『受験のシンデレラ』終わる

和田秀樹の原作は未読。
生育環境や本人と周囲が"思い込んでいる"学力から将来の選択肢が少なそうだった女子高校生が、受験のカリスマと出会い、東大受験に挑む話。ヒロイン、遠藤真紀の受験のサクセスストーリーであるにとどまらず、本人と周囲の自己発見と精神的成長を描く話にもなっていた。
極私的には、原作付きの民放ドラマとして唯一リピートに耐えると感じるのが『ドラゴン桜』(『重版出来』は神回の第5話、第7話が永久保存版)。『ドラ桜』のパンチのきいたトランペットとドラムのBGMと、躍動感のある演出にくらべると、本作のそれらはインパクトが弱いし、ベタな人間関係にやや引いてしまうところもあったが、最終回まで完走してみれば、清涼感が残るいいドラマだった。

スタッフは記憶にない名前ばかりだが、調べてみると、出水有三Pは傑作『TAROの塔』を手がけ、森安彩P(協同テレビジョン)はおつな連ドラ『鍵のない夢を見る』(WOWOW)と『カラマーゾフの兄弟』(フジ)を手がけていた。植田泰史Dにいたっては、何度も『世にも奇妙な物語』に参加していた。『受験』がおもしろい作品になったのは当然か。地上波ではないから、ヒロインが甘ったれた女にむかって「そんなに死にたいなら、死ねばいい。五十嵐先生に命をくれよ!」みたいな心からの言葉を吐く場面も入れることができたのだろう。
ふた昔くらい前までは、若者というのは本来勉強が嫌いなもの、受験勉強なんて非人間的、というのがマスコミのスタンスだった(そう言ってる人たちは東大出だったりしたのだが)。人生の選択肢をふやす手段として受験もアリ、とか受験はテクニックが大事で練習いかんで向上するのはスポーツと同じとか、現実的で肯定的な考え方が広まってきたのは悪いことではないと思う。たとえ、受験産業マーケティングの影響だとしても。

情報を取るために信義にもとる手段を使う塔子。勝手に"好きな人のために"時間を使って、報われないと知るや「どーしてくれるのよ」と文句を言う聖菜。日本の女の嫌なところを露呈するキャラを久しぶりに見た気がする。塔子は回を追うにつれ"よき元妻"になっていったし、聖菜はラストできっぱりした言動を見せた。自分の狭い人生経験から娘の足を引っ張るばかりだった母親も、最後は娘の応援団になった。すべての登場人物を救う優しい脚本(山岡潤平ほか)だ。五十嵐が最後までしおらしくならなかったのも痛快。

川口春奈は今どきの女の子をさわやかに好演。松尾諭は、尖がった男の友人役がはまる。有能さを自覚しすぎた塾の社長転じて失業者、転じて人生最後の目標に遠藤真紀の東大合格をかかげるがん患者、を演じた小泉孝太郎もよかった。『ペテロの葬列』の繊細で善良な男を演じても、今回のような高慢さと狡猾さともろさが入り混じった男を演じても、この人ならではの色が出る。庵野が『ヨシン・ゴジラ』――縁起でもないタイトルか――とか作る気になったら、松尾を再登板させるついでに小泉もキャスティングしてもらいたいものだ。児嶋一哉はお笑い芸人の余技ではない役者っぷり。