『おんな城主直虎』第15回『おんな城主対おんな大名』

トーリーはそこそこ骨っぽい。
一番の期待は菅野よう子の音楽だったのだが、自分が勝手に期待していたとんがったメロディーとはほど遠い――プロデューサーの意向なのかどうかわかりかねるが――子ども向けの時代劇アニメに流れそうなBGMがたびたび流れる。
昨年の『真田丸』は大大名とくらべていかに国衆が小さな存在であるかをユーモアまじりに描いていた。今年は、今川にくらべ、井伊がいかに内向きで学習能力に欠けているかを、表面的には甘めのBGMをまぶしたりしつつ、実質的には容赦なく描き出している。
近年は主人公の性別にかかわりなく"政治"や"職能"をまるっきり語れない大河が散見されたが、その点今年は健闘している。脚本や演出の格調、主演の演技力が比較にならないので引き合いに出すのも恐れ多いが、徳政令についてある程度踏み込んだのは『花の乱』以来ではないか。労働と無縁で暮らす上級(でもない?)武士の奥方や令嬢の生活費を"化粧料"と称するとか、それは各自所有する田畑の上がりだとか、小学生でもわかるように丁寧に説明されていて、なかなかためになる大河では?

序盤は「大河ドラマを見ている!」という心地にさせてくれたのは佐名役の花總まりの所作と台詞回しくらいだったので、退場が残念だった。その後は浅丘ルリ子が締めてきたが、寿桂尼もそろそろ寿命が尽きそうだ。
クドカンのドラマでおなじみの小松和重は、画面の隅にいるだけでも楽しくなる。市原隼人傑山は腕の筋肉を誇示する場面より戦う場面が増えることに期待。ムロツヨシはいかにも当て書き。「銭は力じゃ」をNHKで日曜8時に堂々語れる人物は痛快。

21世紀に入ってからのお気に入り上位が、現在再放送中の『風林火山』と『八重の桜』三分の二、というのは揺らぎそうもない。『風林』は権力闘争の描写やコメディセンスだけでなく、女性陣の描き分けも好きだった。『直虎』は女にもいろいろいる、という当たり前のことをわりと公平に描いていると思う。ヒロインの身近にいる若い女性だけでも、政治センスと客観性のある賢いなつ、気のいいあやめ、視野が狭くぐちゃぐちゃした感情だけで生きるしの、と三者三様である。第15回も知恵がつきはじめた直虎と、長きにわたり知力で家中をまとめてきた女傑の対比が利いていた。やぶからぼうに「ほ~、お前はみどころのあるおなごじゃ」なんていうんじゃなくてなにより。法律論議で押したり引いたり、施政の基本方針を問い、領民の信望を示す書状を目にしてこれなら政次より直虎に任せた方が領地が安定しそうだ、とおんな大名が相手を認める根拠がきちんと示されているのが気持ちよかった。直虎がめざすのが緊縮ではなく「潤すこと」なのもあっぱれ。

子役、本役通してヒロインがどうも苦手だ。「未熟者だけどがんばってま~す」みたいなノリが消えるのは秋ぐらい? びっくりする演技の巧い下手は全体的な演技のレベルに通じるという持論は、今年も変わらない。

海老蔵が信長役と聞いた。本格的な〈敦盛〉の披露が待ち遠しい(やや問題発言)。