『おんな城主直虎』第33回『嫌われ政次の一生』~第38回『井伊を共に去りぬ』

今年の大河は評価はできても熱中はできないと感じてきたが、ここ数回はドラマとして引き込まれている。

主人公がみずから手を汚して政次を死なせる場面には度肝を抜かれた。
そこまでして井伊を守ったのにあっさり領主の座を下りる直虎や、(真意はともあれ)当時の出産適齢期はとうに過ぎていそうな娘に「孫の顔を見せてくれ」と言い出す祐椿尼には、少々違和感を持った。
のちに天下を取る家康でさえさんざん苦労しているので、小国井伊の人々が今川や武田に翻弄されるのは当然だが、それにしても井伊の人々は武士も農民も難儀なことである。とうてい勝てない勢力に囲まれた集団の悲哀がかなりリアリティをもって伝わってくる。

井伊谷三人衆鈴木重時の遺児が「父を哀れとおぼしめして、経をあげてくださいませぬか」と頼みにくる。
正しい間違っている、加害者だ被害者だ、強い弱いではなく、ともかく亡くなった者を「哀れ」と表する。ひさしぶりに心にしみる日本語を聞いた。主人公が僧籍にあるという設定が幾度となく生きている。

勝ち目のない戦をせず武田に帰順するよう促す直虎に対し、戦いは避けるが帰順はせず、館に火を放って逃げると決める近藤。ここで「ここらが落としどころにござりましょう」という直之。
今年は交渉というものの過程を丁寧に描くところが好感が持てる。その長所を最高に発揮したのが、この「落としどころ」発言ではないか。賢い家臣たる直之の表情も切迫感があってよかった。

高瀬が武田の間者なら、こうなる前に井伊に害をなすような命令を受けそうなものだが……近藤暗殺を命じに来た男がものすごく不気味だった。「近藤殿を殺せば井伊家再興が」と進言する高瀬に、そんなのありえない的反応を示す直虎。坊さんたちの知恵と努力で救った命だから当然とも言えるが、そこで近藤の命と引き換えに家の再興を!とならないところが、一流の政治家になれないゆえんかとも思った。

ムロツヨシは時々やりすぎに見えるのだが、方久抜きでは物語が進まない。初めはトリックスター的な役割を果たしていたが、家臣を死なせてしまったあたりから、錢だなんだと言っても武力がなければ話にならない……世の無常を悟って出家でもするのかと思いきや、新しい商売を始めるしたたかさを発揮した。彼とあやめは本当にいいパートナーだ。夫が流通業、妻が製造業という組み合わせは大河で初めて見た。夫=ATMでしかない女性には、あやめの「与える喜び」は想像もつかないのだろうなぁ。

第38回の龍雲丸は、この作品にしては長い説明台詞を語っていた。小さな小さな自治体の長としてがんばってきた直虎の魅力や功績をまとめ、なかばは過去9か月間のドラマの総括ともなっていた。彼を演じる柳楽優弥はまだ二十代。今時の若手にしては幼稚っぽくない。マーケットの受け手の世界では、比ゆ的な意味で"息子を去勢したがる母親"
が支配するのが今の日本だが、にもかかわらずこの人にはオス的な存在感もあれば、中性的に見える時もあり、自由人、龍雲丸をうまく演じている。オリキャラだからと都合よく不審死させられることなく、健康体で退場した。最終回にジジババとなった二人が出てきて、『坂の上の雲』みたいに龍雲丸がおとわに「お前はようやった」と言うのか? それとも、『太平記』の右馬介よろしく神出鬼没の男になるのだろうか?

今川氏真を長々出してくれるのも今作の美点。氏真は『風林火山』でもいちおう出番はあったが、おばば様から「あっほっ!」などと言われるだけで気の毒だった。『直虎』は、武将としては凡庸でも教養人ではあった点を、ユーモアまじりに紹介してくれている。まさか彼がおばば様を命日に召喚して、武田を死なせる展開とは! OPで「寿桂尼」に「回想」がつかないのをスタッフミスかと思った当方が浅はかであった。