『いだてん』第二部も快走つづく

『いだてん』の何がいいって、ドラマ全体にタイトルどおりの疾走感や生命力があふれているところである。
さらっと見てもおもしろいし、再見すればいつも新しい発見がある。
クドカン本人が全然エラソーじゃないしインテリぽくもない(失礼!?)ので作品自体も単純だと思われることもあるようだが、じつはウルトラC級の頭いい複雑な構成なのだ。志ん生が語る現代日本史の体【てい】をとることで多くの陸上選手やその関係者、さらには無関係者が無理なく物語におさまっている。マラソンひとつとっても、人によって色々な見方があるという説明にもぬかりがない。五りんが大事な家族写真を出すシーンには胸が熱くなるとともに、「ホントにうまいなぁ!」と感心。緩急の見事さは脚本だけでなく演出家の腕によるところも大きい。後半はそれプラス、阿部サダヲの身体能力と滑舌か。

前半戦は掛け値なしの傑作であった。
愛すべき”腹っぺらし”が一介の陸上選手から長距離走の布教者、教育者となり、関東大震災後には食糧難にあえぐ人々のために重い荷を運搬し、心がふさいだ人々を励ますために、運動会を開催する。四三は、走るだけでもじゅうぶん多くの人々に夢や希望を与えた男だが、ご馳走を配ってまわった韋駄天そのものの役割も果たす。大河の中盤でここまでタイトルの重みが迫ってきた経験は初めてだ。震災後一度熊本に帰ったのは――まさかと思うことがことごとく真実なこの大河にはめずらしく――創作だという。だが養母に「こんな時こそ困った人のために働かんでどぎゃんする」みたいに叱咤する場面を与えたのは高ポイント。21世紀よりも明治大正のほうが人の上に立つ器量のある女は多かったんではないか、とも思わせる。昔の女といえば、ほんの30年ほど前には、今回の四三よりも重そうな荷物を背負った”担ぎ屋さん”とよばれるおばさん、おばあさんを時々電車で見かけたものだ。2019年の平均的日本女性の何十倍のカロリーを使って生きていたのだろう……。

池端俊策大森寿美男のような名手でもオリキャラを扱いあぐねる場面に遭遇したことはあるが、今年のシマちゃん先生の造形には脱帽である。才能あふれるスター選手にあこがれ、あるいは発掘し、応援する名もなき大衆の象徴の意味合いもあるのかもしれないが、短い一生を駆け抜けた姿が忘れがたい。演じる杉咲花は、安全な場所で生意気言うタイプが得意そうな女優のイメージが強くて正直苦手だったが、今作では終始惹きつけられた。とくに、今とは違う時代の既婚女性の落ち着きを表現できたのは意外であった。もしかしたら谷村美月なみのポテンシャルがあるのかも……。

後半戦に入ると、主人公は人たらしなところはあっても基本的に素朴な好人物だった金栗から口八丁手八丁でせわしなくて野心満々の田畑政吉にバトンタッチ。ここ数十年日本に害悪ばかりもたらしている朝日新聞社にも、五輪選手育成に燃える男がいたとはびっくり。前半よりも主要登場人物たちと国を動かす男たちとの距離が縮まった。高橋是清に「オリンピックは直接お国のためにはなりませんな。でも、若い人の励みになります」と訴える場面。こういう考え方を全否定したがる人々は、かわりにいったい何を提供してくれるのだろう。
バーで騒いでるマーちゃんの背景に、さりげなく大正天皇危篤のラジオ放送を流すところがうまい。この放送が聞き取れなかったとしても、ドラマを楽しむうえで差しさわりがあるじゃなし。「マーちゃんは(からみそうだけど)全然からんでいません」を繰り返して客を笑わせながら歴史上重要な事件を説明していくのもなかなかのテクニック。

マーちゃんが「すいませ~ん、うち金持ちなもんで」みたいに自慢したり、蔵相に直談判して六万円ぶんどってきたり……「金は汚い」とか「金持ちは悪人」みたいなドラマしか作れなかった時代にくらべれば、こういう部分は確実に進歩している。先立つものがなければ何事もなしえないのだ。六万円を水連だけで独り占めしたっていいところ、陸連にもちゃんと分けてやるところは偉い! そんでもってことあるごとに「ぼくが集めた金」とアピールするところが日本民族の謙遜DNAが完全に欠落した感じでなかなか痛快。
「嘉納先生が15年かかってもできなかったところをいともやすやすと!」と可児に言わせる脚本の親切さよ。
後半の主人公は前半の主人公も嘉納も罵倒し、シマちゃんの名が出れば「誰ですか、それ?」。すさまじい相対化にちっとも腹が立たない。

マーちゃんはずうずうしい男だが、低身長はちょっぴり気にしていたみたいで、人見絹枝といっしょに写真を撮るときは、セッシュウしているのが愉快。

大震災からアムステルダム五輪までの回は、超一流のスタッフあればこその出来栄えであったが、菅原小春がキャスティングされなかったらあそこまで人見絹枝に説得力が出たか疑問である。濃紺のはかま姿でりりしく登場した瞬間、「これはただものじゃない」と感じさせたし、五輪での身体的迫力も彼女ならではであろう。「品も負けん気もある」と評されて違和感なし。ちょっと癖のあるイントネーションも真っ正直な役柄に合っていた。人見選手が「化け物」呼ばわりされたことと直近の五輪で活躍した女子選手が「霊長類最強」と形容されたことを同列に語る向きがあるようだが、かなり違うのではないか。実在の男性格闘家が「霊長類最強」とはやされたのを女性選手にも適用しただけで、揶揄がゼロではないにせよ強さを肯定していることはたしかなのだ。それにしても上流階級の弥彦ぼっちゃん、シベリア鉄道では洗濯どうしていたのかしらん。安仁子が夫以外の黄色人種のふんどしを洗うとは思えぬ。男子選手が人見選手に裁縫を押しつけたそうだが、彼らのうち何人かは数年後に兵隊にとられて裁縫術を身に着けたことだろう。

いくら今よりいろいろ緩い時代だからって、いきなり100メートル選手が「800メートル走にも出たい」と言って通ったのか!? と思ったが、史実ではもともと申し込んではいた由。劇的効果を出すためには触れなくて正解だったのだ。必死で懇願する人見を前に、「わかった、だが君を死なせるわけにはいかん」と作戦会議を提案する野口。マーちゃんからメンタルケアの重要性を学んだのに、100メートル走直前の人見選手にプレッシャーかけまくりで「使えないやつ!」感全開で評価だだ下がり。それがこの会議提案でかなりアップした。四三と弥彦が孤独に手探り状態で戦った時代に比べれば、チーム力やデータの蓄積など向上したことがわかる場面であった。国内の野次馬連中とちがって、五輪チームの男どもは、まあちょっとアレなところはあっても、ちゃんと姉御に力を貸してくれるのだ。そして人見絹枝は2位でゴール。自分との闘いやらライバル選手との闘い以前に、”後に続く女性たちのために”絶対負けられない闘いでメダルを勝ち取ったのだ。スポーツに限らず、昔の女性先駆者の覚悟と努力に頭が下がる。令和元年現在、日本で女性が向上心を持っても比較的叩かれにくいのがスポーツの分野だし、女もおとなしいより明るく活発なのがよしとされる傾向がある。高度成長期に”楽しいこと”がいいこととされた影響なのだろうか。ともあれ、1位も2位も世界新というのがまたすばらしい。
日本には女が小太刀や薙刀などの武芸をたしなむ”仕事以外で体を動かす”伝統があった。足さえ出さなければ欧米由来の運動も批判を免れたのだろうか?
彼女の活躍に触発されたかのように水泳チームもメダル・ラッシュ。惨敗した前回の五輪から短期間でよくやったなぁ!

スポーツ技術だけでなく通信技術についても説明されていて、国内の記者が電信機に貼りついていたとか、写真はとても間に合わないから事前に気分が出せるものを用意していたとか、新聞豆知識が楽しい。日本選手の活躍を告げる記事の「超人ワイズミュラー優勝」に目が留まる。この人、ハリウッドにも行ったんよ。
全然仲間に反応してもらえずに「ニャンダァ?」とか「ニャニィ?」とか騒ぐマーちゃん。サダヲが遊んでいるだけなのか?

帰国する選手団を出迎える場面。「大騒ぎするんじゃない。あくまで冷静に」というマーちゃん。おまいが言うか! 絶対ムリだろ! 直後に「みんな~! よくやった~~!」で大笑い。

マーちゃんはあらゆる人間に分け隔てなく失礼に接するなかなか……なかなか珍しい男だ。銀メダルと銅メダルを誇らしげに見せる高石の鼻先に鶴田の金メダルを突きつけて「これが金メダルか~! 全然輝きが違うな! な、かっちゃん?」が最高におかしい。いつのまにか、大河の主人公は血の通わないきれいごとばかり並べるイケメンやら、自虐的に欝々する坊ちゃんやらタイプがふえてきたが、今年は四三もマーちゃんも躍動感があってたいへん結構!
実家のおっかさんの言い草がいかにもあの時代の日本人である。「拾いものの人生、お国のためにばかでっかいことやらにゃあ、罰が当たるで!」。あれこれ異論が出そうだが、いまどきの母親より社会的な視点を持っている。父親の死を理解できずに走り回っている甥姪を見て、「(短命な自分が結婚して)人を不幸にしちゃならん」と言うマーちゃん。ちゃんと良心もあるんだにゃ。
日本チームが好成績をおさめたのに、さっそく米国に対抗意識を燃やすマーちゃん。生き急いでるな!

『明日なき暴走』は小説の題かと思いきや、ブルース・スプリングスティーンの"Born to Run"のことだったのか。暴走するマーちゃんのことだけでなく、ほんとうにトラックを走り、布教活動に駆け回り、24歳で散っていった人見選手のことも指していたのだな。

トクヨの予言どおり、中傷を称賛に変えた人見のラジオ演説。「だからみなさん、勇気を出して走りましょう。(ここで前畑のカット!!)飛びましょう、泳ぎましょう。日本の女性が世界へ飛び出す時代がやってきたのです。大和魂を持つ日本女性云々」。何度も万歳が出てくる回だったが、亡妻の悲願がかなって万歳する増野の姿に一番尊さを感じた。
軽やかなピアノの音で幕を閉じた『明日への暴走』。名作映画を一本鑑賞したような心地である。将来何本、女性主人公大河が作られたとしても、この45分にかなう作品は当分出ないであろう。

来週はシマちゃんの思いを継いだ人見選手の活躍に励まされた前畑選手が出る。7か月をふりかえっただけでも、堂々たる大河ドラマであると確認できる。

今年は本編だけでなく大河紀行が充実している。実際の人見絹枝選手の写真を見ると、本物の紳士のようないい顔だなと思う。

大型スポーツイベントの例に漏れず、オリンピックも純粋に健康的なだけのイベントではなくなった。それでも、障害者の五輪が行われ、アムステルダム五輪当時は白人に家畜扱いされていたアフリカ系やジャマイカ系の選手が大活躍している点は進歩と言えそうである。

今後はヒトラーも出るそうだが、リーフェンシュタールの『民族の祭典』がチラとでも映ったら映画ファンは興奮するだろうなぁ。無理かなぁ。

かたよったものの見方や表現しか許さない"自称リベラル"が難癖つけることが多々ありそうだが、大河スタッフ、キャストの皆さんにはぜひぜひこのまま突っ走っていただきたい!