『麒麟がくる』第十四回『聖徳寺の会見』

「暗い、見にくい」と苦情が来ないように画面を明るくし
「むずかしい」と言われないように諱呼びを多用し難解な用語は避け
「男偏重」と煽られないように女性の出番をふやす
……という工夫を強いられていると想像するので、本来の好みではないと文句は言いたくないが、池端脚本! と聞いて興奮した日々を思うと、かなり冷めた目で視聴している。
今とは違って"命が軽い"ことをさらりと描いているところは好ポイント。これは『おんな城主 直虎』との共通点。
些末なことで過剰にくよくよする演出がないところは、昨年の『いだてん』からの好もしい流れだ。
戦国時代を扱えば国衆の力をおろそかにしない描き方も、すっかり定着した。

今回は蝮とたわけの対面が肝だったが、高政と蝮の対決のほうがおもしろく感じた。
歴史通の皆さんは、"高政=あかん子"がよ~く出ていてよろしい! というノリで見ておられたようだ。
意外と(?)伊藤英明のほうがモッくんより発声がしっかりしていることもあり、極私的には高政が圧倒的不肖の息子に見えなかった。直接信長を見てないんだから、しゃあないやん、という気分。
一番印象に残ったのは、稲葉良通と高政のやり取りである。

高政:土岐様が追い払われ、美濃には守護がいなくなった。誰がこの国を守る!? 一度会うただけの、海のものとも山のものとも思えぬ男に兵を出す。それがこの国の主だ。この国はつぶれるぞ。
稲葉:高政様、もはやぐずぐずできませぬぞ。高政様が家督を継ぎ、政を執るべきじゃ。このままでは、国衆がおさまらん。
高政:わしが家督を継げば、国衆はついてくるか!?
稲葉:わしが請け負う。急ぎ国衆を集め、家督を譲れと殿に迫るほかない。

「今こそ起て!」シーンは大河ドラマの醍醐味。主従の決意に満ちた表情と、力強いBGMに、「懐かしい、これが大河だ」と興奮した。『炎立つ』で漢のなかの漢、安倍貞任をひじょうに魅力的に演じた村田雄浩。今回もさらなる見せ場を期待したい。
深芳野の死に取り乱す道三。「わしはあれを愛していたのじゃ」なんて言い出したらどうしようと思ったが、それよりは味のある言い回しをしてくれてほっとした。
帰蝶が親父譲りのしたたか者と設定されているのは愉快。ほんとにエリカ様はもったいないことをしたのぅ。

蛍光ペンみたいな衣装が多いのにはついていけないが、衣装の色でキャラ分けするのはおもしろいアイデアではある。

放送開始前、池端氏が「光秀は聞く人」と定義していた。なるほど、理知的な表情で主君や同輩の主張をじっと聞く場面が多い。入力した大量の情報をどう咀嚼したのか、あきらかになるのは下半期に入ってからだろうか。

久しぶりに『太平記』を再見し、一人称「身共」の使用は踏襲していると知る。
麒麟』HPで脚本家リストに前川洋一の名を発見。この人にオリジナルをやらせて大丈夫なのかぁ??