『おしん』終わる

本放送は1983年4月~1984年3月。1981年の流行語が「クリスタル族」、1984年の流行語が「マル金」。日本中がなんとなく浮かれていた時代に放送されたドラマである。明るい時代だからこそ、ああいうしんどいドラマがヒットしたのだ、という説は当たっているのかもしれない。
橋田寿賀子は、戦後の日本人は豊かさと引き換えに大事なものを失ったと思い、この作品を書いたとか。ヤオハンダイエーの創業者をモデルにしたのではなく、丸山静江という女性の手紙が発端であったとは意外である。

人は貧しければ心がすさみ、金に余裕ができれば心がよどむ。

必死に生きた女の一代記を、大量の台詞で見せてくれた。おしんだけでなく、彼女と対立する人々にもそれなりの言い分があるのを、きっちりと語らせる力量がすごい。おしんの生き方も、けっして一面的に良しとはしない。戦時を批判的に描きながら、登場人物のだれも薄っぺらい悪人にはしていない。何事も多面的に描ける剛腕の脚本家ということはよくわかったが、橋田女史のドラマを見るのはこれが最初で最後になるだろう。『鬼渡』の評判を聞くだけでも、本来自分の好みではない作風と想像する。

世間で『おしん』というと小林綾子の名前ばかり出るので、3か月くらいは子役でいくのかと思っていたら、36回で終わりだった。「おしんの『しん』は信念、心、辛抱、芯、新、真の『しん』」が当てはまる利発で強く優しい子供だった。
貧乏のきびしさを描いて一番強烈に印象に残ったのが、白粉まみれの母おふじに抱きしめられたおしんが、「かあちゃん、いい匂いだな」と言う場面。おふじは言葉では応えず、おしんではなく視聴者にだけ見える角度で、酌婦の辛さ、我が子に対するうしろめたさを表情ににじませる。あんな力のある画面には、昨今なかなかお目にかかれない。

田中裕子版もまた山あり谷ありだが、さまざまな職種にたずさわることで特技を身に着け、人脈を広げていく展開には爽快感があった。3話続けていいことがあったら、次はどん底に落とされる、のパターンを学ばされるのは爽快ではない体験であった。
噂に聞いた佐賀でのいびり話は……姑も姑だが、用意してもらったよその家での出産を拒むあたり、おしんも相当強情モンであった。「お女郎さんのどこが悪いんですかぁ?」なんて発言には、おまいはちょっとばかなのか、と思ってしまった。

乙羽信子版のおしんは、艱難辛苦を経て人格円満になるかと思いきや、平凡な母親みたいにいつまでも死んだ長男を偏愛したり、自分が従順な嫁だったと記憶を改ざんしたり、はぁ、これが橋田リアリズムですか、という印象。朝ドラでここまで主人公のマイナス面をあらわにする作品て、ほかにあるのだろうか。

加賀屋の大奥様、髪結いのお師匠さん、的屋の親分、網元のおひさ。彼らメンターに恵まれたのが、おしんの幸運だった。おしん自身も誰かのメンターたりえたはずなのだが、仁が中途半端におしんの才覚を受け継いだだけで、傑出した教え子を持てなかったのは残念である。旅の道中、圭に加代の一生を話して聞かせたのが、メンター的な役割と言えないこともない。それにしても、圭くん、「加賀屋を再興する」ってどうやって??

戦前の貧しい奉公者や娼婦の働き方は、今だとさしさわりがあるということで描けないかもしれない。視覚的な表現とはまたべつに、今より言論の自由があったのだなぁ、今なら主婦層のクレームを恐れて削除される台詞だろーな、というのもちらほらあった。暇な人間は正直に「時間ならいくらでもある」とか「あたしは遊んでるんですから」と言うし、商売人同士で「働かないうえにお惣菜買う奥さんたち、家で何してるんですかね?」「さあ」とか。今から37年前は、テレビの前にいる方も、「田んぼや個人商店で働き詰めだったかーちゃんに比べれば、あたしはラクチン」と思うだけの客観性があったのだ。
道子は、"庶民なのに""働かず""文句ばかり言う"種族の走り。商い命の田倉家における異分子だが、時代の変化をあらわすには欠かせないキャラである。

なぜか一度もキャスティングが更新されなかった浩太役。親の金で活動してるボンボンとして、登場してしばらくは、やや演出に皮肉な視点が感じられたが、途中からそれがなくなった。ああいう御仁は、加代と結婚しても、たたき上げのおしんと結婚してもうまくいかなかったと思われる。個人的には、あの手の活動家がちゃんと商売人として成功したという設定自体に違和感を持つ。橋田先生、活動家タイプに甘いのかしらん。

 

日にたった15分でも、うっかり録画をためるとめんどくさくなる。これからは、家人につきあわされないかぎり、朝ドラと無縁の生活パターンにもどる所存。