『金魚姫』

闇夜に浮かぶ赤い提灯。

川面に映る赤い提灯。
ヒロインの赤いドレス。
赤い金魚。
赤が映える、陰影に富んだ映像美を堪能した。
終盤の水中撮影にドキドキ。青山氏はタルコフスキーのファン?

荻原浩の原作は未読。
お仕事ドラマの傑作『ボーダーライン』で名前を覚えた宇田学の脚色すばらしい。
映画監督、青山真治が監督するなら一見の価値あり、と期待し、期待以上のファンタジックなドラマだった。
人生どんづまりの青年、潤が、金魚の化身と出会い、生きる意味を再び見出す。
うだつの上がらない新米の仏壇営業マンとさまざまな人とのかかわりが、わずか一時間半のうちにときにシビアに、ときに温かく描かれる。職場の上司や同僚、客、元カノ、肉親、そしてなぞの美女、琉金。潤が親しく言葉を交わした面々の正体は……。琉金だけが転生するのかと思わせて、潤の意外な過去が明かされる。

瀧本美織にはとくに大物感はないのに、『ワンダーウーマン』のガル・ガドットを彷彿させる"明るいお姫様"ぶりがひじょうに魅力的だった。『剣客商売』に引き続き、極私的にポイント高し。
志尊淳は正直苦手なタイプなのだが、『太陽を愛したひと』、『植木等とのぼせもん』などNHKで大事に育てられているようだ。

『三浦部長、本日付けで女性になります』

小粋で軽快で楽しかった。とくに、トランクルームでの鈴木慶一のBGMを使った演出が一番印象的。新田真三Dは初見……ではなく、緊張感があって好みの『七つの会議』やいまいちノレなかった『トクサツガガガ』を担当した人だったのか。今回はコメディセンス抜群と感じたので、今後コメディをやることがあったらまた拝見したい。
主人公の妻が「夫が女に変わるのは、DV受けるのと同じ」は考えさせる台詞。なにかと「マイノリティに寄り添え」みたいなのを主張すれば褒められやすい昨今、マジョリティ側の苦痛を描いたのは新鮮である。
給与計算ソフトで性別が「男→女」と変換されたとたん月給ガタ落ちなんてエグイ展開を描いたら、また違ったテイストになっただろう。

伊藤沙莉は巻き込まれ型の"ふつうの女子社員"がはまる。それでいてオタク女子もはまる。その持ち味でCMの仕事も来たようでめでたい。
ムロツヨシのふざけたようなまじめなような個性が役に合っていたが、大真面目にLGBTについて考えたい人には軽すぎたかもしれない。

『おしん』終わる

本放送は1983年4月~1984年3月。1981年の流行語が「クリスタル族」、1984年の流行語が「マル金」。日本中がなんとなく浮かれていた時代に放送されたドラマである。明るい時代だからこそ、ああいうしんどいドラマがヒットしたのだ、という説は当たっているのかもしれない。
橋田寿賀子は、戦後の日本人は豊かさと引き換えに大事なものを失ったと思い、この作品を書いたとか。ヤオハンダイエーの創業者をモデルにしたのではなく、丸山静江という女性の手紙が発端であったとは意外である。

人は貧しければ心がすさみ、金に余裕ができれば心がよどむ。

必死に生きた女の一代記を、大量の台詞で見せてくれた。おしんだけでなく、彼女と対立する人々にもそれなりの言い分があるのを、きっちりと語らせる力量がすごい。おしんの生き方も、けっして一面的に良しとはしない。戦時を批判的に描きながら、登場人物のだれも薄っぺらい悪人にはしていない。何事も多面的に描ける剛腕の脚本家ということはよくわかったが、橋田女史のドラマを見るのはこれが最初で最後になるだろう。『鬼渡』の評判を聞くだけでも、本来自分の好みではない作風と想像する。

世間で『おしん』というと小林綾子の名前ばかり出るので、3か月くらいは子役でいくのかと思っていたら、36回で終わりだった。「おしんの『しん』は信念、心、辛抱、芯、新、真の『しん』」が当てはまる利発で強く優しい子供だった。
貧乏のきびしさを描いて一番強烈に印象に残ったのが、白粉まみれの母おふじに抱きしめられたおしんが、「かあちゃん、いい匂いだな」と言う場面。おふじは言葉では応えず、おしんではなく視聴者にだけ見える角度で、酌婦の辛さ、我が子に対するうしろめたさを表情ににじませる。あんな力のある画面には、昨今なかなかお目にかかれない。

田中裕子版もまた山あり谷ありだが、さまざまな職種にたずさわることで特技を身に着け、人脈を広げていく展開には爽快感があった。3話続けていいことがあったら、次はどん底に落とされる、のパターンを学ばされるのは爽快ではない体験であった。
噂に聞いた佐賀でのいびり話は……姑も姑だが、用意してもらったよその家での出産を拒むあたり、おしんも相当強情モンであった。「お女郎さんのどこが悪いんですかぁ?」なんて発言には、おまいはちょっとばかなのか、と思ってしまった。

乙羽信子版のおしんは、艱難辛苦を経て人格円満になるかと思いきや、平凡な母親みたいにいつまでも死んだ長男を偏愛したり、自分が従順な嫁だったと記憶を改ざんしたり、はぁ、これが橋田リアリズムですか、という印象。朝ドラでここまで主人公のマイナス面をあらわにする作品て、ほかにあるのだろうか。

加賀屋の大奥様、髪結いのお師匠さん、的屋の親分、網元のおひさ。彼らメンターに恵まれたのが、おしんの幸運だった。おしん自身も誰かのメンターたりえたはずなのだが、仁が中途半端におしんの才覚を受け継いだだけで、傑出した教え子を持てなかったのは残念である。旅の道中、圭に加代の一生を話して聞かせたのが、メンター的な役割と言えないこともない。それにしても、圭くん、「加賀屋を再興する」ってどうやって??

戦前の貧しい奉公者や娼婦の働き方は、今だとさしさわりがあるということで描けないかもしれない。視覚的な表現とはまたべつに、今より言論の自由があったのだなぁ、今なら主婦層のクレームを恐れて削除される台詞だろーな、というのもちらほらあった。暇な人間は正直に「時間ならいくらでもある」とか「あたしは遊んでるんですから」と言うし、商売人同士で「働かないうえにお惣菜買う奥さんたち、家で何してるんですかね?」「さあ」とか。今から37年前は、テレビの前にいる方も、「田んぼや個人商店で働き詰めだったかーちゃんに比べれば、あたしはラクチン」と思うだけの客観性があったのだ。
道子は、"庶民なのに""働かず""文句ばかり言う"種族の走り。商い命の田倉家における異分子だが、時代の変化をあらわすには欠かせないキャラである。

なぜか一度もキャスティングが更新されなかった浩太役。親の金で活動してるボンボンとして、登場してしばらくは、やや演出に皮肉な視点が感じられたが、途中からそれがなくなった。ああいう御仁は、加代と結婚しても、たたき上げのおしんと結婚してもうまくいかなかったと思われる。個人的には、あの手の活動家がちゃんと商売人として成功したという設定自体に違和感を持つ。橋田先生、活動家タイプに甘いのかしらん。

 

日にたった15分でも、うっかり録画をためるとめんどくさくなる。これからは、家人につきあわされないかぎり、朝ドラと無縁の生活パターンにもどる所存。

 

BS-TBS開局20周年記念ドラマから~パラリンピックに向けて

重版出来!』以来、実に4年ぶりにほんとうに見てよかったと思える民放の現代ドラマが2本登場した。

『左手一本のシュート』
原作はノンフィクション『左手一本のシュート~夢あればこそ! 脳出血、右半身麻痺からの復活』(島沢優子 著)。
原作未読だが、吉田紀子の脚色は見事と感じた。
中学時代、バスケットの次代を担うエースと目された若者が、高校入学式直前に脳出血で倒れる。てっきり車いすバスケットに進む展開かと思いきや、高校のバスケ部に入り、監督の後押しで試合に出場するまでの話であった。
連ドラなら"ふてくされて自暴自棄モード"の時期がねじこまれそうなものだが、2時間の単発ドラマだからこそ余分なものが入らない。正幸が希望に夢膨らませる冒頭、挫折、いろいろな人と出会いながらの前進、卒業前の試合。駆け足にならずにすべてが塩梅良く配分された。
ご母堂が立派な方で、神奈川遠征に同行して倒れたからこそ、よい病院に入院できた、よいリハビリの専門家も紹介してもらえた、と"不運ななかの幸運"に感謝する。何の落ち度もない顧問の先生にはちゃんと「先生は悪くない」と語りかける。後者は当たり前のことだが、それができる母親は今どれだけいることか……。
両親も先生方もバスケの仲間も主人公の足を引っ張ったりしないが、それをご都合主義的に描かない村上牧人の演出がすばらしい。主治医や理学療法士が正幸を助け、ときには正幸の熱意に感化される過程もムネアツ。
「いつか、きっと、やがて」正幸が中学を卒業してからも、案じてくれる中学のバスケ部顧問の座右の銘が、このドラマのキーとなる。
主人公も周囲の人も「やがて」を信じたからこそ達成できた、一本のシュート。スーパーアスリートの美技におとらぬ胸を打つ一瞬であった。
MONGOL800の主題歌『あなたに』もよかったが、選曲担当の谷川義春の仕事ぶりはさらに印象に残る。感情のかきたて方のほどのよさ。
エンドクレジットとならんで本物の田中正幸さんの写真数点が紹介される。なんともすがすがしく、心映えの良さがおもてに出ているような若者だ。現在はパラリンピックめざして競泳に励んでいるとのこと。ぜひまた夢が叶いますように!
バスケ部の合言葉が「テネシャス」。主人公の友人が「意味は知らねえ」なんて言ってたが、
ドラマの最後に「テネシャス、それはあきらめない心」みたいに字幕を出せばなおよかった。(tenacious:粘り強い、を意味する形容詞)
主演の中川大志をはじめ、俳優陣は老いも若きもみな好演。とりわけ印象に残ったのが、高校のバスケ部顧問を演じた駿河太郎だ。思いをすべて前面に出すことはなくとも包容力のある指導者というのを、さらりと演じてくれた。

『伴走者』

走る男たちがかっこいい。

それだけで一見の価値がある。
原作のノンフィクション『伴走者』(麻生鴨 著)は未読。
子供から高齢者まで幅広く楽しめる『左手』に比べると、こちらは人情の機微やお金の力を理解できる大人がより深く味わえる造りである。
日和食品陸上部の淡島は、ニューイヤー駅伝に出場できないばかりか、首を言い渡される。その後、失明した元サッカー選手の伴走者をつとめれば、日和に残れるとのオファーが来るが……。
初めの40分ほどは、日本のドラマにはめずらしい痛快なノリでわくわくした。サッカー界の花形だった内田は、見るからにプライド高く、現役時代に稼いだ富を武器に、「会社の二倍払ってやる。俺に協力しろ!」と上から目線。家族のために仕方なく伴走を始めた淡島と内田はことごとく対立する。ドラマの進行上やむをえないとはいえ、淡島の奥さん、ちょっとウルサイ。当方がうるさいと感じるときは、たいてい世間では「積極的ないい奥さん」と評判なのだが……。
スタッフ経由で、表向き強気な内田の内面が語られてから、ドラマは陰影をましていく。
自分のことばかり考えず、人のために走れ! と言う淡島。淡島に影響を受けながらも、自分の誇りのために走ることを忘れたのか? と問いかける内田。淡島の息子に、「中学に入ったらサッカー部に入れよ!」と励ます内田。淡島の最後の暴走のもとは、娘の誕生による喜びだけではなかった。

これは再生の物語である。と同時に、人間的に成長しても治らない欠点というものがあり、同じ過ちを犯してしまう者もあり、だがその欠点こそが他者を鼓舞していた……という、最後の最後まで目の離せない展開であった。内田の次の決断にも拍手を送りたくなる。

淡島は内田にかちんとくることはあっても、上から目線の同情を示すことはない。「目が見える人間の気持ちも考えろ!」は秀逸な台詞。

内田にも、見えないハンディを負っている者ならではの強みがある。「向かい風が吹いてる。俺を信じろ」。これがレース展開に大きく影響する。

ここまで健常者と障害者が対等に向き合うドラマは希少ではないか。
ブラインドランナーと伴走者が握るものを「テザー」と呼ぶのは初めて知った。ネット絡みのテザリングを連想させる言葉だ。伴走者はブラインドランナーと一緒に走るだけでなく、周囲の状況や方向を教え、ペース配分やタイム管理をする。ボート競技で言えばコックスが漕ぎ手も兼ねるくらい大変そうなポジションだ。
パラリンピックを目指すブラインドランナーのスピードが予想以上だった。健常者の女性ランナーのトップレベルとほぼ同等とか。吉沢悠(淡島役)、市原隼人(内田役)、高橋光臣(淡島の敵役)は、その設定に説得力を持たせる走りを見せる。吉沢は近年、陰のある三番手みたいな役を幅広く味わい深くこなしてきたが、主役として見るのは『動物のお医者さん』以来。今はさえないけど学生時代ものすごく熱かった男、を重層的に表現した。市原は今の日本ドラマ界ではまれな"去勢されていない男"を演じられる俳優だ。めんどくさいけどカリスマがあっていつも背筋がピンと伸びていた内田……極私的に、2020年のもっとも魅力的な主役の一人になりそうだ。高橋光臣はなんで現代ものだと、ちょっと意地悪な役が多いのかな? あくまで本領は剣豪だと思うが、ランナー役にもまったく違和感なし。

緩急自在な麻生学Dの演出が最高だった。スポーツドラマとして過去最高に楽しめた作品の一つとなった。清水有生の脚色も秀逸。トップを目指しながらも挫折し、妻子を養わねばならない淡島の台詞。サッカー界のトップスターだった内田の台詞。浮つかずに、人生を背負った男の熱さを表現できる脚本家として、これからも活躍していただきたい。

原作者は、「あそう かも」(あ、そうかも?)となんとも脱力するペンネーム。公式HPで紹介される履歴がなかなかおもしろい。『二・二六 HUMAN LOST 人間失格』は心惹かれる表題だ。

地上波フジとBSフジ

地上波:『剣客商売スペシャル『婚礼の夜』
久々に三冬と大治郎のキャスティングに納得したので、録画視聴。
鬼平犯科帳』で楽しませてくれた山下智彦D。今回も安心安定の演出で、まだまだ続けていただきたいと思った。『麒麟がくる』の撮影もこのドラマくらいの明度にしてくれると落ち着くのだが……。
大治郎は、婚礼を控えた友のためにみずから敵地に潜入し、己の手で強敵を討ち果たす。だが、三冬の恋はまだまだ成就しないのであった。
細かい法的な問題は気にしなくていい、時代劇ならではの醍醐味を堪能した。最後の大島ミチルのBGMも、祝福の曲のように聞こえる。
北大路欣也は現役感が強すぎるし、見るからに剣の腕も立ちそうなのがちょっと違和感あり。でも藤田まこと亡き今、仕方がない。
おはる役は万能選手の貫地谷しほり。年の差婚なのに姉さん女房の雰囲気を出せてさすがである。
冒頭の道場の稽古風景だけでも、高橋光臣を起用した甲斐があるというもの。重量感スピード感とも中堅どころではぴか一ではないか。もちろん一番の見せ場は終盤の大立ち回り。
瀧本美織がここまで女武芸者の所作ができて、コメディセンスもあるとは思わなんだ。
いつもは強面の印象が強い山田明郷がお茶を運ぶ姿がなんともほほえましい。
たっぷり2時間超時間を取ってくれて、時代劇ファンとしては感謝(しなくてはならない……フジだけど)。
今年の大河は好きで見ているが、あれだけ立ち回りを入れるのなら、一人くらい殺陣が上手い人に来て欲しい。高橋光臣山田純大も今年はお呼びがかからなかったか。

BS:『警視庁捜査資料室管理官SP』
タイトルから重厚なものと勘違いしていた。『踊る大捜査線』の夢よもう一度ということで、『踊る』スタッフが再結集して作ったドラマらしい。オタク心をくすぐるというより、内輪受けのムードに辟易して途中で離脱。ワンシチュエーションものを作ろうとする気概は尊重すべきだが、どういう層がメイン視聴者なのか見当がつかない。
瀧川英次は長台詞お疲れ様!という気分。
野添巡査長はまさか小橋めぐみじゃあるまいなと思ったら……小橋めぐみだった。まだ美貌と言ってよいと思うが、こういう役をやるようになったのか……。

攻めてるドラマ

イヤミスは読む気がしないのだが、黒沢清のような名手がドラマ化することが多く、映像化作品のほうは興味が捨てられない。
和製のダークなドラマに限ってはラッキーなひと月強だった。あまり期待しないほうがよさそう、という低~いハードル設定だったので、逆にかなり儲けた気分である。

『微笑む人』
貫井徳郎の原作は未読。優良ドラマ『乱反射』の原作もこの人か。
落合正幸D、秦建日子W。
本の置き場所がほしかったから妻子を殺したりするわけがない、あんな優しそうなパパ友が……。
いかにも事件記者らしいありきたりな発想しかできない鴨井晶が、母子殺害事件容疑者、仁藤俊美の無実を晴らすため、取材を開始する。太陽がまぶしかったから人を殺す人間だっているのだから、本の置き場所がほしくて殺す人間だっているだろう。あるいは奥さんに勝手に本を捨てられた過去があるのか、とチラリと疑ったが、さすがにそれはなかった。
仁藤の人となりがじわじわあぶりだされていく過程がおもしろい。しかし、すでに故人とはいえ、かつて身内だった梶原のことを、上司立ち合いの場で社員たちがためらいなくあしざまに言う光景には若干違和感あり。
鴨井が夫の素行調査をさせていることは、開始30分くらいで見当がついた。最後は鴨井が夫に殺されるのか、あるいは仁藤の予言通り鴨井が人殺しになるのか、と陰気にわくわくしていたら、後者であった。
『乱反射』同様、見る角度によって人となりはいかようにも解釈できるとする、苦味のきいたエンターテインメント。
スタッフだけでなくキャストもハイレベル。直近の仕事を見ていた印象では……もしかしたら松坂桃李のほうが尾野真千子より引き出しが多いかもしれない。

『ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~』
若竹七海の原作は未読。
全話視聴完了。主演の声が聞き取りにくい回もあったが最終回はあまりそれを感じず。なんというか数年ぶりにザ・ハードボイルド・ヒーローを見た! ヒロインではなくヒーロー。
監禁された葉村を助けるのがテレビを不法投棄しにきた中年夫婦ってところがなかなか乙だ。着衣のままシャワーを浴びながら、小娘の慰めの言葉など寄せ付けず、一人で落ち込む姿にグッときた。
若い娘が高収入につられて行方不明に。イギリス・ミステリなら麻薬&売春がデフォルトだが、そのどちらでもなかった。で、悪党たちが見慣れたブリカスのエリートと違って、大して金も権力もありそうに見えないのは、まあ毎度のことである。欧州の貴族が狩りを好むのは、68会とメンタリティーに少し共通点があるからかしらん。会結成当初は立場が弱かったであろう大黒が、資産家となって仲間をうまく利用する構図はエグくておもしろい。「嘘だろ、嘘だろ」の口真似のいやらしさ! 田中要次のキャリアのなかでは、かなりやりがいがあった役ではないか。
最終話はとくに耳に残る台詞が多かった。
「無理無理、あたし車の免許ないんで」。軽く脱力。字幕がないと「ないもんね」に聞こえちゃうところが残念。
「これ、結構おもしろいんだね」「なんで? ゲームしようよ」「はい交代」「ゲーム開始」
「何それ? ゲームで人殺していいのかよ」
「警察来ちゃったよ」「今あんた殺しても、後悔する気しないんだよね」。ここで目のアップになるのが最高。

岡田警視がオリジナルキャラとはつゆ知らず。名古屋NHKさん、いい仕事しましたなぁ! 名古屋といえば『鉄の骨』もあった。WOWOWがあれを超えるのはむずかしそうだ。とくに脚色と音楽。

事件を振り返る葉村の独白。「悪い大人に騙された世間知らずの愚かな子供と軽んじるのはかんたんだが、あの子たちには必死だったのだ。このどす黒い闇が支配する世界で、はかなく美しい光をどうにか消さずにいたいと。そんなあの子たちの気持ちを笑う奴は、わたしが許さない」。ここだけはもうちょっと渋かったり腹から声が出せたりする人の声で聴きたかった。
梅雀が最後にかける言葉がよい。「知らないわよ。探偵、葉村晶。辞め時失って、ますます深みにはまるの巻」

葉村がミチルにかけた言葉はながく記憶に残りそうだ。「強くなんなよ。あんたにも地獄が待ってんだから」
時流にさとい脚本家なら、「あんたも被害者なのよぉ、それを忘れないでぇ!」で締めるとこだが、今作の探偵はそんな(自分を甘やかすために他人も)甘やかすキャラではないのだ。

最後の探偵と刑事の会話もいかにも上等な好敵手らしくてよし。
「あんたに地獄はなさそうだね」
「いやぁ、地獄ですよ。だから、がんばれんですよ」

そして最後の最後にモノローグ。「私の名前は葉村晶。国籍、日本、性別、女。人は私を世界で最も不運な探偵と呼ぶ。まあ、それも悪くない」。甘くなりすぎない笑顔で締めた。

黒沢久子W、大森守D、そしていつもシャープな音楽を作ってくれる菊地成孔に感謝。青みがかった夜景の撮り方とジャズ風のBGMが、映画館にいるような気分にさせてくれた。

なぜだか間宮祥太朗のことを声優と勘違いしてきたが、俳優さんだったのだな。ありきたりじゃない立ち位置のエリート刑事がはまっていた。クールな顔して「すいません、インテリなんで」とほざいたり、情にからめとられずに山辺を逮捕したり、その件で湿っぽく葛藤しなかったり。やっつけ仕事の対極にある人物造形である。
池田成志にとっては今回の仕事も小商いにすぎない? 一度くらい準主役くらいの役で見てみたい。
脚本とシシド・カフカで作りだした葉村探偵のべたつかない優しさ、苦虫噛みつぶしつつも淡々と苦境を受け入れる感じ、たいへん魅力的であった。銃を持ってあんなにさまになる女優は昨今の日本ではめずらしい。綾瀬はるかはガンアクションできるけど、葉村タイプではない。栗山千明はたぶんかっこよくやれるだろうけど、黒い革ジャンとパンツも似合いそうだけど、やっぱ葉村タイプではない。
背筋がピンと伸びている、というのとも違うのだが、たたずまいに一本筋が通ったものを感じさせる。
べちゃくちゃしゃべらず、だが過剰に寡黙でもなく、四の五の言わずに仕事をかたづける探偵を、できればまたいつか拝んでみたい。その時はシシドさんがしゃべる場面の収音マイクを改良する必要あり。


これからは移民ageの薄っぺらいポリコレドラマが増えそうだ。このタイミングで心の深いところにふれる、予定調和ではないドラマが作られ、それを視聴することができて幸運だった。
上記のドラマ二つとも、主人公の名前が「晶」。イヤミスの書き手が使いたくなる名前なのだろうか。

この冬の大河と朝ドラ

おしん

目利きの友人の強い勧めにより、再放送を視聴続行中。総集編はすでに視聴済み。
初回からずっと構成がしっかりしていて、毎日鬼のように大量の台詞が流れてきて、それが各人の個性とぴったり合っていることに脱帽である。『あまちゃん』や『てるてる家族』ほど好みではないが。
一番人気がないと噂の音羽編に突入したが、川部がセルフサービスの店を推す場面には「新しい時代が始まりそう」だとわくわくした。米問屋の奉公人、髪結い、羅紗問屋、飯屋、魚の行商、八百屋とあまりにも多様な職についてきたおしんの経験が、良きにつけ悪しきにつけ言動に反映されている。
商売のことにしても娘の身の振り方にしても、長門裕之が立て板に水でまくしたてる場面には、お芝居ってのはこうでなくちゃいけない! と感じ入る。やり手の商人ならどうしゃべるか考え抜いた橋田寿賀子のセンスあってのことだが。
ドラマファンの反応を見るに、おしんの子供たちのなかでは仁が群を抜いて白眼視されているもよう。極私的には、きれいごとの世界で生きていられる希望よりも、世俗にまみれ、強情な母親相手に苦労しながら商売に取り組む仁のほうを応援したくなる。まあ、優秀な経営者になれなかったことは、総集編でわかってしまったが。
賢くて天使のような初子の今後が気になる。
「ご主人を送り出したら暖炉の前でレース編みでもして待つ生活を期待していた」とかいう道子はかわいいものだ。新聞の投書欄やらSNS上では、道子など足元にも及ばないほど怠惰でわがままな主婦が橋田先生もビックリの文句を垂れ流している。
禎子がけっこう身勝手である。おしんの「子供はせめて大学に」という教育が滑っちゃったんだな。庶民の女は苦労するのがデフォルトの戦前から、女なら楽して当然という方向への意識の変り目がちょうど今放送中の昭和30年代あたりか。
おしんにはいくらでも「今の若い人は根性がない」と言う資格があるが、「昔はお姑さんの言うことは絶対だった」には、どの口が言う? というのが正直なところ。幼いころからばーさんになるまで、強情なところ、肝心なことを身近な人に相談せずに独断専行するところは変わっていない。それにしても、今『おしん』のような企画を出したら「これは強者の論理だと批判されるから」とボツになるのだろうな。今後は、何度も邪魔くさいと感じた浩太が役に立つ場面がふえそうで、その演出が楽しみだ。


麒麟がくる
断続的な大河視聴歴のなかでツートップが『太平記』と『いだてん』である。『太平記』の後、池端俊策の再登板までなぜ30年もかかったのか気になるが、ともかく今年も昨年同様、初回から最終回まで完走するつもり。
賛否両論の衣装や野外風景の色調については、極私的にはなじめない。だがマスコミが「画面が暗い、汚い」と騒ぐと覿面に視聴率が下がるので、明るすぎるくらいでも仕方がない、と自分をなだめる。
軽い画面を補うかのように、音楽が懐かしいようなメロディーで、OPの字体もずいぶんと大時代な印象である。

真田丸』や『おんな城主 直虎』が国衆に光を当て、それが今回の大河にも引き継がれている。「昔ながらの戦国大河が帰ってきた」みたいに言われているが、考証面は昔よりバージョンアップしているのだ。戦(いくさ)場面では手持ちカメラが駆使されて『タイムスクープハンター』風味。NHK大河にも往年の予算はないので、俯瞰で撮るより下から撮るほうが正解と思われる。
初回と第二回で、油断していると領地に攻め込まれるのが当たり前、な感じがよく出ていた。若い光秀が借金帳消しのために侍大将の首を狙ってうろうろする場面がユーモラス。昨年も今年も、登場人物たちが爪の垢ほどのことで大騒ぎしたり、過剰な後悔や自意識や被害者意識に浸ることなく、生命力に満ちているのが好もしい。織田信秀の「城に帰って寝るか」は、今年の台詞マイベストテンに入るかもしれない。
初回から登場した菊丸は、3月以降に「あの日助けてもらった猿です」みたいな感じで光秀と再会するのかと予期したが、あっという間に再登場。『太平記』ではオリキャラの右馬介が随分と活躍した。菊丸はどうだろうか……ましらの石パターンは勘弁していただきたい。

三話見てきたかぎりでは、まだ『太平記』ほど惹きつけられない。おそらくは駒を助けたのが光秀の亡き父なのだろうが、誰とからめて判明させるのか見当つかず。
屋内場面で、偉い人たちが語り合う背後で使用人が細々とした作業に従事するさまが丁寧に演出されている。リピート時には、そちらにもっと注目したい。

太平記』と今作の共通点
1.毒殺がアクセント。『太平記』では終盤、主人公が実弟を毒殺したが、今回は早々と道三が裏切り者を毒殺した。
2.お飾りの権力者が絵を描く。『太平記』では北条高時仏画を描く場面が印象的。今回は土岐頼芸が鷹の絵を描く。高時のように、暗愚に見えて観察眼は鋭い設定なのかどうか、様子見だ。
3.旅芸人の活躍。池端先生が、お気に入りの尾野真千子をどう料理するかかなり楽しみ。
4.早い時期に主人公が旅に出て、広い世界を知る。ただ、高氏クンが帝のご尊顔を拝してしまったのに比べれば、光秀の驚きは小さい。
5.重要なキャラに口の減らない奴がいる。『太平記』では佐々木道誉。今年は松永久秀
6.OPで、基本、黒をバックになんかが燃えている。

太平記』は、働きに応じて土地や金品を与えないお頭には人がついていかない現実を生々しく描いていた。『麒麟』も、人間の欲や上昇志向を否定的にばかりは描かないと期待している。