『ブランケット・キャッツ』最終話『さよならのブランケット・キャット』

平成版『生きる』としてしばらく記憶に残りそうなエピソードだった。
「死ぬな、死んじゃだめだ!」
どの人間関係でも一歩踏み込むことができなかった秀亮が、たえ子を救おうとざぶざぶ海に入っていく。
手持ちカメラが作る揺れる画面にも役者二人の演技にも、地上波ではなかなかお目にかかれない吸引力があった。

「あんたのことを大切に思ってる誰かがいるんだ」
「だから死ぬな。あんたのことを心の底から心配している誰かのために」
なんでそこで「永島文具の人たちは本気で心配してるぞ」と言わないのかな~と思っていたら
間髪を入れず社長夫妻が駆けつけた。

血縁やら惚れた腫れたのつながりの他に、仕事仲間のつながりというやつだってある。
家庭を持っていても、配偶者より職場の同僚と過ごす時間の方が長かったり
考え方や気性をわかってくれるのは配偶者より同僚だったり、ということもある。
「たえちゃん、病院行こう」に泣ける。
「元気になって、働いて、使った金返してもらおう。いやって言わせないよ」もいい台詞。
社長夫妻もいい人だが、こう言ってもらえるのは、たえ子が長年誠実に勤めてきたゆえなのだ。

無欲で生きてきたたえ子のやりたいことNo. 10。クロを育てるとか病気を治すとかスケールの小さい予想をしていたら
「生きる」
と力強い書き込み。

富田靖子はさすがの存在感だった。

 

勤勉じゃないはずの猫たちがよく働き、ゲストは演技巧者ばかりで、回を追って深刻度が増すエピソードも丁寧に描かれた。
このドラマを全話見てよかった。
……が、暗めのゲストのお話とバランスを取るためのレギュラー陣のお芝居の場面が、なんだかちぐはぐに感じられたのが残念。
佳作『八重の桜』は、せっかく覚馬を登場させながら肝心の業績を描き切れなかった。西島秀俊は今回の『ブランケット』で、4年前の――本人にはなかったとしても、一部視聴者の――もやもやを晴らせるかと期待したが、美咲とのやり取りに要求される軽妙なコメディ演技は彼の得意分野ではなかったようだ。吉瀬嬢と彼の組み合わせに、マイナスの相乗効果が発生していた。"碌でもない亭主"設定だけは不動だったけれども、一度くらい家庭内不破と無縁な男を演じてもらいたい。

 

『密使と番人』(時代劇専門チャンネル)

ネタバレあり。

 

8/11、29、9/30再放送あり。
渋谷ユーロスペースで上映中。

 

ドキュメンタリータッチの時代劇。
19世紀初め、蘭学者の一派が日本地図をオランダ人に渡すため、若き蘭学者、道庵を密使として江戸から出発させる。彼を追って山狩りする番人たち。道庵はとある番小屋を訪れ――。

三宅唄監督は、『THE COCKPIT』(2014)でヒップホップ・アーチストの二日間にわたる創作活動を撮ったそうだ。どうりで、台詞が極端に少ないこともあり、今作で一番印象に残ったのはBGMの〈Searchin'〉(HiSpec)と〈Miss It Burning'〉(OMSB)だ。

ふれこみどおり、冬山の空気感はじゅうぶん伝わった。当時でも都会人にはとても住めそうもない厳しい土地のようすはなんとなくわかるが、江戸から長崎をめざすならともかく、北上しているように見えてしまうのはどうなのかとか、小屋と高山が倒れる場所の位置関係がどうなのかとか、地理的な違和感が残った。
ドキュメンタリー風だからと言っても、太陽光や囲炉裏の火の処理がちょっと雑な感じ。
映画らしいアクションが生まれた!と感じたのは、高山がいきなり画面に飛び込んできた瞬間。しかし、道庵はどうやって高山を倒したのか? 片手を負傷しているにしてもあまりにも動きがぎこちなく、刀で刺したようにも見えず。高山が勝手に疲労困憊で動けなくなったように見えなくもない。雪の中を進むもどかしさを表したかったのだと思うが、それにしても何をしたいのかわからない動きが多すぎた。
追う者と追われる者のあいだに感情の交錯があまりない。この辺のドライな作りは新鮮。40分くらいでまとめればもっとぴりっとしたのではないか。

最後、晴れやかな若者たちが映るったのは気持ちがいい。幸たちが旅に出た理由は考えるだけ野暮なのか……。

冒頭の妙な植物群はなんだろうと気になった。最長6mになるというヨシだろうか。

森岡龍の主演作が増えたのはめでたい。嶋田久作の顔がこんなに安堵感を与えるとは! 新人、石橋静河は新鮮味とたのもしさを同時に感じさせる。河の字のごとくスケールの大きな女優に育ってほしい。

『ブランケット・キャッツ』いよいよ終盤へ

第5話『嫌われ者のブランケット・キャット』
今のところ、第5話が一番意外性があって、プロットそのものにも魅せられた。
老人の理不尽に見える用心深さの背景には、息子一家を喪う悲劇があった。
卓也は浅はかだが純粋で、人の気持ちの核心がよくわかる。そんな若者を演じる太賀のうまさに、ちょっと凄みを感じた。恋人の悦子は世間的にはできた娘さんと言われるのだろうが、人を試そうとするところやら湿っぽい目つきやら、極私的には苦手なタイプだ。

第6話『助手席のブランケット・キャット』
ひたすら我慢する人生を歩んできて、死ぬまでにしたいことリストを8までしか書けないたえ子……今の日本は大声で文句を言う女性だらけなようにも見えるが、おとなしくて目立たない、たえ子のような女性もじつは一定数存在するのだ。馬鹿がつくほど正直に生きてきたのに、魔がさして会社の金を持ってきてしまう痛ましさ。家出兄妹と親子ごっこに興じるつかのまの幸福……来週警察にうんと怒られるのかなぁ……。富田靖子は近年、病んだ女の怖さを達者に演じるイメージが強いが、今回は薄幸感がたまらない。

猫かゲストが中心になる場面の吸引力にくらべ、人間のレギュラー陣中心場面がちょっと辛い(美保純はOK)。美咲と楓がキャピキャピ(死語)騒ぐくだりに、バブル期のドラマが紛れ込んだような違和感を感じる。

『おんな城主直虎』第28回『死の帳面』

"国衆はつらいよ!"と"武士だけでなく坊さんや商人も含めた戦国の風俗"の描写に力を入れている今年の大河。ちょっと受け狙いな感じの"政次カワイソス"パートにはあまり乗れず。うじうじしたしの相手に暴走気味の父性を示した回以外は、主人公にもこれといって魅力を感じず。このところ、人間ドラマとしては龍雲丸のくだりがちょっとおもしろいと思うくらいだった
が、
今回は浅丘ルリ子の独壇場だった! そして、つまらなくはないけれど著しく重厚さに欠けるきらいのあった『直虎』にはめずらしく、彼女と尾上松也のやりとりなど、ひさびさにこれぞ大河ドラマ!と呼びたい趣があった。寿桂尼は『風林火山』の藤村志保がベストと思っていたが、浅丘ルリ子の造形にも同じくらい強いインパクトがある。信玄を「そなた」呼ばわりする脚本はやりすぎでは、とは思ったが。

「なんという思い上がり。私が説き伏せましょう」
「お見苦しや、太守さま。弱音を吐いた者から負けるのです」
これまでの駄目な方の女大河では、まず聞けなかったシビアな台詞の数々がすがすがしい。

直虎に面と向かって「今川をよろしく頼みますぞ」と訴える老いた尼。そう言った舌の根も乾かぬうちに敵認定すれば、『直虎』は水準以上の作品になると思い……まあ、期待は裏切られなかった。
「我に似たおなごは、老いた主家に義理立てなどせぬ」
HPの来週のあらすじによれば「寿桂尼が死の床についていた」。さんざん死ぬ死ぬ詐欺をかまされてきたが、今度は本物らしい。佐名が退場した時くらいがっくりきそうだ。

次の大河ムード醸成役者として、栗原小巻於大の方)の登場が待ち遠しい。
家康の老獪さや怖さはあまり強調されないのだろうか。

 

『悦ちゃん~昭和駄目パパ恋物語~』第1話

明るく楽しい連続ドラマが始まった。"時代劇"ならぬ"時代ドラマ"枠だそうな。『みをつくし料理帖』は総合点の高い時代劇だったが、小野寺のぎすぎすした物言いが、やっぱりいかにも藤本調で大好物とはいかなかった。今回は、昭和初期の風俗を楽しめればじゅうぶん程度にしか思っていなかったが、期待を上回るおもしろさである。
原作は未読。『パリの日本人』(鹿島茂)を読んで、獅子文六にはやや興味を持ったていた。モダンなセンスはパリ留学のたまものなのだろうか。『パパママソング』のかわいらしいこと!

「一癖ある中年男が主人公の、超絶楽しいドラマをやりたいですね…」(家富P)
民放ではマイベスト3に入るのが『結婚できない男』。『悦ちゃん』はNHKコメディ部門でマイベスト3に入るかなっ!?

まだ農業国だった大正昭和の日本で、都市部だけは中流階級が文化的生活やら自由やらを謳歌していた。
――当時、中流以上の家庭に使用人がいるのは珍しいことではありませんでした。
そこそこ出来のいいドラマでも、スルーされることが多々ある事実を堂々とナレーションで説明してくれた。大量の家電と少ない子供に囲まれたいまどきの主婦が「人に手伝わせるなんてズルい!」とか「アタシの生き方を否定するのか!」とか、勘違いなクレームの電話を入れませんように、ナムナム。

BGMは楽しく、色調はペロペロキャンディかなんかのように明るく、演出はテンポよく、大人も子供もお芝居がしっかりかみ合っている。成人女性がみんな額を出したすっきりした髪形なのも気持ちいい。碌さんだけは最後まであのまま?

生活重視か創造性重視か、見せようによっては重苦しくなりかねないテーマも、ほどのいいところで切り上げた。

平尾菜々花の芸達者ぶりに参った。現代ドラマにこましゃくれた子が出てくると舌打ちしたくなることが多いのだが、悦ちゃんは何を言っても「気風がいいねぇ」と愉快になるだけだ。

ばあやにちゃんとお給金が渡るように、碌さんにはぜひヒットを飛ばしてもらいたい。

『ブランケット・キャッツ』第3話『二人ぽっちのブランケット・キャット』

健康、記憶、仕事、持ち家など今まで持っていたものを失った人々が苦しんでいた1話2話。
長らく持ちたかったもの――ものというか、子どもだが――をあきらめて、次に進もうとするのが第3話。世間的には前2話のほうが深刻と受け取られるのだろうが、石田夫妻の痛々しさが胸に迫る。不妊の原因が女性側にあるとはかぎらない、ことをこのドラマで初めて知る視聴者もいるのだろうな。それだけでも啓蒙的な価値があるドラマだ。

猫は人間の役に立ってるけど、人間が猫の役に立ってないじゃん、これがえんえん続くのか……と思いきや、今回はチャイがめでたく優しい石田夫妻に引き取られた。これで秀亮が負担するキャットフード代も七分の六に減るわけだ。

「子どものかわりだっていいじゃないか」
これは原作にもある台詞? 重松清は読みたい作家ではないのだが、こんな柔軟性のある言葉を書けるなら、極私的評価はちょっと上がる。

「がんばって猫のこと勉強する」
いや、有希枝さん、がんばんなくていいから。猫の生活態度から、ちっとはだらだらすることを学んでくりゃれ。
加藤虎ノ介は器用な時代劇俳優と思っていたが、今回はソフトな現代人男性を自然に演じている。ともさかりえは安定した助演ぶり。

『ブランケット・キャッツ』第2話『わが家の夢のブランケット・キャッツ』

岩合さんの『ネコ歩き』の向こうを張って、猫好きホイホイ企画がスタートした。

二匹一役はなさそうだ、二匹一役なのか三匹一役なのか? 初回、巧い具合に猫が椎名秀亮の肩に載ったが、あれは演技指導のたまものなのか、まさかトレーナーがぶん投げたのか? といろいろ気になる。

第1話も第2話も、猫の手を借りて人間の家族や恋人が関係を修復するストーリーだった。
「やっぱり飼わない」パターンは最終回まで続くのかしらん。

マギー演じるお父さんを見て心で泣いた男性視聴者は、少なくないと思われる。長じて"遊ぶ権利と保護される権利だけ疑問に思わない主婦"になりそうだった長女を、母親がちゃんと叱ったのでほっとした。頭の良し悪しとは? についての台詞は、ちょっとユニーク。父親役の長台詞は(おそらく原作者の癖で)一部説明過剰。

人間側のレギュラー陣だけのシーン……とくに秀亮と美咲がティーンエイジャーのごとく意地を張り合う場面になると、脚本といい演技といい"ドラマのNHK"と思えないレベルに落ちるのがなんとも残念である。

画面を白っぽく見せる作りなのも手伝って、西島秀俊が屋外にいると〇〇ハウスのCMみたいと思うし、屋内にいると家電のCMみたいだと思う。服装もそれっぽい。
主人公はなぜ倉木のような口調で話すのだろう? 元サラリーマンなら、店に来る人に敬語を使いそうなものだが。

来週も猫とゲストの芸が楽しみだ。