『リスボンに誘われて』(ビレ・アウグスト監督)

タイトルから想像するほどお気楽な話ではなかったが、ミステリと老いのとば口に立つ男の再生物語がほどよく混ざったかなり見やすい映画。
完全な娯楽路線というよりは文学的といってもいい内容なので、タイトルは原題通りの『リスボンへの夜行列車』のやや硬派な響きのほうがふさわしいと感じる。観光映画――その一面もあるし、リスボンの街並みは魅力的だ――のように売り込んで、客を呼び込むには『誘われて』のほうが効果的ということか。

ドキュメンタリー映画『大いなる沈黙へ』(フィリップ・グレーニング監督)が、BGMもナレーションもないだけに、かえって「なぜこの僧侶を撮ることにしたのか」とか「なんでこんなアングル?」とか、ときに過剰に恣意性を詮索したくなったのにくらべ、『リスボン』はBGM(たぶん音量は抑えめの方)もモノローグも多めなのに、それがじゃまだと感じずにするりと物語の世界に入り込むことができた。

主人公は妻と離婚後、本だけを友とする高校教師ライムント。異性との生活に悔いを残しているだけでなく、おそらくは仕事ももっと高度な専門職を望んでいたことを想像させる、アンニュイなムードがつきまとう。そんな彼が、川へ身を投げようとした若い女性を助けたことがきっかけで、この世に100冊しかない本のとりこになる。著者は反体制運動に参加した貴族出身の医者アマデウ。このプロフィールだけで、濃密な物語の幕開けが予想される。アマデウが作中でつむぐ言葉の美しさ、ライムントの共感の深さが心に沁みる。

舞台が陰鬱なスイスから陽光溢れるポルトガルへ移り、瓶底眼鏡がしゃれたデザインのものに変わり、異国で買い込む衣類は前より軽快な印象である。世界が一気に明るくなった……ように見せるいっぽう、ライムントは、若くして亡くなったアマデウをめぐる暗く情熱的な政治闘争の物語に惹きこまれていく。

南米の血なまぐさい独裁政治やスペインのフランコ政権については少々聞いたことがあっても、ポルトガルサラザール政権については完全に無知だった。フィクションとはいえ、類似した話が現実にあったにちがいないサスペンス部分は、腹にこたえる。

無理な老けメイクなどはなしで、登場人物の青年期と中高年期で役者を分けているところが潔い。暗転なしで現代シーンと過去シーンが入れ替わるが、誰が誰だかわからなくなるようなことはない。説明は控えめでも、観客を置いてけぼりにはしない作風だ。
過去に縛られ苦い思いを噛みしめることしかできない人物、過去から解放されたかのようにおおらかに生を語る人物。現代シーンに登場する老人たちは、五人五様の人生を背負っている。一人一人と対話の場を持ったライムントが、老人たちの醸し出す重みに圧倒されながらも、女医マリアナとつつましい恋を育んでいくようすが、節度をもって描かれる。

ジェレミー・アイアンズの、沈んで落ち着いたたたずまいも台詞回しも魅力的。ボルジアより静かな男のほうが柄に合っている。この人のモノローグや眼科医との会話など、ああひさしぶりにヨーロッパ映画を見たと思わせる。あの手のインテリの台詞を、日本では小説家や大人向けアニメ脚本家は書けるのに、実写映画となると、書ける人がいないのか、その手のジャンルは企画を通らないのか……。ライムントのような男を日本でやらせるとしたら、『春、バーニーズで』で今とは違う人生があったかもしれないと思いつづける男を好演した西島秀俊か。

最後に見たのがいつか思い出せないくらい久しぶりのシャーロット・ランプリングが、前と変わらずすらりとして所作も優美で見惚れる。女中を置いて隠遁生活を送る名家の女性がはまっている。頑固爺ジョアン役が――好きな俳優の一人なのに――トム・コートネイと気づかず。安全で清潔な介護施設で「牢屋より不自由だ」と毒づいたり、肺病なのに煙草を吸いたいと言い張り、最後には姪からもお許しが出るくだりなど、アメリカ映画よりドイツ/スイス/ポルトガル制作映画のほうが自由度が高いのだなと思う。
しばらく洋画から離れていたので60歳未満のキャストは知らない人ばかり。アマデウ役のジャック・ヒューストンがジョン・ヒューストンの孫とは! 知性と情熱と高貴さを感じさせて見事であった。
大仰な作りではないがオールスターキャストの贅沢な映画だ。