『すばらしき世界』(監督:西川美和

ネタバレあり。

 

「娑婆は辛抱の連続じゃけど、空は広か、ち言いますよ」

姐さんのこの台詞を聞けただけでも、この映画を見た甲斐あり。監督の取材力のたまものなのか、想像力のたまものなのか、自由を言い表すのにこんないい言葉があったか! と感動した。

 

*ムショ帰りの男と福祉を扱うとなったら、浅いプロパガンダ映画になりがちなところ、まったくそうならないだけでも21世紀の邦画としては超上出来。人間を見るあたたかなまなざし、とか厳しくも暖かな目と言い切るのはちょっと違う気がする。西川監督の特徴は一貫して「ありのままに人間を見ようとする」姿勢ではないだろうか。感傷趣味にも糾弾趣味にも走らず、「ありのままに」を目指せる日本の実写監督はなかなかいない。ドキュメンタリー作家でさえそうである。兄弟間の断絶や隠れた憎悪などマイナス面を描いたのが『ゆれる』、他人同士のつながりから優しい世界が広がることもある、とプラス面も描いたのが本作、というところか。

*深刻ぶった野暮な味付けがないのも本作の美点。オタクと一緒に教習所で技能教習に出る場面や、階下の騒々しい住人と果し合いになりかける場面のBGM含めたユーモラスな演出がよかった。三上にはドン・キホーテ風味がある。だからこそ生きづらい。

*三上がチンピラたちを半殺しにする現場から全速力で逃げた津乃田。最後は三上に会いたくて、死んだなんて絶対に信じたくない一心で、全速力で駆けつける津乃田。こういう対比がほかにもあるのかもしれないが、気がつかず。

*女性登場人物について。三上は母に会えずじまいだが、母性のある保護司の妻ともソープ嬢に出会えたのが救いではないか。愛しい元妻と電話で話せてデートの約束ができてよかったな! あの場面は彼にとってひと時の夢である。TVプロデューサーはもっともらしいことを言いながら、「おいしい絵」で視聴率稼ぎたいだけのいけすかない女。わからんちん相手に何度も同じ説明をしなければならなかった婦人警官にはおつかれさんの言葉しかない。

*保護司の先生が、三上にとって都合がいいだけの人でなないのもリアル。孫の誕生会で盛り上がってるときには、出所者より孫が大事だなんてあたりまえのことだ。

*スーパーの店長は、元半グレだからこそ、三上の危険な要素を敏感にかぎとるし、過剰反応する。打ち解けてからも、きれいごとを言わないところに大変好感が持てる。

*どの登場人物にもその立場なりの言葉がある。下に意地悪な施設職員については、たしかにいじめも、そしてそれ以上に物まねも醜悪である。が、「国が補助金出すもんで、施設側はアレな人たちを雇うけど俺らとしては迷惑」なのは嘘ではない。責任感の強い介護職員がこんなふうに感じることすら責める人には想像力がなさすぎる。監督の趣旨とはちがうだろうが、秀才の役人が弱者救済で決めた補助金が現場を苦しめることがあるとか、補助金が本来の目的とは全く違う方向で悪用されているとか(現場の知人談)、大マスコミが隠す現実を思った。

ケースワーカーの「見方を変えてみたら」は、人生全般に使えそうなよきアドバイス。ああいう仕事をしていると、裏切られることのほうが圧倒的に多そうだし、人間不信になりがちなはずだが、その方面には攻め込まなかった。まあ、そんなことしてたら上映時間が2時間半を超えてしまうけれども。

*わけありの住民だらけのアパートなのに、新品の自転車を外に駐輪しておける……海外で公開されたら「ニホン、マジカ?」と驚かれるはず。

*前科者がソープ嬢の包容力に癒される下りの演出がいいなぁ。PTA根性の人々がなんか言ってきませんように、ナムナム。

*上映時間を長めに勘違いしていたため、主人公の就職が決まったあたりで、「横暴な入居老人相手にキれたり、マスコミが興味本位でまた追いかけてきたりで、もう一波乱あるのだろうな」と予想したが、外れた。

*津乃田の最後の叫びの場面だけはちょっと長いと感じた。三上の急死で、自分の生き直しが頓挫したショックを味わったわけではあるが。

*今作の演出でもっとも特筆すべきは、主人公の死に顔を映さないことではないか。安直な催涙場面は作るまいという、監督の意地または美学? 死の直前男の胸をよぎったのは、もうすこしで元妻に会えたのにという無念か、支えてくれる人たちに出会えたという幸福感か、あるいは働ける場所を見つけたけどそこに居続けるにクズみたいな真似をしちゃったという後悔の念か……みたいな問いを投げただけ? 12歳以上の観客なら三分の二くらい(?)は意味がわかる、一枚だけ取り込まれない洗濯物の撮り方にもしんみりした。

*最後に三上のアパート前で、間隔をあけて立つ保護司、スーパーの店長、ケースワーカー、津乃田。俯瞰で撮るところに含みを感じる。小さいけどそれなりにすばらしき世界。死んで駆けつけてくれる友達がこれだけできた! という絵でもある。
*これからコスモスを見るたびにこの映画を思い出しそうだ。『友だちのうちはどこ?』のラストの押し花と同じくらい、花がインパクトの強い小道具になった。

*芸達者ぞろいのキャスティング。いい台詞を当てられたこともあり、キムラ緑子そのものも印象に残った。人助けのために雇っているのであろう庭師の老人に「今日はもうあがってよか」と声をかける芝居も、あの女優さんにとってはお茶の子だろうが、深いものを感じた。男優では『タモリ倶楽部』でしか知らない六角精児が一押し。マスコミに食い物にされるぞ! と大人の忠告をするくだりにも、軍資金を渡して「ちゃんと働いて返してくれ」と励ますくだりにも、地に足の着いた市井の人の味があって忘れがたい。

*極限まで暴力を排除した文化を作ってしまった日本。日本刀を振るった時の三上はたしかにやりすぎたのだが、襲われている人間をかばおうとしたら、たちまち「加害者」にされてしまう清潔な国って、このままでいいんかな、となどとも思った。