『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(監督:ウディ・アレン)

ネタバレあり。

 

ギャツビーとアシュレーは、ニューヨーク州北部のこじんまりした大学に通うカップル。大学新聞の記者でもあるアシュレーは、映画監督ポラードに取材するためマンハッタンまで遠出する。ギャツビーは恋人に街を案内してやりたくて同行し、(親の金で)高級ホテルに泊まる。アシュレーの取材は2時間ほどで終わり、その後はデートのはずだったが……。

 

久々に小粋で楽しいアレン節を堪能した!

映画を愛し、音楽を愛し、なによりニューヨークを愛する監督の珠玉の小品である。主人公二人はてんでに複数の小さなアドベンチャーに遭遇するにもかかわらず、いつも通り無理なく全編1時間半におさまっている。

 

ギャツビーのしゃべり方はウディ・アレンそっくり。すらりとした長身にやけに綺麗な顔立ちなのに、終始アレンのオルターエゴとして見ることができた。「ギャツビー」なんて友人が嫌味でつけたあだ名なのかと思いきや、本名という設定だった。

 

アシュレーは映画監督からも、監督に苦労させられている脚本家からも、女たらしの俳優からも言い寄られる。洗練された、あるいはすれっからしの女ばかり相手にしてきた業界人にとっては、少々野暮ったい子と一晩遊ぶのも新鮮味があっていいのだろう。と思ってしまうのは当方の心が汚れているからで、監督としては「純真なアシュレーはミューズ向き」と解釈してほしかったようだ。

 

ギャツビーはハイカルチャー趣味を押しつけてくる教育ママに反発を抱いてきた。幼馴染に言わせれば、「だったら自分で稼げばいいじゃない?」。終盤、彼は母親から驚くべき真実を告げられ、大人の階段を一つ登る。さらに、本当に自分と合う女性は誰なのかにも気が付く。

アシュレーのほうは、危ない目に遭いかけたのに、トラブル続きの取材旅行でお利口になったのかどうかはなはだ心もとない。このへんの皮肉な味付けもアレンらしくてよし。皮肉と言えば、ついてないギャツビーは賭け事でも失敗する方向に行きそうだが、そちらの勘だけはいつも以上に冴えてしまうのが、おかしくも悲しい。

ギャツビーが共和党びいきのリッチな両親をけなすいっぽう、意識高い系の民主党派をおちょくる場面もある。いまどきの米国映画界では、こんな軽さも希少なものになってしまったのだろうか。

 

ふんだんに水を使った野外シーンも魅力的だが、高級マンションのセンスの良い絵の飾り方や、豪華なパーティーシーンもたいへん楽しい。どうも邦画はこの手の贅沢な味わいを与えてくれないので。

アレンの映画を見たあとは、映像と同じくらい音楽も後を引く。今回は『エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー』が、ギャツビーの心情の吐露のために作曲されたかのように活きていた。

 

古田由紀子の字幕はもちろんすばらしいのだが、Jose Ortega y Gassetを「ガセット」とするのには違和感あり。「オルテガ」が一般的ではないのか。Fashion Institute of Technologyの定訳が「ファッション工科大学」というのは初めて知った。Mark Rothkoの名も作品も初めて知った。

 

クリエイターの噂など気にしても仕方ないと考えるほうだが、才能ある映画監督が事実ではないことを根拠にかなりダメージを食らっていると知る。なんたる理不尽か!  ミア・ファローが恋人だったアレンの不倫に傷ついたのは当然のことながら、その後の反撃方法はお世辞にも褒められたものではない。映画評&騒動の関連記事を次に紹介したい。#MeToo運動が寛容か非寛容か以前に、事実に言及することを封じる風潮が恐ろしい。それでも、アレンはニューヨークやロンドンを仕事場とするから今程度の傷ですんでいるので、ハリウッド映画の作り手だったら完全に職を奪われていたかもしれない。