『真夜中のスーパーカー』

2000GTが爆走するドラマ」を作ろう……見境もなく、そう決心しました。(大橋守D)

NHK地域ドラマ(今回は愛知発地域ドラマ)は拾い物が多いし、たぶんおもしろそう、山本美月の初主演作だし……くらいの気持ちで視聴。だが期待以上の、人をわくわくさせる夢のあるドラマだった。久々の永久保存決定。いつの日か、トヨタ博物館に行ってみたい。
近年のテレビは鉄オタへのサービスに余念がなく、カーキチ(死語?)の皆さんは置いてきぼりの気分を味わっていたかもしれない。本作は自動車が主役といってもいいホームラン級単発ドラマである。

世界最大手の自動車メーカーに勤める白雪は、デザイナーの夢破れ、転勤の前日に自動車博物館でナゴヤ2000GTのデッサンに熱中する。警備員の「早く帰れ」に従わなかった彼女は、日系ブラジル人四世のリカルドとともに、ナイトミュージアムに幽閉される。2000GTの運転席に忽然と現れる白いレーシングスーツの男。怪しげな男女の群れ……。

戦艦大和のカレイライス』(広島発地域ドラマ)も大橋Dと脚本家、會川昇――アイカワショウ!? ――のコンビによるドラマだが、『スーパーカー』のほうが数段上のエンターテインメントだ。前作はNHK的な臭みが鼻についたが、今回はそれもなし。戦闘機を設計した人々が名車誕生に貢献する流れにも、嫌味がない。
會川氏はアニメや子ども向けのヒーローものを主戦場としているとのこと。その経験が大人も子供も楽しめる今作に最大限生かされている。多くのドラマが、登場人物の心情を説明するために風景や小道具を利用する。しかし『スポーツカー』は、名車のパーツのメカニックな美しさ、疾走するスポーツカーのかっこよさそのものを前面に押し出している。女優ライト(?)を浴びた車の綺麗なこと! プロのレーサーによるレースシーンなど、ずいぶん贅沢なものを見せてもらった。

実際に自動車業界で活躍した方なのだろうと思わせる高齢男性が出演していた。2000GT開発チームの一員で、レジェンド・テストドライバーと謳われる細谷四方洋(しほみ)という方らしい。
アニソンのスター、水木一郎も演技と主題歌の両方で活躍している。

エンディングで紹介されるイラストの数々も目に楽しかった。

BS放送のみではもったいない。これはぜひ総合でも放送していただきたい。
車好きの大人だけでなく、夢を持ちにくいと感じているティーンエイジャーやら仕事に行き詰っている若者やら、ファンタジックな実写作品に飢えている人々やら、アニソンファンやら、いろいろな視聴者の心にヒットすること間違いなし! メイキングつきDVDを作ったらいい商売になりそうだなぁ。

『どこにもない国』前編

クドカン古沢良太と並び、「この人のドラマなら見てみようか」と思わせる脚本家が大森寿美男だ。この一月まで長きにわたって放送された『精霊の守り人』は大森氏が脚色担当だったが、ファンタジーというジャンルそのものに興味が持てないので、樋口真嗣が演出担当した戦闘シーン以外はあまり興味を惹かれずじまい。海外輸出を想定した、良心的な意欲作ではあると感じた。

今作の原案は『満州 奇跡の脱出』(ポール・邦昭・マルヤマ著、柏櫓舎)。力作ながら、アメリカ人のなかでも特に祖国への忠誠心が強い元空軍大尉ならではの偏りも皆無ではなかった。"原作"ではなく"原案"なのだから、ドラマが『満州』と違うこと自体に問題はないものの、新甫の造形がちょいちょいいかにもNHK的未来人なのは興ざめ。「ユートピアは心の中にある」は大森オリジナルのいい台詞。

音楽が川井憲次とは嬉しい! この人選だけでもウェットな演出を狙っていないと信じられる。
丸山が二度に渡って捕らわれるくだりは、『満州』を読んでいなければもっとハラハラできたかもしれない。だが彼は、有力者に書いてもらった文書――プラス、妻から贈られたロザリオ――に救われる。誠意だけでなく、金や人脈や交渉や大国で力を持つ宗教の利用価値をきちんと描くところは大人のドラマだ。

ポール・マルヤマの母は生涯「ロシア人だけは許せない」と言っていたそうだ。ロシア兵の蛮行は日本のドラマにしては描写していたほうか。共産圏に関することは少しでもネガティブに言ってはいけない、みたいな時代のNHKを記憶している身としては隔世の感がある。○十年ほど前、満州からの引き上げ組である老人から「中国人はロシア兵を『ターピーズ(大鼻)』と呼んで嫌っていた。ターピーズの敵だからと、日本人を助けてくれる中国人は少なくなかった」と聞かされた。ドラマでは丸山を追う兵たちの行く手を大八車が阻んだように見えるシーンがあったが……NHK的には日本人は嫌われてたことにしないとまずいので、偶然車が通りかかっただけということか。

木村隆文氏は『坂の上の雲』、『真田丸』の演出家とな。緊張感、俯瞰的な視点、志のいずれにおいても、少しでも戦争が絡むドラマで『坂の上』を超える作品作りは至難の業のようだ。
後編は日本の政治家disに走るのかと危惧したが、予告を見る限り、どうやら吉田茂の尽力はスルーされずにすみそうだ。丸山が家族と再会を果たすまで(?)のあれこれを、75分でどう配分するかが見ものである。武蔵の拷問監禁シーンの比率によって後味がかなり変わってくるだろう。

ぴんぼけニュース語り

*国内ニュース
『プライムニュース』(BSフジ)は先週あたりから、以前にも増して興味深いテーマを連続して取り上げている。北朝鮮問題、働き方改革、有人探査のあらたな焦点、第4次産業革命を生き抜く方法云々。とりわけ宇宙開発の回は、向井千秋若田光一油井亀美也3氏のお話がおもしろかった。皆さんいい顔をしていらっしゃる。火星への渡航の際は月面の水と氷から(水素と酸素を分離して)燃料を生成すればよい。宇宙で使う長期滞在用施設の開発は、地上で利用可能な施設の開発にもつながる。月面の砂を月面建設の資材に利用する際に既存の建設技術を応用できる、この分野は日本が強い。傾聴に値する、具体的かつ肯定的な意見がさまざま開陳され、日本にもまだ活路はありそうだと感じることができた。
この番組は、ゲストから専門家としての意見を訊き出し、かつ踏み込んだ質問をする反町キャスターの存在なくして成り立たないのだが、なんと同氏が4月から『プライムニュースイブニング』(PM4:50~)なる地上波フジTVに移ってしまうとか。失礼ながら、Eテレを除いてそんな時間に放映する地上波の番組に、録画してまで視聴する価値があるとは思えず。また、肝心の『プライムニュース』の質が維持されるのかもひじょうに心配である。宮内社長の意図はどこにあるのやら……。

*海外ニュース
BBCが母子ケアシステムについてミニ特集を組んだ。以下、ザル頭に残った範囲で覚書。ヨーロッパのニュースはしばしば旧植民地に触れるのだが、今回はインドの新生児の栄養状態の悪さや医療制度の不備とともに、マラウィ(1964年独立、現在は英連邦加盟国)の母子健診導入の試みを紹介していた。さらに、日本はなぜ世界で唯一、”新生児の死亡が1000人に1人未満”を達成したのかを取材。母子手帳の配布、産婦および乳児誕生後の母子の定期健診という取り組みが功を奏しているようだ、という結論だった。日本の産科医療従事者の技術力(と過酷な勤務状況)にも触れてほしかったが……現状では日本の母子ケアが世界一であることは間違いない。


ユニセフの関連記事↓
https://www.unicef.or.jp/news/2018/0023.html
カナダの関連ネット記事↓
http://www.cbc.ca/news/thenational/national-today-newsletter-school-shooting-infant-mortality-1.4543496
("Births, and too many deaths"以下)

途上国での新生児の死亡の8割は、早産、栄養失調、先進国なら治療が容易な病気が原因とされる。全死亡の過半数を占める10ヶ国には、件のインド、マラウィが名を連ねる。旧植民地からあいかわらず収奪するとともに少しは援助もしてきたイギリスでは、「なんとかすべし」の声が上がるのではないか。
最近は随分とけっこうな国のように伝えられるカナダは、乳幼児の栄養状態に関して豊かな41か国のなかで第37位。子供の18%が貧困状態にあり、先住民の子となるとそれが51%に達する。
つねづね、新生児の死亡率の高さと妊婦経産婦の不平不満の多さは反比例するのではないかと邪推してきたが、日本に次いで子が育ちやすい北欧やシンガポールの女性がぐだぐだ言ってる系の話は聞いたことがない。メディアの産科医叩きも日本が突出しているのだろうか。

ABCは連日、銃乱射事件のその後を報道。娘を殺されたある男性が息子達とともに連日カメラの前で発言している。見たとこいかにも成功したビジネスマン風だ。「政府はいいかげん規制に乗り出すべき」と主張する彼は、強気ではあるがヒステリックではなく、背広の襟には星条旗をかたどったピンバッジをつけている。政府に抗議する人のタイプの彼我の違いを感じる。

 

『西郷どん』を二話まで見て

原作未読だが、林真理子の他の時代小説は数冊読んだことがある。いずれもNHKのお偉方にウケそうな主婦の視点だのリベラル仕草だのとは無縁の、時代背景を尊重した筆致であるのと、主人公をかなり突き放した視点で見ているのとが印象に残っている。第一話のジェンダーネタは99%原作とは関係なさそうだ。あれは上層部のお達しなのか? Pがでねじこんだのか? 脚本家の趣味なのか?

脚色担当の中園女史のプロフィールを調べたところ、『トットてれび』以外は自分が避けて通ってきたタイプのお話ばかり書いていた御仁らしい。『西郷どん』は今のところ、ドラマとしては成立していると思うが、大河ドラマとしてはなんともお手軽な印象がぬぐえない。斉彬がなぜか吉之助とばったり会って「めそめそするな。強くなれ」と言ったのはよいとして、吉之助が「弱い者のため」を連呼するのってどうなのか? あの時代なら「薩摩のため」、「お殿様のため」じゃないのか? 47回を通じて一度も「国のため」が出てこなさそうな悪い予感がありすぎる。

吉之助はお腹を空かせてる弟妹のために持って帰るべき銭を、よその娘を助けるために使ってしまい、そのうえ最終的には救出計画は失敗に終わる。この手の半端な親切はかえって人の恨みを買うものだが、ふきは「立派なお侍さん」などと感謝の言葉を述べる。内容がない脚本と言われた『龍馬伝』でさえ、初期には親切にされる人間が募らせる劣等感のような人情の機微を描いていたものだが、今年はまったく望めないのだろうか。

史実では吉之助の直属の上司は立派な人だったようだが、第二話の視聴者は、絵に描いたようなわかりやすい小悪党を見せられた。

平清盛』の反省なのか、ただ南国の明るさを出したいからなのかわからないが、陽射しの映し方が明るすぎて逆に疲れる。
だらだら子供時代を引き延ばさなかったのはよかった。

なぜこんな食指が動かない大河をわざわざ見るかと言えば、三十代の"時代劇の星"高橋光臣が出ているからだ。意外にもピン・クレジットで出番が多そうだが……今の脚本、演出だとリアルで見るのはきついので、来週から録画して早送りで飛ばしながら見ることに決めた。

あんな浅い造形の主人公なのに、まったく浮つかないしっかりした芝居をする鈴木亮平は立派な役者さんだ。黒木華も古風な日本女性になっている。二人とも『天皇の料理番』のメインキャストだったか。
こういう人たちには大森寿美男あたりの脚本で大河デビューしてほしかった。鈴木氏は土曜の夜に大森脚本ドラマに出ているので、まだラッキーな方? 三谷幸喜が二度目の登板を果たしたのだから大森氏も! と期待していたのに、朝ドラ担当が決まったそうで、大河はまた遠のいてしまったようだ。

時代劇専門チャンネル制作作品3本視聴

藤沢周平新ドラマシリーズ第二弾『橋ものがたり』
『小さな橋で』
演出は杉田成道とのこと。何も藤沢原作を使って『北の国から』をやらなくてもいいのに。子役はうまい人なのだろうが、ず~~っとナレーションが続くこと自体より、現代っ子の自意識を感じさせる語り口がどうにも受け付けなかった。大人たちの芝居にもあまり感心せず。

『小ぬか雨』
つい数年前にも『小ぬか雨』の脚色を見たような気がするのだが記憶違いなのか……と思ったら、BSプレミアムの傑作時代劇『神谷玄次郎捕物控2』で神谷が絡む話として流用(?)されていた。今作は、井上昭Dの演出の間合い、北乃きいのはりつめた表情のどちらも素晴らしく、余韻が残る寡作である。北乃さんには、また時代劇で町娘を演じてもらいたい。

池波正太郎時代劇スペシャル『雨の首ふり坂』
J:COMプレミアチャンネルで放送ということ以外、情報を仕入れずに見たおかげでサプライズがいくつもあり、正月早々得をした気分である。
のっけから白須賀の源七の後ろ姿が出てきて画面が揺らぎ、渋い和風イラストに。EGO-WRAPPINのBGM、そして「脚本:大森寿美男」のテロップという嬉しいトリプルパンチ。原作未読なので、どこからどこまでが大森氏の功績なのかはわからない。そしてハードボイルドなムードを高める低音のナレーション。エンドクレジットで、極私的には今日本で一番魅力的な声優である津嘉山正種だったと知る。まだ現役だったのか!

やや速めなテンポ。障子に映る紅葉のシルエットの美しさ。とりわけ黒と橙の色合いが、オノ・ナツメの漫画『さらい屋 五葉』を彷彿させる。夕暮れ時のたき火と川辺の景色が忘れがたい。
流水を隔てて景色を撮ったみたいな画面が何度か出てきた。河毛俊作Dが狙った「フレンチ・ノワールのような雰囲気づくり」の一環だろうか。
女郎屋の女将の台詞がやや説明過多だったのが惜しい。

「○○さんですね、仁義は省きます」は、ろくでなしらしい(かっこいい)挨拶。
近頃のドラマにはめずらしい血しぶきやら片腕やらが飛ぶ殺陣。それから「こうして身重のおふみを捨てた源七は、半蔵とも別れ、二十五年の歳月が流れた」のナレーションであっさり四半世紀を飛ばすそっけなさ。

源七は万次郎の更生を心から願う。「ここにほっぽってくれりゃぁいい。おめえはもう堅気だ。こんなろくでもねえ生き方してるとなぁ、この歳になってやあっと見えてくるもんもあるんだよ」「俺みたいな人の返り血浴びて腐りきった体になっちまうと、どうにもならねえや。お前は違う」「もしかしたらもっと別の生き方もあったんじゃねえかってな。お前にはまだ流れてんだよ、人の血がな」

万次郎は、病に倒れた源七を見捨てず、うどん屋の茂兵衛に助けを求める。

おそらく辛酸をなめ尽くしてきた茂兵衛。この親父のぼそぼそした語りが実にいい。「そう死に急ぐこたぁねえよ。葬式の日はかならず来んだからよ」「昔はさんざん俺も人を苦しめたんだ。人の道ってのはよ、どこでどうなるかわかりゃしねぇんだよ。あんただってよ、まだ間に合うぜ」「食べないで死ぬより、食べて地獄に落ちる方が悔いがねえだろう」
人生で二度目の堅気からの親切を受け、源七は生まれ変わる。

行田の甚五郎は幼児を助ける気になってからも、べたな笑顔を浮かべたりしないところがいいな。

恩人の墓前での「茂兵衛さん、俺は死んでもあんたのひ孫とお千代坊を守るぜ」は、いわゆる死亡フラグか。

人生最後の果たし合い。源七の外套の脱ぎ方がイマイチ。
この時の藪塚の半蔵の行動が意表を突く。「人間は善だけではない、悪だけでもない」とする池波らしい造形。
老いたりといえ腕は衰えない源七、半蔵コンビは瞬く間に竹原一家の子分どもを片づける。
残るは客人扱いの刺客、橋羽の万次郎。
「あんたと差しで勝負がしてみたい」
母が甚五郎に託し、甚五郎から渡された小判みっちり巾着のおかげで、万次郎は命拾いし、源七を斬る。
そして、かっこよく歩み去る。

「あいつは強えなあ。昔の俺らでも斬られてただろうな」
「おい見ねぇ、昔のお前そっくりだぜ」
「笑わせるなよ」
泣きに持って行かない主人公の退場場面が粋である。因果は巡るという言葉も浮かぶ。

盤石の梅雀と予想以上にはまっていた大杉連。いつも以上に名バイプレイヤーぶりを発揮していた泉谷しげる小市慢太郎。ベテラン勢の芸を楽しめるのはもちろん嬉しいが、若手の鍛錬の場にもなっているのが、今作のよいところ。中尾明慶は登場時、芝居も立ち回りももうちょいかなと思ったが、それが役回りに合っていた。馬場徹は『MOZU』に出ていたのか! これから時代劇や刑事もので活躍しそうだ。三浦貴大は前から古風な持ち味が魅力的だったが、今回は締めのシーンにふさわしい存在感を発揮。どんどんチャンバラ物に出ていただきたい。

 

『おんな城主直虎』終わる

真田丸』と二年続けて主人公にあまり魅力を感じず、大河にしては撮影が残念な場面が散見され、音楽も――本来、菅野よう子作品は好きなのだが――好みではなかったし、脚本家の手癖に辟易させられることもあった
が、
風林火山』終了後、何度も死んでは息を吹き返しかけ、やっぱりだめで……を繰り返してきた日曜夜8時のドラマが
この二年で新しい方向性を見出したようだ。
新しい学説を積極的に取り入れ、史実と創作を巧みに撚り合わせ、武田やら太守様やらの大勢力に翻弄される国衆にとっての戦国を、生き生きと描き出していた。

20年以上前の大河にくらべれば豪勢な合戦シーンはない。が、そのかわり『直虎』では農耕や植林に関して手間も予算も投じたのではないか。メーキング番組で、一日で広範囲の稲を刈り取って次の場面につなげる作業が紹介されていた。裏方のみなさんの労力はいかばかりかと思ったものだ。
小さな井伊家界隈の物語にしては、第一次産業から第三次産業まで幅広い職種を丁寧に描いていた。交渉の過程を地道に積み重ねた点も印象的。幼なじみ萌えというやつに縁がないので、主人公周りの台詞で一番いいなぁと思ったのは、直之の「ここらが落としどころにござりましょう」。

『ハウス・オブ・カード』のように見るからにえげつないという作風でなく、時に甘口のBGMを流したりしていたが、実態はかなりシビアなポリティカル・ドラマである。力がない者が生き残るためには身内を切り捨てなければならない、あるいは知恵を絞って極上品で強者の機嫌を取らねばならない。最大の力を得た者は、好むと好まざるとにかかわらず、二番手の弱体化を図らざるを得ない。

女性主人公の頻度は下げた方がいいと思うが、今年は主人公が女性であり、武家の出ながら僧籍に入ったという境遇が有効に働いていた。坊さんたちが仏教を学ぶだけでなく、武術の鍛錬にはげむ場面も多々あり、その縁で(?)ヒロインが槍をふるう場面にまで持っていくとは思わなかった。
夫も子も持たなかったことを母親に詫びる場面を作り、しかし最終回で「子を持たぬからこそ、どの子もいとおしい」と言わせて織田方に殺されそうな子を助ける。生涯独身という主人公の設定を生かし切ったすばらしい展開である。

昔の重厚大河でも、最後は消化試合になることは少なくなかった。今年のように40話を過ぎたあたりからぐいぐい惹きつけられるのは珍しい。IQの高い脚本というか、一年かけてまいた種を片っ端からきちんと回収していくさまは実にあざやか。直虎、信長、氏真ほか多くの人間が、自分が他人にした仕打ちの報いを受ける"因果応報"のリピートのえげつなさというかストーリーテリングの巧妙さというか、森下佳子氏のレベルでないと"伏線を張る"なんて言葉は使っていけないなと感じる。

義元、信玄といった大物を誇張気味に記号として描く割り切りには、清々しささえ感じた。信長もカリスマと威圧感のだけの上様で終わるのかと思いきや、退場間際になって、心から茶器を愛でたり家臣への優しい思いをつぶやいたりと、ずいぶんと人間味を増していた。光秀に狙われているとはつゆ知らず……頭が切れすぎる人間にはこんな迂闊なところもあるのかもしれない、などと思わせる。

女性大河のふれこみを聞いた時にいろいろ危惧したことが杞憂に終わり、大河ファンとしてはかなり幸福な一年であった。責任がないところできれいごとを並べる女性キャラがいなかったのも何より。寿桂尼の女傑ぶり。築山殿も成仏するであろう新しい瀬名像。於大の方の戦国の母像も強烈だった。一度は我が子に「信康を殺せ」と命じ、二度目も徳川に災いを招きかねない男児の命を奪いそうになるが、直虎の反論に納得して引き下がる。寿桂尼のレベルではないにせよ、一人前の女外交官とはああいうものだと思わされた。

 

『おんな城主直虎』第45回~第46回

歴代大河の首桶登場回数のランキングを知りたくなってきた。昔の大河で首桶といったら、主人公が打ち負かした敵の大将のそれであることが多かった。今年は違う。しかもhot warの戦利品たる首ではない。大国に国を潰されないよう交渉をまとめるために、主人公の身内や親友が犠牲になった結果なのだ。

行政をていねいに描くのが今作の美点だが、交渉をスルーしないところも近年では稀ではないか。一度は信康助命をあきらめた家康が氏真に一縷の望みを託し、氏真は瀬名のために奔走、北条と同盟を結ぶ。結果的には瀬名を救えなかったわけだが、歴史の裏にはのぞんだ効果に結びつかなかった同盟……どころか、成立直前で決裂してしまった同盟が山とあるはず。歴史の教科書に太字で書かれない物語の積み重ねが、『直虎』に厚みを与えている。

信長役は多少大根でもカリスマがあれば務まるようだが、家康役はそうはいかない。『真田丸』で内野聖陽が見事な演技を披露したあとでは阿部サダヲは分が悪いかと心配したが、森下流の成長期の家康を立派に体現していて惹き込まれる。

いったいいつ見せ場がくるのかとじりじりさせられた栗原小巻は、第45回に真価を発揮。戦国の母の論理と情で家康を諭す場面は、今年のベスト5に入るはず。寿桂尼といい於大の方といい、大局を見て君主がとるべき道を冷徹に語れる女傑が出てくると、「これが大河だ!」と思える。
極私的にはここ2回の『直虎』で感銘を受けた演技者は、栗原小巻とならんで平埜生成。"正室を通して側室を選ばなかったところが迂闊"説にするかと思いきや、それはなかったので、高潔で賢い跡取りの悲劇と受け取っていいのだろう。平埜氏の再の大河登板が待たれる。この人の何がすごいって、信長とか松永弾正のような威圧系キレキャラはもっと得意なのではと感じさせるところなのだ。