『いだてん』とこれまでの大河、これからの大河

『いだてん』は、近現代スポーツ史を描いた傑作大河であった。
志ん生が語る"腹っぺらしのマラソン馬鹿と泳げないけど水泳大好きまーちゃん"だけの物語と見せて、彼らをめぐる人々、そして志ん生の半生も志ん生の芸に魅せられた父子の人生も語る、名人芸のオリンピック噺だった。

開始前から
クドカン
外事警察』、『TAROの塔』、『55歳からのハローライフ』、『トットてれび』、『あまちゃん』と数々の傑作を物してきて、いまだ大河登板がないのが不思議だった訓覇P
あまちゃん』、『64(ロクヨン)』そして『あまちゃん』の井上剛D
のトリオがスタッフの要をつとめるなら品質は保証されたも同じとは思っていたが、予想を上回る完成度だった。

つねに新境地を開こうと努力してきたクリエイターたちに言っては失礼なことかもしれないが……
あまちゃん』で芸能の力を描いたように、『いだてん』はスポーツの力、落語の力を描き、それが視聴者の感動を呼んだ。
陸上競技に打ち込む若者の姿が大人を励ます場面と同じくらい、震災に打ちひしがれた人のために運動会が開催される場面も印象に残る。みんなが体を動かして気分転換できたのはもちろん、その晩は眠れずに泣く人がいなかった、「疲れて眠っちまったんですな」というオチにもぐっときた。人間をまるごと凝視できる人ならではの話の展開だった。
どんな困難もお涙頂戴の手段にはしない。こういうところを他の脚本家や演出家も見習ってくれればなぁ。

『いだてん』がむづかしいなんて声もあったようだが、まあ自分も落語には不案内なので、放送終了後にSNS上の識者たちの書き込みを読んで復讐&楽しみの増幅に与ったことはある。でも、ぼんやり見てるとわからないなんていう、しちめんどくさい造りと感じたことはない。この一話だけ見てもじゅうぶん感動できるのでは?という回も多々あった。人情の機微やら元気いっぱいの若者たちの動きやら、知識なんかなくても感じられるお楽しみ要素は少なくなかった。

主人公は事実上、金栗四三田畑政治古今亭志ん生の3人……と書いたところで、嘉納治五郎と小松五りんも入れなくちゃだめかな、いや、勝、シマ、五りんの小松一家もか、とどんどん加えたくなる。五りんは、これから両親が志半ばでやりきれなかったマラソンに挑戦するのでは? と想像できなくもない終わり方だった。落語の世界に入って中退したかと思うと、親の世代と同じ経験をした三波春夫の門下生になったり、いろいろ親の人生を追体験するような生き方をしている。命や大衆文化の継承を象徴するようなおっちょこちょいである。

スポーツとかオリンピックの価値判断の基準として
おもしろいか、おもしろくないか
国民の健康な体作りに役立つか役立たないか
参加することに意義があるのか否か
勝てるか勝てないか
と、およそ四通りの見方をする人々を描き、最終回で民族の祭典の幸福感で締めた。
だが、「人生はサゲでは終わらない」の名文句とともに、四三やまーちゃんや小松夫妻や女子バレー選手のその後にも触れる。河西キャプテンは大松監督を父親代わりとして(劇中出なかったが佐藤首相夫妻が媒酌人をつとめたとか!)第二の人生に歩みだせたわけだが、とてつもない虚脱感からどうやって抜けたのか気になる。
冗談のようなほんとのエピソードだらけのタクシー運転手、角田晃広氏は日常世界に復帰できたのか?


捨て回がないこと、最終回の盛り上げ方まとめ方、オリキャラの使い方の巧みさという点では、過去のお気に入り作品のすべてを上回る。国の最高権力者が主役ではない大河でここまで時代の空気を描けるのも稀有なことと思う。
過去20年で全話見たのは半数の10作。『平清盛』は台詞のないシーンをつなぐと味のある絵巻風で、音楽が一級品だった。『おんな城主 直虎』と『真田丸』は国衆の目線から時代を描く意欲作で構成はしっかりしていたが、ギャグのセンスについていけなかったり、主人公ほか数名のキャラにまったく嵌まれなかったり、照明撮影の方針にピンとこなかったりした。
一年通してトータルで楽しめるのは『風林火山』(『八重の桜』も四分の三はよかった)が最後になってしまったかと、毎年残念な気持ちになっていたが、今回それが覆されて実に嬉しい。
『いだてん』は『獅子の時代』、『徳川家康』、『花の乱』と比べても遜色のない作品である。極私的にながらく『太平記』をベストワンとしてきたが、現時点ではこれと『いだてん』がツートップ。

あくまで目線は低く、とくに前半は片田舎の農家出身の四三から見たスポーツ界や日本をメインとして描きながら、ちゃんと明治、大正、昭和の日本がたどる道や海外スポーツ界の動きといった"大きな世界"の物語にもなっていた。

贅沢に何人ものメダリストを紹介する大河だったが、金栗と田畑の人生は順風満帆ではなかった。
金栗は学業優秀であるにもかかわらず、健康上の理由で海軍兵学校に入れない。父親の死に目に会いそこなう。マラソンの世界記録を出しながら、肝心のオリンピックではいつも結果を出せない。それでもめげずに、家庭をほったらかして後進育成に励む姿に心打たれた。
田畑は泳げないからにはとイベント立ち上げ係として奮闘するが、念願の東京オリンピックを目前に、JOC委員長を解任される。
敗者を描くのが巧い脚本家や演出家というのは、えてしてひがみっぽい視点で強者を描くものだが、そうならないバランス感覚が好もしい。各種大臣たちやエリート外交官たちにも、それぞれ個性と魅力が与えられていた。川島については、さして憎々しいとも思えず。良くも悪くも四三やまーちゃんとは違う世界に暮らす"一人前の男"としても存在価値があったと感じる。主人公ageのために誰かをsageる手法を取らなかったのも立派である。

山師の治五郎、とにかく走るの大好きな四三、口八丁手八丁のまーちゃん。誰一人として自虐的にうじうじしたり女房に甘ったるいこと言ってみたりという、近年の大河でフラストレーションの元になってきたキャラ設定になっていなくて助かった。女性陣も孝蔵に煮え湯を飲まされつづけたりんはどんどんたくましくなるし、菊枝は亭主の長所も短所も知りつくしたプロの妻となるし、女子アスリートたちは窮屈な環境でも努力を惜しまない。深刻ぶらない、被害者ぶらないのもこの大河の作風の好きなところ。

金栗が教鞭をとる女学校メインの回。ずいぶんと女子スポーツを持ち上げるなぁ、もしかしてクドカンもポリコレ警察に脅されたのか?……というのはとんだ失礼な邪推であった。トークショーでご本人曰く「次の週が関東大震災だから、対照的に華やかにした」。

美川が満州を最後に出てこなくなったのは、時間不足でやむを得ず? 彼がオリキャラではないという情報に、まず驚かされた。

日清日露から第二次世界大戦までずいぶんな数の戦争をこなす大河でもあったが、未来人みたいな偉そうな反戦論者を出さなかったのも見識である。実はNHK上層部から「出せ出せ」と横やりが入ったりしたのかしらん。
歴史にも人にも敬意を払う志の高い大河であった。
個人のトラウマやらなんやら重視で"小さな物語"がもてはやされがちな昨今、きちんと"大きな物語"を創作してくれたことにも感謝したい。

大友良英はRealsoundのインタビューで「先がわからないので、音楽の造り方がすごくむずかしかった」、「演出の都合で終わりの部分を変えざるをえなかったのが残念」などいろいろ語っていた。まあ、素人でも大変だったのは想像がつく。ほかにインタビューで肝と感じた発言は
「いくつものストーリーが入ってる。いろんな落語が入っているけど、とくに『富久』は重要なんだと思う。(見る人の教養が問われるみたいな、とのインタビュアーの言葉に応じて)そういう意味では普通のドラマよりハードルは高いですよね」
「音楽はむしろ理屈っぽくならないように直感的にわかるように心がけたかな」
「情緒だけじゃなく設定がわかるというか」
「シーンがけっこうカットアップで行ったり来たりするから、それに合わせて音楽がズタズタになるとあんまり良くないと思って、多少筋は無視していいから音楽を長くかけられるように作ったほうがいいと俺は思って。その長かけの秘訣は、一番最後のシーン、ここでこの音楽を落としたいっていうところに合わせて、その前はどうあれ付けちゃうっていう作戦に、だんだんなっていってるかな」
「やっぱり時代劇とは違いますよ。ちゃんと自分に繋がってるって意識でどっかでやってるから、音楽の中に自分の歴史を込めようと思ったところも……」

"教養"といえば、妙なインテリ臭はないけど教養はあるクドカンみたいなタイプは、今の演劇界映画テレビ界はもとより全国的にも希少な存在なのかもしれない。

取材担当の渡辺直樹氏も大功労者の一人なのだろう。奈良時代などと違って、資料がありすぎて整理に苦労されたのではないかと推察するが、その大量な資料から捨てるべきものを決断したクドカンも偉い! なんで報道部のNHK局員はこういう良心的な仕事ができないのだろう。

役者たちは途中降板した人もふくめて皆さん好演。(青年期の志ん生のギスギスした雰囲気だけは違和感を拭えなかったが)
大物俳優扱いされながら、ちょっと引き出しが少ないのでは? という印象だった役所広司が、(役柄上)死してなおメインキャストの一人として最後まで牽引してくれた。菅原小春の芯の強さ、たたずまいの美しさが忘れがたい。この人で映画を撮る監督が出てこなかったら、邦画界はどうかしている。一癖ある役が多かった大東駿介が堂々たる正統派の男前な役を演じても、やっぱり巧かった。中村獅童の、怖かったり慈愛溢れたり、弟の姑相手にびびったりするあんちゃんがとても懐かしい。三谷幸喜が悪ノリするかと心配したが、杞憂に終わってよかった。
多少舌が回らなくなっていても、全体的な演技としては、志ん生はやはりビートたけしがベスト。

『いだてん』はきっと諸々の賞を受けるだろうし、後年再評価されることと思う。今年の低視聴率の原因は
1.マスコミが「一桁出した」のなんのと騒ぎすぎ。新聞に影響されやすい人々が、そういうのを読んで民放に流れたのだろう。
2.一部のリベラルを自認するファンが世間を誤解させるような騒ぎ方をしてくれた。思いもよらない場面について「ここは日本人の愚かさをよく描いている」とはしゃいだり、逆に「もっと影の部分を描かないのは腰が引けてる証拠」だのと、ぜんぜん普及に貢献しない暴れ方であった。
3.友人によれば「行ったり来たりが多すぎて、老人が見たらどの時代かついていけないと思う」とのことなので、それはあったのかもしれない。でも、ここを変えたらそれはもはや『オリムピック噺』ではない。
4.みんな大好き信長も龍馬も出てこない。でもここを変えたら(以下同上)
なにごとも質と量は両立するとはかぎらないし、昨今はテレビ以外にも娯楽が溢れているし、スタッフ、キャストとも、数字のことなんかでクヨクヨせず、立派な仕事をしたことに誇りをもっていただきたい!

年末に恒例の大河総集編を放送するそうだが、ファンが気にしている美川くんがなんかの形で出るらしい。これはまた録画決定だな。来年以降、『いだてん』を再訪することがあったら、ぜひパラリンピックがらみの名作『太陽を愛したひと』もくっつけて流すべき。


来年の大河は『太平記』の実績を持つ池端俊策による『麒麟がくる』。生まれて初めて2年連続大河ドラマをダビング保存することになりそうだ。
とりあえず一年おきに女性主人公にする妙な慣習が廃止されてよかった。女性大河ったって寿桂尼あたりをやってくれるなら大歓迎だが、彼女が主人公になったとしても、同性の反感を買わないようにたいして頭もよくない薄~いキャラに改悪されるのがオチ。
来年の主人公が明智光秀なのは、もしかして側室も妾もいなかったから?? せっかく『真田丸』で正室以外のパートナーをうまく描いて、よそんちとてめえんちの区別もつかない奥さんたちのクレームを防いだのに……こんなことでは、主役にできる素材が枯渇してしまうのではなかろうか。再来年の渋沢栄一についてはトーゼン漂白するのだろう。大河とは別に、『経世済民の男』第二弾をやって、クドカンが渋沢を描いてくれたら……と、妄想するだけならタダなので、書いてみる。それから、今年は朝ドラで忙しかった大森寿美男も、いずれまた大河の脚本を書いてくれると期待している。