもんを親子で鵜呑みにしたご家庭が少なかったことを祈る。

爆撃機目線というか上から目線というか、攻撃を受ける戦艦を「ダメな船」みたいに報じていたが、あれが日本軍の爆撃機と米軍の戦艦だったら、全然違うことを言うに違いないから、あの手のディレクターたちは信用できないのだ。

ポール・アレン氏は仲間内で楽しむための"Musashi the Moview"とか作ってないのだろうか? もしそれがあるのなら、ヒストリーチャンネルあたりで放映していただきたいものだ。あるいはすでにPBSあたりが戦艦ドキュメンタリー・シリーズに加えているとか?

NHKはやっぱり、緊急災害速報とドラマと、ネコとか深海魚とか平野レミとかねほりんモグラが出てくる動物番組にしかいいものがないな。

 

『池波正太郎時代劇スペシャル 顔』(時代劇専門チャンネル)

ネタバレあり。

原作未読。

真田丸』は楽しい歴史エンタテインメントだし、土曜日の『忠臣蔵の恋』は新規顧客開拓のためにも時代劇の火を維持するためにもよい試みだし、今年は時代劇ファンにとっては悪くない年だ。さらにありがたいことに、またしても時専チャンネル(今回はJ:COMも協力)が心に沁みるオリジナルドラマを作ってくれた。

朝靄、池、川、湯気……水の表現が印象に残る。メイキングを見たあとだけに、雨のシーンがうまく撮れていてよかったと安心。

いつも以上に街中の風景にリキが入っているというか、こんなに物売りがいっぺんに映る場面は記憶にない。煤払いの道具が売られていることで、年末の風景なんだなとわかる仕組み。「お神酒徳利、縁かがり」は初めて聞いた口上だ。

十五年前にさかのぼる回想シーン。かなたの信州の雪山のさえざえと美しいこと。こんな画面だけでも、見てよかったと思わせる。
筆をとる梅渓にゆっくりズームインしていく、このいかにも丹念な絵作りが本作の醍醐味。
そして遠藤浩二のBGMが渋い!

報酬はいつもの倍以上だ、和助を斬れと迫る久五郎。極悪人と断じる気になれない和助を斬ろうとして、機会をつかみかねる十蔵。傑作『老盗流転』を彷彿させる、じわじわじりじり息詰まる心理戦で視聴者の目を釘づけにする。

絵に心がすなおに出る人、出ない人。一流の画家はどちらが多いのか? どの芸術分野でも人格と作品の美には関連性がないとはよく言われることだが。

大事を成したあとの十蔵の顔に虚脱感やら罪悪感やらいろいろなものがにじみ出る。出家でもするのかと思ってしまったが、穏やかに畑仕事をする場面につながった。完全な幸福感を得ることはかなわず、心に澱をかかえて永らえるのか、それも上質な短編小説の締め方だ……しかし、音がとつぜん途切れる。「刺客に襲われるのか?!」との予感ははずれた。仕掛人の最期としては、病死だからまだよかったと思わないでもない。

剣と絵筆の両方に秀でた男の思うに任せない人生を97分で描いた珠玉の時代劇である。
石原興の薫陶を受けたのかどうか知らないが、山下智彦の陰影に富んだ演出がすばらしい。次回作が楽しみだ。
金子成人は手練れだが、十蔵夫婦の仲睦まじさを表現するための会話がちょっと説明過剰だった。お沢の姉の台詞が、女優のしゃべり方もあいまってうるさかった。

松平健は予想外に小味な魅力を発揮していた。十蔵の妻、お沢を演じたのが佐藤友紀。自分にとっては『新・半七捕物帳』以来ほぼ20年ぶりの再会だが、つつましく凛とした風情は変わらず。鬼首の勘兵衛を演じたのが冨家規政。ワルそーでいいねぇ。信吉役の小野塚勇人は、とても時代劇初挑戦とは思えないきびきびとした好演。やくざもんの危険なにおいをさせつつ、信義を捨てない男に説得力を持たせた。石黒賢がいいと思ったのは初めて。

今夜と明晩は、鬼平の親方のサヨナラ公演か。心して見ねば。

『ハウス・オブ・カード 野望の階段』第8話

脂ぎった古沢良太みたいな脚本を軸に、毎回どぎつい権力闘争が繰り広げられる。

現代のリチャード三世――と言っていいのかどうかは不明、最後にどこまで上り詰めるのかはネタバレ情報を見ない限りわからないので――フランク下院議員は、応援してきたウォーカー大統領から国務長官に任命されるもくろみがはずれ、復讐に燃える。
基本的には、主人公が貸し借りで人を動かし、借りがあることがわからない鈍い人間は脅して言う事をきかせる……ってのを繰り返しやっているわけだが、今のところまったく飽きない。第8話は初めてセンチネル軍事大学が映り、フランクにも反骨精神旺盛で熱い"いい奴"だった時期があった(らしい)ことを、旧友が語る。第7話までは演説となればつねに準備通りに雄弁をふるっていたフランクが、めずらしく己の感情をもてあます場面もある。だが〈フランシス・J・アンダーウッド図書館〉落成式が終わると、フランクは旧友と一緒の写真が載ったパンフレットを椅子に放り、腹心に選挙に向けた指示を出し、おそらく二度と(つるんでも利益をもたらしそうもない)同窓生に会うこともあるまい、と予想させるエンディングだった。
フランクの有能な戦友である妻、クレアが元カレと長電話していた。このドラマの作風からして、妻がぐずぐずめそめそして夫の作戦を邪魔するなんて展開はないとしても、カメラマンがらみで一波乱ありそうだ。中年になってもひきしまった肉体を保ち、ハイヒールとタイトなワンピースが似合うクレア。いろいろな意味でぜい肉をそぎ落として生きてきた彼女と男たちの、これからの丁々発止が楽しみだ。
"野心的"というには脇が甘く、しょせん利用されるだけで終わりそうなゾーイ。だが彼女の今後より、知事選出馬のために心を入れ替えつつあるルッソのほうが心配だ。

原作は、サッチャー政権下で首席補佐官を務めたマイケル・ドブズによる『ハウス・オブ・カード』。イギリスでは1990年代にタイトル『野望の階段』(BBC)でドラマ化され、第一部は日本でも放映された。野心をぎらつかせた田舎出の成り上がり者フランクと異なり、イギリス版の主人公フランシス・アーカートは毛並みの良い老獪な院内総務だった。狡猾な口癖、「そう思うのは君の勝手だが、私の口からは何も言えない」が忘れがたい。いかにもイギリス的な知的なドラマで、後を引く冷え冷えと怖い心理劇でもあった。イアン・リチャードソンの名演をもう見ることができないのは残念だ。

脚本家のアンドリュー・デイヴィスは英米両バージョンに参加している、と今日知った。エンド・クレジットの字がいつも小さすぎる上に流れが速すぎるので、毎回公式で脚本家をチェックしてみよう。

唯一の見るに堪える国内報道&インタビュー番組『プライムニュース』はあるし、最近は土曜の『SUPER』も加わったし、予想外に早く『ハウス・オブ・カード』を放映開始してくれたし、BSフジの極私的評価はうなぎ上りである。

『真田丸』第43回『軍議』

サブタイトルを堂々『軍議』と名付けて、ちゃんと魅せる脚本家が今年の作家でまことに僥倖。軍議をまともに描けたのは、過去10年では大森寿美男山本むつみくらいだ。藤本有紀は古典の抜粋みたいな軍議シーンだけはよかった。

幸村が具体的な策を出し、せっかく五人衆の意見がまとまったのを、有楽斎がぶちこわし。
その後、秀頼が幸村の策を用いようとしたのに、今度は茶々がぶちこわし。

『十二人の優しい日本人』以来、日本人の話し合いをいろいろと書いてきた三谷が、パッと見薄口ながら、なかなか残酷な会議の流れを書いてくれた。言葉遣いが重厚ではないので、時代の雰囲気を出せるかどうかは役者の力量によるところが大きい。翔さんもいいが、勝永を演じる岡本健一が割り当てられた台詞以上に戦好きの男を体現していて魅力的。

徳川勢と豊臣勢をくらべると、男のレベルの差があるのは当然ながら、大蔵卿局や茶々といった女のレベルが低すぎるのも敗因と思わされる。実家が敗戦つづきで辛酸をなめてきたゆえに極端な人生観が身につき、さらに秀吉の側室となってからはあえて現実から目を背けて生きてきた(←今作では)。知力胆力ともに、阿茶局にも(今作の)お江与の方にも負けている。

有楽斎のことはアニメ『へうげもの』で初めて知ったくらいで、実写では今年が初見。これからどんな活躍をしてくれるのか――というより、どんな邪魔をしてくれるのか――楽しみだ。

『夏目漱石の妻』第4回『たたかう夫婦』

『坊ちゃん』のキヨ=鏡子なんて、こじつけすぎじゃあないかと思ったら、孫の房之介が唱えている説だとか。相性がいいんだか悪いんだかわからなくても結婚生活というものは続いていく、みたいなまとめもありだと思うが、肯定的な空気で終わらないと鏡子夫人が浮かばれない。

冒頭は漱石が謡を披露する場面。弟子だか友人だかに「ヤギが絞殺されているようだ」と酷評された酷い声ではなく、ふつうに音痴という表現だった。こんなところで安いお笑いを入れたくないというスタッフの矜持か。

かわいがっていた文鳥が死んで激昂する漱石。たかがペットが死んだくらいという鏡子の反応は、当時というか昭和のなかごろまでの常識で、「坊主を呼べ」のほうが常軌を逸している。演出によってはブラックコメディにもなったろうが、今回は夫婦の亀裂をきわだたせていた。

荒井の造形が興味深い。子供たちにはなつかれ、鏡子にたいしては差し出がましい口をきき、ほかの弟子には優越感を示す。金銭面で房子に迷惑をかけ、新聞社におしかけて漱石を中傷する。池端俊策NHKでの仕事がすくなくないのに、今作でも『足尾からきた女』でも活動家の無責任や卑劣を仮借なく描き出す。満島真之介は巧いのだけれど、涙流すより人に聞こえる声を発するほうに注意を払ってほしいと思う場面がちらほらあり。

按摩を演じる梅沢昌代があいかわらずいい味を出している。あんなおばちゃんでも『野分』なんか読んでたのか! そして、鏡子が息抜きできて、かつ大人相手に本音をつぶやける貴重な時間を描きながら、当時の漱石作品の人気やら日本人の知的水準やらをうかがわせる一コマであった。

尾野真千子は毎回好演してきたが、今回は結婚生活も十年に入っている女の疲れや生活感をさりげなくにじませていた。修善寺の大患での、山ほどいやなところがあっても絶対に死なれたくない夫への「あなた!」も真に迫っていた。いいシーンでどうでもいいことが気になったのだが……鏡子の涙をシーツがはじいていた。撥水シーツってあのころあったのか?

文人なんて配偶者としても交際相手としてもロクなもんじゃないと悟り、堅気の名古屋人と結婚する房子は賢い。最後の手伝いをする場面の房子は匂うように美しい。嫁入りを控えた娘としての黒島結菜の演技が秀逸だったのか? それともメイクの技術によるものか? 房子は夏目家で花嫁修業をする間に、男どもを観察しただけでなく、鏡子の人となりを深く理解し、『青鞜』の思想に触れ、実に充実した四年間を過ごしたようだ。

ラストの漱石の「君はどこまでも君だね」は、房子の「女性にも個性はあります。鏡子さんを見てそれがわかりました」に対応する台詞か。山の緑に白い衣装をまとった夫婦が映える。『坂の上の雲』を彷彿させる絵作りで、柴田岳志はこの場面を一番撮りたかったのかと思うほどだ。


「くさくさしてしかたがない」なんて、ドラマでは久しぶりに聞いた言葉だ。「~してらっしゃい」や「~なさい」が、かならずしも目下相手の言葉遣いではないことを、若い世代にわかってもらえたかなぁ。このほかにも、漱石の小説に出てくるような言い回しが多々あり、耳にも楽しいドラマであった。池端氏は日本語の達人ではあるが、ずいぶん前から「お食べになる」という台詞を書くのが少々ひっかかる。


イギリスでノイローゼになって帰ってくる漱石が日本人のシンパシーを呼びやすいのにひきかえ、ドイツに行って白人相手に堂々と論戦を挑み、女泣かせて帰ってきちゃった鴎外はいまいちドラマになりにくい。数少ない鴎外関連の映像作品の一つがNHK単発ドラマ『玉と砕けず・ある森鴎外伝』(作:山下久、演出:望月良雄、制作:高橋康夫)である。この傑作を再放送するか、あるいは新作に挑むかしてもらえないものか。

オノマチはハセヒロとのかけあいだけでなく、借金を申し込みにきた中根、塩原との(ある意味)たたかいの場面に魂がこもっていてすばらしかった。身長は本人とかけはなれているにもかかわらず、当分長谷川博己以外の漱石を見ても違和感しか湧きそうにない。第4回の夫婦、親子の諍いの場面には、前回までより怖さが増していて、明治の男の不機嫌はこれくらい嫌な感じだっただろうなという説得力があった。だからこそ「うちへ帰ろう」という愛の言葉に重みが出る。
期待したより出番がすくなかったが檀蜜もよかった。斜め後ろから映されたときの、ほっそりした首のなよやかな美人ぶりときたら! 今作といい『経世済民の男高橋是清』といい、作品と共演者に恵まれているなぁ。昔の女の風情を出せる人なので、これからもNHKの文芸ドラマなどで重宝されそうだ。

明治の文人ドラマといえば硯友社は恰好な題材なので、森下佳子あたりに書いてほしい。ちょび髭生やしたハセヒロは山田美妙に似てないこともないが、演じるなら尾崎紅葉だろう。

池端ドラマのオノマチにはなんの不満もないが、そろそろまたガサツでない役が回ってこないと役柄が限定されてしまいそうで心配だ。