『神谷玄次郎捕物控』最終回『霧の果て』

今年にはいってから、髷物ベストワンの座はずぅっと正月時代劇『鬼平外伝 老盗流転』が占めているが、『神谷』はそれに迫る出来であった。

番組開始前、一番の不安材料はあまりおもしろくない映画しか見たことがない本木克英が演出担当ということだったが、意外とあぶなげがなかった。最終回、頭の上がはみだすまでアップにする必要があるのか?と思う時が何度かあったくらい。

脚本について。第一回~第三回は、喜劇まじりの作りがおもしろかった。最後二回は、緊迫感があってやるせなさも醸し出して、けれどくどい愁嘆場を作らない……古田求の真骨頂というべきか。「よしんば」とか「一切合財」とか「斗酒をも辞さぬ」とか、すたれかけた日本語を聞けたのも嬉しい。
「功名手柄だと? 笑わせるな。お前さんが斬った町方風情の妻と子は、おれのお袋と妹だ」「悔しいさ。歯がゆいさ。さっきからはらわたが煮えくり返ってら。その悔しさを笑いものにして、お前さん嬉しいのか?」だめな脚本家だとこのあと、よだれや涙で水浸しの方向にもっていくものだ。

中村健人の殺陣はバリエーション豊か。第三回までの玄次郎は、悪人をばっさり斬らずに(打ち身はすごそうだが)捕縛優先。それが、第四回と最終回は敵の息の根を止めるための立ち回り。だからエンディングでは直心陰流の稽古も流さない。血ふりは簡単すぎた気が……。

終盤の怒りを抑えた神谷がいい。35分経過したところで、「あと10分で全部かたづくの?」とちと心配したのはまったくあほな話で、ハードボイルドな演出に唸った。果し合いで完全に救われたのは、生き地獄から解放された鶴木(夫妻)のほうなのだ。死体に手を合わせる神谷。日本時代劇ならではの美意識。
――玄次郎が康方の死を知ったのは、それから数日ののちである。病死ということであった。十四年、探し求めてきた霧の果てに、今は何も残らない。
無言で重い足取りで歩み去る男。馴れすぎずに寄り添って歩く女。いつもより哀愁を帯びた安川午朗のBGM。45分という制約が幸いして(?)潔くいろいろな盛り上げ装置を切り捨てたがゆえに、いつまでも余韻が残るエンディングである。


下っぴきを二十人も抱えている岡っ引きって初めて聞いた。髪結いの女将さんもたいへんだなぁ。梅雀は芸達者だが、お堅い侍より町人のほうがより味が出て似合う。
伊佐を演じた上田耕一も、目立たないながら有能な役人に説得力を与えた。
酸いも甘いも噛分けた板前のさりげない描き方も忘れがたい。
豊原功補は、『新撰組血風録』の芹沢鴨役に引き続き、ろくでなしだが腕が立つ武士の役。煩悩地獄に生きる男というと、NHK藤沢ドラマ『風の果て』の野瀬市之丞――凄みと悲哀に満ちた遠藤憲一のまなざし! ――も忘れがたい。この手の人間の陰の部分の表現も、BS時代劇以外ではなかなか拝めなくなってきた。
西田健は老けたなぁ。岡本富士太はテロップを見るまで誰だかわからなかったが、したたかでぴりっとした悪役ぶりであった。
本作のおかげで、あまり得意でなかった中越典子の株がぐんと上がった。最後、惚れた男が無事に仇を討ち、怪我もなく生き残れてよかった、でも殺された母娘は帰ってこない……いろいろなことをのみこんだ表情が美しく仇っぽい。
高橋光臣は時代劇の主人公の魅力たっぷり。戦隊もの出身だとかで、身体能力が高い。このクラスの男優たちの果し合いがたくさん出てくるドラマを切望する(むだか)。角を矯めて牛を殺すの愚を避けるため、演出家たちは時々妙なイントネーションになる台詞回しを注意しなかったと予想するが、今後、個性を殺さずにそこを直せる演出家と出会えるか否か……。ゆくゆくは戦国武将くらいやるようになるだろうから、家臣を前にした長台詞などは完璧なものであってほしい。数年前、このポジションにつくのは福士誠治だと思っていたのだが、ここんとこ時代劇でお目にかかれなくて残念だ。ともあれ、アラサーの男優が民放の連ドラなんぞに出ると、ヘナチョコ二枚目半をやらされるのが落ちなので、高橋氏はなるべく時代劇優先でお仕事してください。