時代劇専門チャンネル制作作品3本視聴

藤沢周平新ドラマシリーズ第二弾『橋ものがたり』
『小さな橋で』
演出は杉田成道とのこと。何も藤沢原作を使って『北の国から』をやらなくてもいいのに。子役はうまい人なのだろうが、ず~~っとナレーションが続くこと自体より、現代っ子の自意識を感じさせる語り口がどうにも受け付けなかった。大人たちの芝居にもあまり感心せず。

『小ぬか雨』
つい数年前にも『小ぬか雨』の脚色を見たような気がするのだが記憶違いなのか……と思ったら、BSプレミアムの傑作時代劇『神谷玄次郎捕物控2』で神谷が絡む話として流用(?)されていた。今作は、井上昭Dの演出の間合い、北乃きいのはりつめた表情のどちらも素晴らしく、余韻が残る寡作である。北乃さんには、また時代劇で町娘を演じてもらいたい。

池波正太郎時代劇スペシャル『雨の首ふり坂』
J:COMプレミアチャンネルで放送ということ以外、情報を仕入れずに見たおかげでサプライズがいくつもあり、正月早々得をした気分である。
のっけから白須賀の源七の後ろ姿が出てきて画面が揺らぎ、渋い和風イラストに。EGO-WRAPPINのBGM、そして「脚本:大森寿美男」のテロップという嬉しいトリプルパンチ。原作未読なので、どこからどこまでが大森氏の功績なのかはわからない。そしてハードボイルドなムードを高める低音のナレーション。エンドクレジットで、極私的には今日本で一番魅力的な声優である津嘉山正種だったと知る。まだ現役だったのか!

やや速めなテンポ。障子に映る紅葉のシルエットの美しさ。とりわけ黒と橙の色合いが、オノ・ナツメの漫画『さらい屋 五葉』を彷彿させる。夕暮れ時のたき火と川辺の景色が忘れがたい。
流水を隔てて景色を撮ったみたいな画面が何度か出てきた。河毛俊作Dが狙った「フレンチ・ノワールのような雰囲気づくり」の一環だろうか。
女郎屋の女将の台詞がやや説明過多だったのが惜しい。

「○○さんですね、仁義は省きます」は、ろくでなしらしい(かっこいい)挨拶。
近頃のドラマにはめずらしい血しぶきやら片腕やらが飛ぶ殺陣。それから「こうして身重のおふみを捨てた源七は、半蔵とも別れ、二十五年の歳月が流れた」のナレーションであっさり四半世紀を飛ばすそっけなさ。

源七は万次郎の更生を心から願う。「ここにほっぽってくれりゃぁいい。おめえはもう堅気だ。こんなろくでもねえ生き方してるとなぁ、この歳になってやあっと見えてくるもんもあるんだよ」「俺みたいな人の返り血浴びて腐りきった体になっちまうと、どうにもならねえや。お前は違う」「もしかしたらもっと別の生き方もあったんじゃねえかってな。お前にはまだ流れてんだよ、人の血がな」

万次郎は、病に倒れた源七を見捨てず、うどん屋の茂兵衛に助けを求める。

おそらく辛酸をなめ尽くしてきた茂兵衛。この親父のぼそぼそした語りが実にいい。「そう死に急ぐこたぁねえよ。葬式の日はかならず来んだからよ」「昔はさんざん俺も人を苦しめたんだ。人の道ってのはよ、どこでどうなるかわかりゃしねぇんだよ。あんただってよ、まだ間に合うぜ」「食べないで死ぬより、食べて地獄に落ちる方が悔いがねえだろう」
人生で二度目の堅気からの親切を受け、源七は生まれ変わる。

行田の甚五郎は幼児を助ける気になってからも、べたな笑顔を浮かべたりしないところがいいな。

恩人の墓前での「茂兵衛さん、俺は死んでもあんたのひ孫とお千代坊を守るぜ」は、いわゆる死亡フラグか。

人生最後の果たし合い。源七の外套の脱ぎ方がイマイチ。
この時の藪塚の半蔵の行動が意表を突く。「人間は善だけではない、悪だけでもない」とする池波らしい造形。
老いたりといえ腕は衰えない源七、半蔵コンビは瞬く間に竹原一家の子分どもを片づける。
残るは客人扱いの刺客、橋羽の万次郎。
「あんたと差しで勝負がしてみたい」
母が甚五郎に託し、甚五郎から渡された小判みっちり巾着のおかげで、万次郎は命拾いし、源七を斬る。
そして、かっこよく歩み去る。

「あいつは強えなあ。昔の俺らでも斬られてただろうな」
「おい見ねぇ、昔のお前そっくりだぜ」
「笑わせるなよ」
泣きに持って行かない主人公の退場場面が粋である。因果は巡るという言葉も浮かぶ。

盤石の梅雀と予想以上にはまっていた大杉連。いつも以上に名バイプレイヤーぶりを発揮していた泉谷しげる小市慢太郎。ベテラン勢の芸を楽しめるのはもちろん嬉しいが、若手の鍛錬の場にもなっているのが、今作のよいところ。中尾明慶は登場時、芝居も立ち回りももうちょいかなと思ったが、それが役回りに合っていた。馬場徹は『MOZU』に出ていたのか! これから時代劇や刑事もので活躍しそうだ。三浦貴大は前から古風な持ち味が魅力的だったが、今回は締めのシーンにふさわしい存在感を発揮。どんどんチャンバラ物に出ていただきたい。