『家康、江戸を建てる』

将軍みたいなお名前の門井慶喜の原作は未読。
昨年の『風雲児たち蘭学革命篇~』に続いて、合戦ものではない単発時代劇が正月に放送された。
治水は太古の昔から統治者が直面する大きな課題だった。家康についてはまったく不勉強な当方だが、いろいろ知れば知るほどえらい政治家だったとの思いが募る。

とくに木管を埋める場面でセットづくりが大変だったろうなぁ!というのが前編『水を制す』で一番の感想。
一見軟弱優男風の千葉雄大クンが切れ者の役人を意外に好演していた。佐々木蔵之介は舞台出身ということでずいぶん評価が高いようだけど、台詞がときどき聞き取れません!
昭和平成のサラリーマン家庭じゃあるまいし、家庭と仕事を"対立するもの"ととらえてすねる若者のエピソードはお腹いっぱい。

圧倒的に後編『金貨の町』のほうがおもしろかった。日ごろ当たり前のものとして使っている通貨だが、400余年前にはあのような産みの苦しみがあったとは!
そして前編に比べると根性より工夫のお話なのが好みである。

たんなる原作の抜粋かどうか知らないが、切れ味するどい台詞の数々にしびれた。「へりくだる」云々は多くの日本人が噛みしめるべき言葉である。
「謙遜は大嫌いじゃ! 何も生まん! お主は前からうぬぼれておったろう。本当は、こうなることをお主も望んでおったのではないか? へりくだる人間は仕事もへりくだる。お主はお主の名で、お主の仕事をすればよいのじゃ」
家康は十両の大判ではなく、使い勝手のいい一両小判の鋳造をもくろむ。
「(通貨の流出の懸念について)持ち出すやつは持ち出すであろうし、持ち込む者は持ち込むであろう。商いはつねに使い勝手を尊ぶ。利にかなって広がるのは、どうしようもないことじゃ。その暁にはここ江戸に多くの商いが生まれ、人やものが多く集まることになるであろう」
「もしやあなた様は、小判で天下をとろうとしてはるんですか?」
「庄三郎、やるかやらぬか、どちらじゃ? この江戸で名を上げてみよ!」
「やります。この庄三郎、己が腕を存分に家康様のお役に立ててみせます」

三河守様と言ってくれればなおよかったが、わかりやすさ優先か。

庄三郎が小判を作る際中、駿河に先を越されてしまう。前編の主人公は人を切り捨てられなかったが、後編の主人公には切り捨てる決断力があった。だがそのことが遠因で窮地に落ちる。
「我欲の前では人の信など水泡がごとし。現にお主も後藤家に仇なすことを承知で己の欲のために生きる道を選んだではないか。笑止! そのような生ぬるい覚悟でわしの理想とする小判を作ることなぞできぬ!」
「恐れながら、勝負はまだついておりません」
庄三郎が差し出した駿河の小判はベコベコに歪んだお粗末なしろものだった。
「早生か?」

転んでもただでは起きぬ庄三郎の返答がよかった!
「へえ、早かろう悪かろうの粗悪品でございます。そのようなしろもの、だーれも使いたがりません。そのようなものは、すぐ信用を失い消え去ります。恐れながら勝負はまだついておりません」
「勝てるか、われらの小判は?」
「色形、装飾、品位、どれをとってもあてらの方が上でございます。あてに策がございます。後藤の名でございます。後藤の名をつけたうえで駿河の小判を手本に作らせていただいたと申せば、太閤様かて文句をつけることはできません。堂々とあてらの小判を出すことができます」

人が"利"や"理"で動くドラマ、才気と負けん気のある若者が活躍するドラマがもっと増えますように。
柄本佑BSプレミアムの『リキッド~鬼の酒 奇跡の蔵~』(源孝志D)で杜氏を演じていたのが印象に残るが、今作ではずいぶん演技が向上したと感じる。洋風の面差しが時代劇に合うかと危ぶまれた広瀬アリスが豪商の令嬢にはまっていた。ゆくゆくは淀君など演じられるようになるだろうか。

門井氏の『家康、江戸を建てる』にはほかにもネタがあるそうなので、ぜひ続編が作られてほしいものだ。