『永遠の0』(ネタバレだらけ)

ここ数年の和製戦争映画で秀作と言い切れるのは『太平洋の奇跡』くらいで、あとはイーストウッドが栗林中将を描いた『硫黄島からの手紙』に遠く及ばないものばかりなのがじつに残念。『永遠の0』はひそかに尊敬するミリヲタさんも絶賛していたので期待して映画館に行った。

制作発表を聞いた時から、戦後の左翼ジャーナリズム批判を入れなかったら、百田尚樹の原作を使った意味がなくなると思っていた。が、上映開始後、待てども待てども原作の新聞記者にあたる人物もそれに近い人間も出てこない。おまけに、エンドテロップの撮影協力に「朝日新聞」の文字が……ゲゲゲ。だからと言って、原作の肝が全否定されたとか、だめな映画だとかいう感想は湧かず。原作にこだわって描いてほしかった点が一部省略されたことは惜しまれるにせよ、これは記憶されるべき邦画の列に連なる一作である。

映画ファンのあいだでよく囁かれる「ダメな戦争映画の三条件:勢いをそぐ回想シーンの挿入。とってつけたような反戦台詞。見え透いたお涙ちょうだい」はなかった。山崎貴は、脚本、VFX、監督の大役三つを立派にやりとげた。


海上を低空飛行しながらアメリカの空母に迫るゼロ戦一機。「悪魔だ!」とうろたえる米兵たちの声。
直後、場面は現代日本へ。若い姉弟の祖母、松乃の葬儀の場が映る。泣き崩れる祖父。その後、姉弟は初めて、実の祖父と信じてきた健一郎が松乃の二度目の夫であること、血がつながった祖父、宮部久蔵は特攻で亡くなったことを知る。祖父について調べはじめるフリーライターの慶子。慶子に言われて手伝う司法浪人中の健太郎。

生前の宮部を知る老人たちの聞き取りを始める姉弟。最初の数人は、宮部を「命を惜しむ臆病者だった」とこきおろす。ところが、景浦だけは、健太郎が「臆病者」を口にするや激怒、二人を家から叩きだしてしまう。

このあと、現在と戦争期が交互に移るのだが、間が悪いと感じさせる演出がまったくなかった。

日本の戦争映画に出てくる理想主義者はたいていの場合、ただの無責任野郎だが、宮部はそう思わせないところが貴重だ。敵に効果的なダメージを与えられなければ作戦は成功とはいえないという、しごくまっとうな意見を吐く。原作には、武士の情けで敵兵を見逃した同僚に「そんなことをしてはいけない」と食ってかかる場面もあった。そういう判断力の持ち主だということも描けば、さらに重層的な人物になったのに。
ヒーローは思考力だけでなく戦闘能力もなければ話にならない。じつは敵に回したら怖い技量の持ち主だということもきちんと映像で見せている。日本映画界ではこの"当たり前"がめずらしい。

爆発炎上に迫力があり、ちゃんと"黒煙の量>赤い炎"になっていてリアリティがある。
アメリカの戦艦から大砲を発射するシーンで、反動がないような撮り方だったが、あれでいいのか? もっと古い戦争を描いたドラマ『坂の上の雲』と比較してしまうのが間違いかもしれないのだが。

空中戦のスケールの大きさは、最近の映画としてはアニメ『スカイ・クロラ』に次いで満足できた。アニメと比べるのもへんな話だが。実写映画や大河ドラマが幼稚化しているのは、戦いを描く才能にたけたクリエイターがアニメの世界へ行ってしまう傾向と無関係ではないと思う。

原作の慶子には、高山という婚約者がいる。朝日あたりの左傾メディアの新聞記者をモデルにしたとしか言いようがないいやなやつで、自分では過去の歴史についてまったく調べないまま、先人を貶める発言を連発、しまいには武田にどなりつけられる。このくだりがいっさい出てこなかったのが、かなりものたりない。その点については、軽薄な合コン男と健太郎の口論でがまんしてください、というのがスタッフの心中なのか。

大石と松乃が親しくなる過程をもちっと削れば、ほかのことが描けたのにと思わないでもない。景浦が日本刀を振り回して、やくざ者の妾にされそうになった松乃を救出するエピソード。どーして語りですませるかなぁ!?? あれこそ、映像化するべきシーンじゃないか! まあ、新井浩文の印象が強くなりすぎるのがまずいのかもしれないけど。

印象に残った台詞。(と言いながら、ザル頭の記憶が不正確で申し訳ない)
宮野が最後に特攻を選択した理由について「ほんとうのところはわからない」
「生き残った者は、物語を続けなくてはいけない」

この映画は、必死に戦時中を生きた若者一人一人に物語があったことを伝え、ついで今の若者に使命感をうながす形で、生きていくことを励ましてもいる。主人公はあくまで宮部だが、その孫、健太郎の成長物語にもなっている。

エンディングシーンとオープニングシーンが見事につながった、きっちり締めた終わり方だった。監督によっては、原作通り宮部の無残な遺体を映しただろうが、なるべく幅広い層に見せたいという山崎氏の選択は尊重したい。


サザンは嫌いじゃないが、この映画のエンディングにかぎっては、劇中と同じく佐藤直紀による歌詞抜きの曲をお願いしたかった。終盤、戦死した宮野たちの思いを松乃が理解するくだりのBGMによる盛り上げ方は、まったく正しく王道。

戦争について、黙して語らずを貫いて生きてきた老人を演じる役者たちが、映画の重みを半分以上担っている。結婚後一度も宮部の名を口にしなかった男を演じて説得力のある夏八木勲。朴訥ないい青年が年取ったらああなるだろうと思わせる橋爪功。人品骨柄という言葉がふさわしい、財界の大物を演じた山本學。が、なかでも田中泯の印象は強烈。この人は、スカしているというニュアンス抜きで、日本映画で一番かっこいい男ばかり演じている俳優ではないか。ほかの老優たちよりやや若いので、最初は黒シャツ姿がダンディーすぎるようにも感じたが、危険をくぐり抜けて生きてきた男の凄みが画面を支配する。原作よりやくざっぽさをやや薄めにしたのは、幅広い観客層への配慮なのか?

老年期の景浦が田中泯で、若き日を演じるのが新井浩文! わかってらっしゃるとしか言いようがないキャスティングだ。搭乗員としての腕に絶大な自信を持ち、"軟弱者"の宮部に模擬空戦をもちかけ、負けたことで死が怖くなり、宮部を尊敬するようになる。古今東西の映画で主人公のライバルにありがちな設定だが、「この男に一目置かれるからこそ、主人公は凄い奴なんだろう」と思わせるためにも、ライバル役は力がある役者がやるべきなのだ。

染谷将太はとんがった役もうまいが、宮部の思いに報いる誠実な大石役でも胸を打つ演技を見せる。

須田貴裕を初めて見た時から、あのきりっとした風貌は絶対軍人向きだと思っていたが、この映画で顔を拝めて嬉しい。次はもっと出番が多い役でぜひ!

岡田准一は、いつも"平成の繊細な俺"的な自意識を首筋に漂わせる印象が強くて苦手だったが、この映画では緊張感のあるいい顔をしている。台詞がないシーンがとくにいい。最後の、死んでも松乃と清子のもとへ帰るのだという思いが滲む笑顔は見事。

劇中、「戦争を知る人間はあと十年もすれば死に絶えてしまう」という台詞が出てくる。実体験で敵兵の恐ろしさを知り、それを描ける映画監督はすでにいなくなっている。
百田原作としては、スケールの大きな『海賊とよばれた男』も映像で見たい。いろいろ横槍を入れるテレビ局と無関係に制作できないものか。