『麒麟がくる』第十七回『長良川の対決』

たいていの大河では4~6月あたりに主人公の父親的存在が退場、代替わりが行われる。
今回はそれに当たる一つの山場である。
作り手が力を注いだのは道三の死の見せ方だったろうし、視聴者側も多くはそこが目玉と感じたようだ。

自分は明智家の代替わりの場面と、光秀と地侍たちとの別れの場面のほうに打たれた。
前回まで、薄い物語をジョン・グラムの音楽でカバーする場面が多々あったが、今回の感動的な場面では内容とBGMがマッチしていた。
義理堅い光安が、実子ではなく亡兄の嫡男に次代を託す。自分が知る限りの大河では、新パターンである。
傑物ではないが周囲に目配りもきき、誠意のある男、光安。西村まさ彦は『真田丸』の役柄もよかったが、今回はひねりがきいていないのに魅力のある、やりがいのある役だったと思う。

人望のある武家と領民の涙ながらの別れ。時代劇ならではの様式美である。池端の作劇だから、今後は恩知らずの家来というのも十分に描かれるであろう。それだけに貴重な一こま。
「今日まで長々とお世話になりました。私も村の者も何もお助けできず、口惜しいかぎりでございます。お供をしてお守りしたくとも、田や畑は持って歩けませぬ。ご一緒にと思うても……できませぬ」
「かたじけない。そう申してくれるだけで……我ら明智家こそ、長きにわたり皆に支えてもらい……世話になり……それが、こうして出ていくことになろうとは……無念と言うよりほか……伝吾、すまぬ。無念じゃ! 皆の志はまことにありがたい。だが早々に立ち帰れ! 皆、達者でおれよ。また会おう。また会おうぞ!」
「行くぞ!」
「はい!」
徳重聡の前に伸びない感じの発声は、いつもは苦手なのだが、今回はデリケートな表情作りもふくめて立派な演技と感じた。兵農分離以前の田畑を耕す侍を、ここまできちんと説明して、小中学生にも勉強になったのではないか。
動きたくないとごねるお方様を、笑って送り出そうとする演技も心にしみる。
高政軍の声の伝わり方と、十兵衛の館と光安の館の距離感がなんだかちぐはぐで残念。

道三の家紋、二頭立波はてっきり大河オリジナルかと思いきや、実在だったと知る。大河効果で人気が出ているようだ。書店や図書館に足を運ばなくともレアなことの調べがつく。ありがたい時代である。

モッくんは『ファンシィダンス』などのナチュラルな芝居もよかったし、『徳川慶喜』のタイトルロールや『坂の上の雲』の秋山真之役の渋い演技もよかった。が、今回はちょっと台詞の聞きづらさが気になった。密着ドキュメンタリーではコンプレックス云々と言っておられたが、だったら発声のトレーニングをすればよいのにと思ってしまう。次は怒鳴らない役をやっていただきたい。

帰蝶が父親の討ち死にを聞いても、涙にくれるのは短時間で、すぐ次の対策を練るところが、さすが戦国の女という感じ。伊呂波太夫の出番が多すぎると、ちょっと嘘っぽくなるのでほどほどにしてほしい。池端脚本とオノマチの相性の良さは知っているけれども……。

来週はいよいよ光秀が朝倉家と関わるもよう。新展開が楽しみだ。駒の髪型は「まだ子供」の象徴かと思っていたが、ずっとあのままなのだろうか?