『麒麟がくる』第四十一回『月にのぼる者』

同じ池端俊策作品でも、おおむね俯瞰的な視点で描かれた『太平記』にくらべると、なるべく光秀から見える世界を中心に描かれる『麒麟』はダイナミックな味わいという点ではやや物足りないところがある。庶民の視点とやらを強調したいのか、東庵と駒の出番が妙に多いのも違和感がある。
だが今回の帝登場シーンはそんな不満をかなり払拭してくれた。月と帝と十兵衛と吊り灯籠をすべておさめた画面は、永久保存したくなるほど美しい。その後の美しくも禍々しい月のドアップ、それと一瞬重なる玉顔にも、通常のテレビドラマを超える趣があった。
「力ある者はみな、あの月へ駆け上がろうとするのじゃ。 朕はこれまで、数多の武士たちが. あの月へ上るのを見て参った。 そして、この下界へ帰ってくる者はなかった」「信長はどうか?」「この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」
玉三郎の絶妙なせりふ回しと、これまで以上にドラマチックなジョン・グラムの音楽のコラボが聴覚的にも興奮させる。

太平記』の後醍醐天皇の存在感も忘れがたいが、今作の正親町天皇は出てくるたびに圧倒的な存在感を放つ。来週以降もお出ましになるのだろうか? 光秀の三日天下をへて、「無残な謀反じゃ」とかのたまわれるのだろうか……。少なくとも、あと二話か三話で光秀が信長に反感を覚えるたびに、この場面が回想として流れそうではある。

愛に飢えたアダルトチルドレン的な信長像がおもしろい。森蘭丸は出さない意向なのか? 小姓がいないのと、今まで以上に対面時の信長と家臣の距離を強調した撮り方をするのとで、信長の孤立感が際立つ。


再来年の大河が発表された。古沢良太池端俊策クドカン大森寿美男と並んで好みの脚本家であるが、二時間で終わる映画と、一話完結の趣が強かった『リーガルハイ』や『デート』しか知らない当方にとっては、長丁場の物語の構成力は未知数である。時代劇に興味があるという話も聞いたことがない。ここ数年の傾向からして、新しい学説は積極的に取り入れられそうだから、そこだけは楽しみだ。主演はお若いジャニーズの人か……と思ったら、実はもう四十歳とのこと! アイヌがからんだ薄っっぺらいポリコレドラマに主演したのは、大河の前哨戦ということだったのだろうか。