『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』海外レビューその1

https://www.theguardian.com/film/2020/may/29/do-i-really-care-woody-allen-comes-out-fighting

以下は、”The Guradian”の記事の部分的な紹介。全訳ではない。[]内は私見

 

二十歳のウディ・アレンは、作家ダニー・サイモンからコメディについてのルールを教わった。「一番大事なことは、自分の判断を信じること。外野の意見なんかに意味はない」。これは彼が出版したばかりの自伝”Apropos of Nothing(突然ですが)”でも引用している。コメディアン歴70年、映画監督歴55年の男が、この25年というもの主に取り沙汰されるのはスキャンダルだった。アレンは語る。「僕が何を言っても自己弁護としか取られない。だから黙って仕事をするしかない」。『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は84歳の映画監督の48作目の映画となる。49作目はすでに撮り終え、コロナさえなければ50作目にとりかかる予定だった。

 

スキャンダル発生は、1992年。彼が57歳で、当時のパートナー、ミア・ファローの養女スーン・イーと関係を持った時のことだ。恋人との決別に際し、ファローは、アレンが7歳の養女ディランに性的虐待をはたらいたと言い出す。(当時二人には、14歳になる養子モーゼスと4歳になる実子ローナンがいた。当時ファローにはほかに6人の子がいた)。一連の騒動の最中、ファローは、アレンはゲイでローナンを虐待したかもしれないとも言い出す。[語るに落ちるというやつではないのか?]「これでもう、僕は彼女の言うことにまともに取り合っても無駄だと思ったね」。ファローの関係者筋によれば、今ではファローはアレンがゲイだともローナンを虐待したとも思っていないそうだ。自伝の売上に貢献したくないからアレンに反論する気もないし、自伝の訂正を迫る気もない、という。

 

ジャーナリストとなったローナンは、2014年以来、「有罪にならなかったからといってアレンを野放しにするべきではない」とニューヨークタイムズなどで訴えてきた。近年は、被害を申し立てた女性に賛同しないだけで叩かれる風潮であるから、1992年のことを知らない若者たちはアレンをハーヴェイ・ワインスタインビル・コスビーと同一視しがちである。だが後者二人が複数の女性から訴えられ、有罪判決を受けたのにひきかえ、アレンの性的虐待疑惑が持ち上がったのは一回きり、しかも起訴すらされていない。新聞雑誌に載った裁判の写真は親権絡みであり、刑事裁判のそれではなかった。なぜ「性的虐待者」呼ばわりしたニューヨークタイムズを名誉棄損で訴えないのかと問うと、アレンは「そのために2年間もタブロイド紙に追い回されるのはごめんだね。あんなことは気にしてないよ」。自伝を読む限り、この言葉は本音ではない。自伝に描かれたファローとの泥仕合はさながら『ラジオ・デイズ』か『クレーマー・クレーマー』である。ファローの申し立てについて、何も知らない外野がさも勇敢な人間のような顔をしてアレンを責め立ててきた。あきらかに、彼は深い心の傷と憤りにさいなまれている。

 

今年3月、Hachette社はローナンの抗議に屈してアレンの自伝出版を取りやめた。『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』撮影終了後に世間の風向きが変わったのを察したかつての仕事仲間は、アレンとの仕事を悔いていると表明した。ミラ・ソルヴィノ、グレタ・ガーウィグコリン・ファースレベッカ・ホールたちだ。いっぽうアレンを擁護したラリー・デヴィッド、ダイアン・キートンアレック・ボールドウィンアラン・アルダスカーレット・ヨハンソンは世間の非難を浴びた。アレンは自伝中、彼らに謝意を表明している。

 

自分を非難した俳優たちをどう思うか問うと、アレンは「ばかげている。彼らは事実を知らずに、安全なポジションにしがみつくだけだ。僕を叩くのが最近の流行りだからね。ケールがある日突然ブームになるみたいなもんだ」。外野の意見なんかに意味はないのだ。

 

ティモシー・シャラメは僕との仕事を後悔していると公言し、ギャラをチャリティーに寄付した。なのに、僕の妹(プロデューサーでもある)に向かって、オスカーにノミネートされてるから、ああせざるを得なかった、彼もエージェントも僕を批判すればオスカーのチャンスが増えると判断した、とのたまったそうだよ」。シャラメたちにこの件でコメントを求めたが、返答は得られなかった。

 

1992年の事実はこうだ。ファローがアレンの性的虐待を訴えたのち、複数の医者がディランを診察したが、虐待の証拠は発見できなかった。エール・ニューヘブン病院とニューヨーク市児童福祉局はアレンについて調査した結果、ディランへのいかなる虐待の痕跡もなしとの結論を出した。児童福祉局の調査は14ヶ月におよんだ。エール・ニューヘブン病院のジョン・レヴェンタール博士は、ディランの発言は「何度も練習させられたタイプのものであり、母親に稽古をつけられた可能性がある」と証言した。親権裁判の担当判事エリオット・ウィルクは、博士の説を裏づける証拠はないと断じる。

 

だが、2018年のモーゼスの発言はレヴェンタール説を補強する。「母は子供たちを洗脳していました。子としての忠誠心を示すために、僕たちは母の用意したシナリオに従うことを強いられたのです」

 

ファローはエール・ニューヘブン病院はろくに調査などしていないと言い張るが、報告書によれば、ジェニファー・セイヤーズとジュリア・ハミルトンが半年間、9回にわたってディランと面接している。二人は同病院のチームのメンバーである。レヴェンタール博士は、職務上の理由で同件へのコメントを控えている。

 

児童心理学者スーザン・コウツ博士は、アレンとディランは過度に親密であったが、そこに性的なものや恋愛感情はないと評する。言い換えれば、アレンはファローの年長の子供たちには深い思い入れがなく、ディランだけを愛した。ディランはファローがアレンとの交際中に養子にした子であり、また赤ん坊の時からアレンが育てた初めての子でもあったからだろう。ディランのセラピスト、ナンシー・シュルツ博士は、アレンはディランを性的に虐待していないと言い、アレンのセラピスト、キャサリンプレスコット博士は、「アレン氏が性的倒錯や異常性行動の兆候を示したことはない」と証言する。

 

唯一、アレンのディランに対する行為を「性的」と評したファローでさえ、親権審理では「あの時私が使ったのは性的という言葉ではありません……[状況が?]あまりに過酷で耐え難かったから……」と言った。おまけにスキャンダルの2ヶ月前、彼女はアレンがディランを養子に取ることを後押ししている。[結婚していないカップル間の養子の制度がよくわからない]

 

フランク・マーコウ州検察官は、アレンを起訴する相当な理由があるものの、ディランのトラウマになるから起訴しないと言ったことを知られている。だが人々の記憶にはさほど残らないようだが、次のような発言も残した。「合理的な疑いを示す証拠がある場合、児童の福祉は衆人環視にさらされる犠牲よりも軽んじられるべきではない」。今週、マーコウに電話取材したところ、「あの時点では、あの児童が法廷で証言するのは無理だった」との回答を得た。結果として、「合理的な疑い」よりも「相当な理由」がアレンに付きまとうこととなってしまった。

 

ウィルク判事は初手からアレンに悪感情を持ってきたようだが、「性的虐待で起訴するとしたら、スーン・イー対象以外は考えにくい」との持論を持つ。21歳の女性との関係を、7歳児の性的虐待と並べるのは不当であるが、二つのスキャンダルをごっちゃにする人が多いのはわからなくもない。

 

アレンは言う。「世間の人はスーン・イーが僕の養女だと勘違いしている。僕がいかれた人生を送っていると思い込んでいる」。ウィルクも、1990年、スーン・イーが二十歳になるまで彼女とアレンの接触はほぼ皆無だったことを認めている。アレンの結婚が犯罪ではないにしても、ローナンのように道徳的に問題視する人々はいる。

 

二人の結婚時、スーン・イーは加害者扱いされ、同時に被害者扱いされた。49歳になった彼女は、アレンと28年同居し、結婚23年を数え、二十代の娘二人の母である。

 

1992年、性的虐待で告発されたころのアレンは、パートナーの養女が不倫相手だったのだから、批判されてもしかたないと考えていた。だが現在の彼は、ローナンやディランの心を傷つけた虚偽の申し立てが、自分のせいだとは思っていない。

 

アレンは良く言えばナイーブ、悪く言えば鈍感なのかもしれない。自伝の読者たちは、彼のヨハンソンやセドゥーへの称賛ばかりを取り沙汰し、キートン、ウィースト、といったベテラン女優たちの才能に惜しみない賛辞を送っている箇所を無視しがちだ。自伝で彼は語る。「たしかに僕は年の差カップルを何度か描いてきた。精神分析や殺人事件やユダヤ・ジョークを使うのと同じ、おもしろいプロットで客を笑わせるための手段としてね」

 

「『レイニーデイ』でも中年の監督が女子大生を追いかけるプロットを捨てようなんて考えもしなかった」。悪いことはしていないのだから、慎重に行動しなくたっていい、というわけだ。

 

アレンは、自伝にはファローに告発されてからの悲しみや憤りを記しているが、インタビュー中はつとめて冷静に語っている。「我が子の成長を見る機会を奪われたことにも、ディランやローナンが受けた扱いにも怒りを抱いている。二人とは25年も会えずじまいだ。二人とも、僕を最悪の人間だと思いこむよう育てられてしまった。けれど、仕事面ではなんの被害も受けてない」

 

これは虚勢というものだ。一部キャストが二度と組む気はないと言い出したのみならず、アマゾン・スタジオもアレンが2018年のインタビューで「僕は#MeToo運動の広告塔になるべきだ。何百人もの女優と仕事をしてきたけれど、一度もセクハラで訴えられたことがない」と言ったのち、4本の契約を撤回した。アレンの言う通り、女優に対するセクハラの噂さえなかったし、男優にも女優にも平等にギャラを払ってきた。それでも、アマゾン・スタジオは「あの発言は運動の妨害になる」と主張した。アレンはスタジオを訴え、昨年中に示談が成立している。

 

彼は自伝で語る。「世の不正ゆえに作品が母国で受け入れられない芸術家たちの夢を見る。ヘンリー・ミラーが出てくる。D.H.ローレンスも。ジェームズ・ジョイスも。僕も彼らにまじって反抗的な姿勢で立っている。すると、妻に揺り起こされるんだ。『あなた、いびきをかいてるわよ』ってね」

この10年間、彼はドキュメンタリー映画から削除され、映画評論家からボイコットされてきた。大統領選挙戦にあたり、夫婦でヒラリー・クリントン献金したところ、突き返されてしまった。外野の意見がものを言うこともある。

 

法執行機関と専門家にとってはアレンは無実だが、ディランとローナンの気持ちはそうではない。そして後者の見方が、大学の授業からも映画祭からもアレンの作品を駆逐する力を持っている。人々は彼を罪人扱いする。こんな態度は不道徳と言わざるを得ない。28年かかってもアレンの犯罪の証拠は皆無なのだ。

 

映画の中で21歳の女性が中年男に惹かれていることは、中年のアレンが7歳児に何かしたことの証明になるはずがない。このことに気づき始めた人々もいる。コロナ禍で映画館客が激減し、国内公開がなく、一部キャストスタッフに縁切りされたにもかかわらず、『レイニーデイ』はここ数年のアレンの作品としては一番の興収をあげている。観客は長年かわりばえのしないゴシップに飽きたのかもしれないし、長年かけてやっと事実を読み取ったのかもしれない。

 

アレンはインタビュー中何度も「僕は平気だよ」と言った。今でも映画を撮れるし、スーン・イーとのあいだにもうけたベシェもマンジーはアレンを悪魔と考える世代に属するにもかかわらずスキャンダルの影響を受けていないという。

 

これは、モーゼスの子供時代と対照的だ。「母(ミア・ファロー)はウディの裏切りを生活の中心に置いてきました」。だからこそ、アレンは表向き平気だと主張するのではないか。怒りをあらわにすれば、身近な人間が傷つくとわかっているのだ。すでに二人の子供を失った今、さらに実の娘たちを失うような真似はしたくないのだろう。

 

アレンはいつかは皆が児童虐待など濡れ衣だとわかってくれると楽観した時期もあったが、今では諦めの境地のようだ。「現実はこんなものさ。僕としてはコツコツ働いて、世間が正気に返る日を待つのみだ。その日が来なかったら、それまでのこと。世の中にはもっとひどい不正が山のようにある。これしきのことでへこたれちゃいられない」