『おんな城主直虎』終わる

真田丸』と二年続けて主人公にあまり魅力を感じず、大河にしては撮影が残念な場面が散見され、音楽も――本来、菅野よう子作品は好きなのだが――好みではなかったし、脚本家の手癖に辟易させられることもあった
が、
風林火山』終了後、何度も死んでは息を吹き返しかけ、やっぱりだめで……を繰り返してきた日曜夜8時のドラマが
この二年で新しい方向性を見出したようだ。
新しい学説を積極的に取り入れ、史実と創作を巧みに撚り合わせ、武田やら太守様やらの大勢力に翻弄される国衆にとっての戦国を、生き生きと描き出していた。

20年以上前の大河にくらべれば豪勢な合戦シーンはない。が、そのかわり『直虎』では農耕や植林に関して手間も予算も投じたのではないか。メーキング番組で、一日で広範囲の稲を刈り取って次の場面につなげる作業が紹介されていた。裏方のみなさんの労力はいかばかりかと思ったものだ。
小さな井伊家界隈の物語にしては、第一次産業から第三次産業まで幅広い職種を丁寧に描いていた。交渉の過程を地道に積み重ねた点も印象的。幼なじみ萌えというやつに縁がないので、主人公周りの台詞で一番いいなぁと思ったのは、直之の「ここらが落としどころにござりましょう」。

『ハウス・オブ・カード』のように見るからにえげつないという作風でなく、時に甘口のBGMを流したりしていたが、実態はかなりシビアなポリティカル・ドラマである。力がない者が生き残るためには身内を切り捨てなければならない、あるいは知恵を絞って極上品で強者の機嫌を取らねばならない。最大の力を得た者は、好むと好まざるとにかかわらず、二番手の弱体化を図らざるを得ない。

女性主人公の頻度は下げた方がいいと思うが、今年は主人公が女性であり、武家の出ながら僧籍に入ったという境遇が有効に働いていた。坊さんたちが仏教を学ぶだけでなく、武術の鍛錬にはげむ場面も多々あり、その縁で(?)ヒロインが槍をふるう場面にまで持っていくとは思わなかった。
夫も子も持たなかったことを母親に詫びる場面を作り、しかし最終回で「子を持たぬからこそ、どの子もいとおしい」と言わせて織田方に殺されそうな子を助ける。生涯独身という主人公の設定を生かし切ったすばらしい展開である。

昔の重厚大河でも、最後は消化試合になることは少なくなかった。今年のように40話を過ぎたあたりからぐいぐい惹きつけられるのは珍しい。IQの高い脚本というか、一年かけてまいた種を片っ端からきちんと回収していくさまは実にあざやか。直虎、信長、氏真ほか多くの人間が、自分が他人にした仕打ちの報いを受ける"因果応報"のリピートのえげつなさというかストーリーテリングの巧妙さというか、森下佳子氏のレベルでないと"伏線を張る"なんて言葉は使っていけないなと感じる。

義元、信玄といった大物を誇張気味に記号として描く割り切りには、清々しささえ感じた。信長もカリスマと威圧感のだけの上様で終わるのかと思いきや、退場間際になって、心から茶器を愛でたり家臣への優しい思いをつぶやいたりと、ずいぶんと人間味を増していた。光秀に狙われているとはつゆ知らず……頭が切れすぎる人間にはこんな迂闊なところもあるのかもしれない、などと思わせる。

女性大河のふれこみを聞いた時にいろいろ危惧したことが杞憂に終わり、大河ファンとしてはかなり幸福な一年であった。責任がないところできれいごとを並べる女性キャラがいなかったのも何より。寿桂尼の女傑ぶり。築山殿も成仏するであろう新しい瀬名像。於大の方の戦国の母像も強烈だった。一度は我が子に「信康を殺せ」と命じ、二度目も徳川に災いを招きかねない男児の命を奪いそうになるが、直虎の反論に納得して引き下がる。寿桂尼のレベルではないにせよ、一人前の女外交官とはああいうものだと思わされた。