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『あさが来た』日本女性の恋人登場

朝ドラも半分終了。現在日本で(その人が載っているお札が)一番人気の福沢諭吉の登場は気になっていた。彼も無事無事登場したし、いちおうこれにて視聴終了。以下、異常長文注意。

11月上旬と現時点をくらべると、極私的評価は上出来ドラマから"ドーナツみたいなドラマ"へとかなり下降。周辺要素はみっちり詰まっているのに、核となるはずの部分が空疎に感じられるのだ。

充実した周辺要素は……おりにふれ説明される郵便制度の進歩やら男性の服装の変化、豪商の邸宅にふさわしい小物、老夫婦の慈愛に満ちた会話、己の欲を殺して忠義に生きる雁助やうめ、予算をかけた美しい衣装の数々、台詞の上だけでもきちんと出てくる歴史上の重要人物。
はつが想像妊娠なんだかリアル妊娠なんだかわからない時期があったり、借金取りに追われる怖さがあやふやにされたりしても、惣兵衛の決断で和歌山行きが決まり、山王寺屋の転落と眉山家の再生というサブストーリーは形がついた。

サブヒロインがいったん退場してしまうと、核となるヒロイン描写の薄さが気になってきた。
カーネーション』、『マッサン』、『ゲゲゲの女房』(先日の総集編再放送を視聴)は、いずれも、主人公(またはその配偶者)を通して物づくりや表現に憑りつかれた人間の業や魅力を描き切っていた。今のところ、あさにはそれを感じない。一心不乱にミシンを踏んだりペンを走らせたり、美しい表情で酒をテイスティングしたり……に相当する場面作りは、経営者だからむずかしいのかもしれない。恍惚の表情を浮かべて帳簿をめくっていたら、あぶない守銭奴みたいだし。あさは現場のみんなと一緒になって炭鉱に入ったり、雑巾がけをしたり。それは親しみやすさのアピールにはなっても、本来なら人の上に立つ人間がすることではない。

金持ちの家に生まれて大店に嫁いで美人なうえに切れ者だと視聴者の反感を買いそうだというので、制作側が過度にふつうの女の子っぽく見せようとしているなぁと感じる。規格外なのは、時々思い出したように大股で歩くことくらいだ。

櫛田夫人の「あなたは恵まれてるね」に、それはちょこっと違うんじゃないかいと思ったが、あさが襲名披露に参加する回で違和感が増した。彼女は両替の仕事が行き詰った加野屋を倒産の危機から救うために鉱山業に手を出したのであって、余裕のある大企業が若い子に冒険させたわけではない。よのから「奥は任せる」と言い渡されていたが、出張必須の海外支社=鉱山会社の社長業務を継続しつつ、本社の総務部長もやれってことで、無茶ぶりとしか思えなかった。そして、炭坑内で事故が起きるまであさの代役を指名しない正吉たち。孤軍奮闘のヒロインは男たちのやわらかい暴力にさらされているような。でもって、正吉の死後は「義務だから働くんじゃない、好きだから働くんだ」宣言。いやいや働くよりはけっこうなことだが、この発言の前もなんとな~く、自己実現のために仕事するあさと生ぬるく見守る加野屋の人々、みたいな雰囲気だった。そして、金食い虫の姑と夫の遊興費を稼ぎ、千代の養育費を稼ぎ、大勢の奉公人たちが路頭に迷わないように収益を上げる、という重責があの細身にかかっている事実に変わりはない。なのに、その事実には誰も言及しない。稼ぐことに敬意が払われないのは男性が主人公のドラマでもありがちなので、この辺を女性差別とは思わない。

あさの仕事は肩書の割にラクそうに見えるのだが、楽しそうに見えない。コメディタッチでいきたいなら、それに徹して弾むような場面作りをしてほしかった。

事故を起こしたサトシをなじる場面では、奈良の商人に借金を申し込む場面以来、ひさびさに女傑らしさが伝わってきた。大森脚本が初めて大人の経営者としての台詞をしゃべらせたと言っていい。波瑠の演技もすばらしかった。若い女性の背伸びではない、理にかなった怒りの表現で、実は今の二十代にしては大人びた演技ができる人なんだなと思わされた。が、これで何かが変わるのか?と期待したのに、その翌週は何もしない男たちから針仕事をしている時の顔真似をされたり、英語の発音を馬鹿にされたり、とんだ肩透かし。

制作側は、主人公をなるべく特別なできる女に見せないよう配慮するのと同じくらい、新次郎をいい人に見せることに腐心している。イクメン推奨が一番大きなテーマなのだろう。落語などで遊び人の若旦那と言えば付き物の、遊郭のユの字もない。大きな失敗や対立を回避させるため、安全な場所から出ない設定にしており、結果として十年も連れ添った妻とのぶつかり合いもない。その場その場でコミカルだったりおセンチだったり、演者の引き出しが多いからどれもそれなりの場面になっているが、パチパチはんをプレゼントしたり、「あんたさんでしたか」とつぶやいたりした時の大物感がもはや消えている。底なしのアホボンか、いっそ坊さんのごとく悟って包容力のある男にしておけばいいのに、平成風のトラウマネタがめんどくさい。鋭い観察眼の持ち主だったはずなのに、アラフォーになってやっと「商売に厳しさも必要だとわかった」とは! この発言や妻が五代のピストルに助けられたのにぐだぐだ言ってたあたりは、某政治家を彷彿させる。そのうち「最低でも店外」とか言い出しそうだ。

その他、気になったりおもしろかったりしたこと。

*東京行きの前半は、ひさしぶりに清々しい思いで見ることができた。文明開化の花開く町の風景、一流の男達。ドラマ内ではダントツにできる男ぶりを発揮している忠興の再登場! 久太郎に留学話をもっと語らせてほしい。せっかく上京したのに、なぜあさはバーンクを見学しない!? 武田鉄矢が立て板に水でしゃべる台詞は、あさの女子大創設の伏線か。遊ぶ権利だけはめりけん女に先駆けて手に入れてしまった21世紀の日本女性を見たら、諭吉やあさはどう思うやら。

*カズの「女の人は寝不足になったらあかん」云々は、高度成長期以降のサラリーマンの妻の常識であって、働かない自由も楽する自由もない明治の庶民に言わせるのは若干無理がある。ともあれ、妊娠出産がらみで啓蒙的な台詞がたくさん出てきたのは、一部視聴者のためになったと思う。安定期に入る前のあさを九州から大阪まで長旅させたのは、まったく非啓蒙的。安定期に入るまで九州の街なかの宿に泊まって、役に立つうめに世話を焼いてもらえばよかった。

*奉公人描写が優れているわりに、一番重要な乳母が出てこない。あの時代、名家の奥様の仕事は子供を産むことであって、世話をするのは乳母の役目。大河ドラマでも無視されることが多いのは、(実はせいぜいここ70年弱の)生母絶対主義に合わせるためだろう。今回は、乳母がいると新次郎のイクメン価値が下がるから存在を抹消された模様。

*モデルになった人の最大の悔いは男の子を産めなかったことらしいが、それは時流に合わないということで、子供を置いて外で働くことに負い目を感じる設定にするのか……一部で、働く母親を背中から撃つドラマとみなされているのも納得。

*白岡親子に踏みつけにされた美和がその後も登場するのは嬉しいが……新次郎はあいかわらず彼女の周りをちょろちょろ。美和もいい面の皮である。旦那衆のサロンのような三味線教室の師匠から、旦那衆の集まるレストランの女将に転身したのは無理がない。ところで、19世紀後半、成人男性が女性を師として学ぶ習慣は、外国にもあったのだろうか? 堅気と言い切れない業界も含めば、日本の女性の経営者や管理職の比率は当時でもそう低くないのではないか。

*三か月目でやっとふゆの縁談が持ち上がり、栄三郎はまだ嫁が来ない。こういうのこそ、暇なよのや新三郎の仕事だろうに。

*こわもての雁助が炭鉱に赴いたら仕事がサクサク進んだ件。納得の展開だが、結局、女性のやわらかい力なんて効力ないってことか……と思わせたらあかんのでは? 「時に応じてやわらかい力と固い力を使い分けましょう」ならまだしも。

*制作側が五代友厚にたびたびけったいな振る舞いをさせる理由は、乳母を出さないのと同じだと思われる。『経世済民の男』第四弾として池端俊策あたりにシリアスな五代友厚を書いてほしい。『小林一三』スタッフによる『広岡浅子』は夢のまた夢か。主演は藤山直美。ガハガハ笑いながら「まだまだ儲けまっせ!」と突き進んでいく女がはまりそうだ。波瑠にもぜひ、BSプレミアムで明治の知的女性の役を!

*あさのために泣いたり、ふゆの前でやにさがったり、亀助というキャラをまったくわざとらしくなく演じられる三宅弘城は、相当な演技巧者である。コメディ演技で見ていて疲れないのは、彼と友近山内圭哉のみ。

*よのは、息子三人産んで勝ち組専業主婦街道をばく進してきたお人。兼業主婦の心構えを説く設定は苦しい。


"TV navi"によれば、あさは新次郎を会社社長にしようとするとか。あさちゃん耄碌したのかい? 3年くらい今井のおとっつぁんのとこに単身で奉公に出して根性叩き直してもらわないことには、それはとてもおぼつかないことである。しかし、この作風なら、ある日とつぜん何の説明もなくあさより優れた経営者になったりしかねない。

目利きの方々のつぶやきで、鈴木梨央が神演技を連発!とか、美和に見せ場があったとか、雁助とうめがあーしたこーした、という情報を読んだら、土曜の再放送でチェックすることはあるかもしれない。