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『真田丸』最終回

大野治長「ただちに御出馬を」
その気になる秀頼。
使者その1「一大事でございますー。馬印が引き返したのを見て雑兵どもが逃亡」
秀頼「今から出馬する」
使者その2「申し上げます。真田勢が引き上げ、毛利勢苦戦のようす云々」
治長「どうやら流れが変わったようです」
カメラは一つの部屋から動かないのに、ころころ変わるシチュエーションに翻弄される男たち女たち。三谷劇の真骨頂である。

一番爽快感があったのが、敵方の親子が優位を見せつける場面だった。
「真田でございます」「またか!」
謙信と信玄の軍配でコン!のオマージュを大坂夏の陣で拝めるとは!
信繁の生き方は時代遅れだと言い渡すじいさんと、先に死んだ者たちのために戦うのだと言い張る若者……っぽいけど、五十代。
銃声ののち、「父上ー、お助けに参じましたー!」。秀忠が番組史上初の晴れ晴れとした笑顔で登場する。
「遅ーい」「真田左衛門佐、ここまでじゃー。放てー!」
げほげほしながら、息子に後を任せて引き上げる家康。父親としてやるべきことをやった男の幸せな退却シーン。近年優勢な、"秀忠が優秀だったからこそ徳川幕府は盤石になった"説を、ちゃんと視覚化してくれて嬉しい。「信繁」とか「幸村」とかでなく「左衛門佐」と呼ばせるところもさすが。

いっぽう信繁に感情移入する偉い人々の台詞にはあまり感動しなかった。
伊達政宗「見事な戦いぶりよ」
上杉景勝「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたいものだ」←まだ死んでないし。
直江兼続「戦は終わりました。戻りましょう」
上杉景勝「源二郎、さらばじゃ」
重責を負った大名たちにとっては、信繁の行動はしょせん軽はずみな行動だし他人事だし……兼続の台詞がすべてなのだ。

「そう悪くない一生だった」みたいな顔で寺で死を迎える信繁。親父さん譲りの卑怯な手で敵を刺し殺すが、小さな悪あがきの印象しかない。関係者の顔をいろいろ思い浮かべる信繁。すえは実父とあまり接触がなかったからこそ、救われた。

秀吉は「茶々には人生の最期の日に『日の本一幸せな女だった』と言って死んでほしい」と語っていた。茶々が最後のシーンで、劇的な台詞を口にするかと予想していたら、何もなかったのが少々肩透かし。予想外の誇り高い言葉もなく、かといってこの作品の茶々像に合った怨嗟の台詞もなく、信繁の言葉を信じてけっして来ることがない和平の使者を"座して待つ"姿が惨めで哀れだった。

EDが流れる直前の場面を本多正信と信之が締める。百姓は生かさぬよう殺さぬよう年貢はきっちり取り立て、領主たるもの贅沢をしてはならぬ、とたいへん日本的なリーダー論を語る正信。「大阪から火急の知らせでございます」と使者が飛んでくる。弟御はお気の毒に、と目で哀悼の意を示す正信。沈痛なおももちでそれを受ける信之。無言の大人の芝居が心に沁みる。今年の大河はふざけた演出も多いが、こういう行間を読ませる演出も多かったのが好きなところだ。
生きつづけて松代藩の藩主となる信之の「参るぞ!」が最後の台詞となった。あらためて『真田幸村』ではなく『真田丸』でよかったと思う。