『神谷玄次郎捕物控2』第五回『神隠し』

小間物屋・伊沢屋の若い女房お品(宮本真希)が出かけたきり三日も帰ってこない。ところが番頭の庄七が銀蔵に相談した矢先、四日目にしてお品が帰ってくる。お品は家を空けた三日間の記憶が無いと言い、主人の新兵衛(渡辺いっけい)も、これは神隠しに違いないと言い張る。(公式HP)

あからさまな演出なしに陰惨な事件を描き切った、玄人好みと言いたい佳作の回。

細かいところまで描写が行き届いているのが、どこまで松竹のおかげかどうかは知らないが
各種小物がきれいでバリエーションがあること
繁盛している商家のふすまの柄が明るくて洒落ていること
お品の着物の柄と半襟の組み合わせが色彩豊かなこと
が目に楽しかった。
今でも釣書という言葉はあるが、じっさいに「釣書」と書かれたものを見たのは初めてだ。
弥助の「おつもりだよ」やら、銀蔵の「言っちゃあ悪いが山だしの娘だ」、「こええ目に遭ったんだ、無理もねえや」とか江戸のムードたっぷり。
弥助が桶で里芋を洗うシーン。一瞬といってもいい場面だが、昔の人の働き方をちゃんと見せる姿勢がいい。

上司に見合いを勧められて、イライラしながら通りを歩く玄次郎。カメラも合わせてぐらぐら揺れる。先週に引き続き演出は酒井信行。ときどき登場人物の目線を強調した演出をするところが、本木との違いか。

銀蔵が妄想する橋の上のお品がすっきりと美しい! 宮本真希は、深作監督の『おもちゃ』以降とんとん拍子にスターにはなれなかったようだが、デビュー当時よりもぐんとあか抜けていい女優になった。ハイビジョンものとで奮闘した化粧担当スタッフの苦労の甲斐あって、宮本は時代劇の世界で浮かないタイプのナチュラルメークが決まっている。
四日も家をあけたのちに帰ってくるお品の身のこなしに不敵なところがあって、いかにも岡場所上がりだと感じさせる……が、この手のドラマをあまり見ていなければ違う見方もあったのかもしれない。

「はっきり言っていいんですか?」。井沢屋の主も行方不明になっていたお品も、疑心暗鬼で誰にも本音が言えない苦しさが伝わってくる。

息子夫婦の家に泊めてもらえなかったおさくは、玄次郎の前で作り話をぺらぺら。苦労しているつもりのおさくだが、ほんまもんの苦境を口にできない井沢屋夫婦に比べれば、はるかにお気楽な立場である。

お品の神隠しの真相に気づきはじめる玄次郎。「世の中に、悪い奴はごまんといるが、俺はそういう蛆虫野郎が一番気に入らねえ」。時代劇、現代劇を問わず、自分もそうだから、悪い奴が報いを受けてせいせいした。

女郎屋、大黒屋主人の主がひさびさの勝部演之。変わらぬいい声を聴かせてくれた。「そうですか、商家のおかみさんに。そりゃよかった」。あこぎな商売をしている男にも、昔の雇い人が幸せをつかんだことを喜ぶ心はある。

遠島帰りの民蔵はすでに死にかけだったが、この男のいらぬおしゃべりが、事件のもとだと知れる。保証人を「請け人」というのは初めて知った。

手代殺しの状況を察した玄次郎が井沢屋を問い詰める。「お品の下駄がしもた屋で見つかったぞ。自分の家でもねえのに中吉が勝手に四日もしもた屋を使えたのはなぜだ? おめえと話がついていたからじゃねえのか?」。高橋光臣の、最後の一文のどすの利かせ方が最高だ。
DNA鑑定も指紋採取もない時代でも、掌についた紐の跡や手の震えという"証拠"はあったようだ。
爪で畳を引っ掻き苦しむ渡辺いっけいの演技が哀れを誘う。

神谷の旦那の尋問締めくくりの台詞が胸に迫る。「これはよけいなことかも知れねえが、中吉が脅した時、奴に言ってやれなかったかな(目をつむって)俺の女房は女郎をしていた。それがどうした。昔の話じゃねえか。言いたけりゃ、近所に言いふらしてもかまわん……てよ」。同時に、お津世と神谷が現実に夫婦になれる見込みはかぎりなく低いことも伝わってくる。直後の折鶴のカットに風情がある。

続いて、旦那とお品のやや意外なやり取り。「ゆんべ、あのしもた屋へ何をしに行った?」「ずっと下駄が気になってたんですよ」。いやな目に遭った場所へ、お気に入りの下駄を取りにもどったお品。人間心理の不可思議さが、異色のスパイスになっている。
――そして、女は自由になった。
味のあるナレーション。店の仕事も家の仕事もさせずに"大事にされていた"三年間は、女にとって退屈で息苦しいものであったのかもしれない。とにかく、踏んだり蹴ったりの井沢屋主人に同情してしまった。