『この声をきみに』第2回

船乗りが長い航海中、妻に本の朗読のテープを送るという話はユニークでいいエピソードだと思った。

キャストだけは魅力的なので、ためしにチェックを始めたが、脱落決定。
授業態度がふまじめな大学生とか、中年男相手にむきになる女講師とか、作り手のセンスが十年か二十年ずれている感じ。穂波は偏屈といっても『結婚できない男』の桑野のようにウィットにとんだコミカルな描写がなされているわけではない。毎日顔を突き合わせる家族ならささいな欠点でも耐えられなくなる、ということはあるだろうが、義母まで極端な拒否反応を示すのはいきすぎにしか見えない。そして、チャラいお友達が穂波よりマシとも思えない。

温かみのある画面作りはどちらかといえば魅力的。
竹野内豊はもちろん、ミムラ堀内敬子も他のドラマか映画でぜひ再会したい。
やっぱ自分は、大森美香のオリジナル作品にはお呼びでないと再確認した。

『眩~北斎の娘~』

光と影を際立たせる照明(佐野清隆)と撮影(相馬和典)とVFXがすばらしかった。稲本響の音楽も画面作りと競うかのように見事だった。ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けて交響詩〈海〉を書いた話を彷彿させる。
海外の映画祭に出品するとのこと、なるほどと思う。吉原の座敷の場面など、もうちょい明かりを落とせばさらに陰翳礼賛したくなるのにと思ったが、外国人にはあのくっきりした赤と黒が受けそうだ。

絵師を主人公にした映画に篠田正浩監督の『写楽』があるが、今作は絵のドラマとして引けを取らないし、人間ドラマとしては明らかに上回っている。わずか一時間十五分弱で「うまくなりてえなぁ」とつぶやきながら、あがいてあがいて描き続けた女の一代記を描き切った。

クリエイター主役のドラマには、己を見つめて狂気の世界に近づくような"内にこもる"傾向を描く手法がある。今作は、決して満足しない絵師たちを描きながら、彼らの目が外に向いていて開放感がある。素人が余計な口出しをすることはあっても、絵師同士の足の引っ張り合いなどは描かれない。BGMも舟が大海原に漕ぎ出だすような、広がりをイメージさせるメロディーだ。

北斎といえば長生きと引っ越し魔――あまりに散らかすので大家に追い出されることが多かったとも聞く――のエピソードしか知らなかったが、〈富嶽三十六景〉制作より前に卒中で倒れていたとは! 北斎の復活が、甲斐甲斐しい妻の看病ではなく、喧嘩別れした戯作者の叱咤激励によるとする作風がいい。失明以前の滝沢馬琴の言葉に迫力がある。
「無様よの。こんな掃きだめで恍惚としおって。絵描き風情が人並みの往生を願おうとも、わしの知ったこっちゃない。だが、わしはかような往生は望まぬな。たとえ右腕が動かずとも、この目が見えぬ仕儀にいたりても、わしはかならずや戯作を続ける。まだ何も書いておらぬ。おのれの思うように書けたことなどただの一度もござらぬ。それは翁も左様ではなかったのか!? 葛飾北斎! いつまで養生しておるつもりだ! それでもう満ち足りたのか? 描きたきこと、挑みたきことはまだ山とあるのではなかったのか!」
こういう厳しい真実味のある台詞を聞くのは、『TAROの塔』(作:大森寿美男)以来だ。

絵が仕上がるまでの工程をずいぶん丁寧に見せてもらった。ベルリン藍の美しさも堪能。
絵師と彫師も偉いかもしれないが、いつ見ても信じがたいと感じるのは、いくら見当があるとは言え完璧に摺り上げる摺師の技だ。

武家の葬儀で遺体に懐剣が置かれる場面は多々見てきたが、町人だとカミソリでいいのか……。

お栄の母や義妹のような普通の女には独善があり、絵師、戯作者には人でなしの業がある。火事を見物すれば、焼け出される人々に思いをいたすより、炎の色を分析してしまう。北斎が亡くなった時、お栄は父の指から筆を取り上げようとしてとどまり、「もっと描いとくれよ」と言いたげに筆を握らせる。父を失うこと以上に、絵の師匠を失うこと、その制作が途絶えてしまうことが悲しいのだ。

彼女は絵のためだけに生きている。口うるさい女どもと争って消耗する愚は犯さず、軽くいなすところが意外と賢い。
ずけずけ言う善次郎には、落ち込んだ女を慰める優しさがある。

視覚的にひきつけるドラマだが、役者陣の口跡の良さが粋な江戸の芝居のムードを醸し出す。

黒船が来ようと地震が起きようと、人の営みは続いていく。光と影の世界が止まることはない。
闇が支配する夜に強く惹かれてきたお栄。彼女の渾身の一作のアップで物語は幕を下ろす。

世間的には宮崎あおいというと『篤姫』や明るいメジャー映画の印象が強いかもしれないが、極私的には単館系の映画や『ゴーイングマイホーム』での"人と馴れ合わない"役で光る女優さんだ。パッチに着流しの男性的な身ごしらえに、時々ほんとうに男の子のような身のこなし。おそるおそる蘭画を納める仕草や、気を取り直して浜辺を歩く姿など、決して好きな女優ではないにもかかわらず、うまいなあと唸らされる。衣裳の組み合わせも斬新だった。
死ぬまで枯れない天才を演じた長塚京三もはまり役。
『八重の桜』以来気になる中島亜梨沙は、宝塚仕込みのあでやかな日本舞踊で楽しませてくれた。
西村雅彦はいつのまに"西村まさ彦"に改名していたのか!? 

骨っぽい原作(朝井まかての『眩』は未読)さえあれば、大森美香でもこんな見ごたえのある作品が書けるのかと驚く。会話文の抜粋が巧みだと言うべきか。
NHKは、どうしてもたびたび女大河を作らないと気が済まないなら、このレベルの文化ドラマを指向してくれないだろうか? でも、大河だったらお栄が瞼に目玉を描くようなバカキャラにされてしまうのだろうな……。そんでもって「絵なんか描かねえで子供産めばよかったな」とか言わせんだろうなぁ。

佐野元彦の制作ドラマとしては群を抜いた出来。もう一人の制作担当、中村高志は『照柿』、『坂の上の雲』などすでにいくつか傑作を手がけているようだ。演出はさすがの加藤拓。今のところ、今年の単発ドラマとしてはこれがマイベストだ。再見に耐える秀作とはまさに『眩』のこと。

『全力失踪』第3回

*今週の磯山
東京に戻り、ホームレスになる。
タカが仲間にしてくれる。
ホームレスの先輩にいろいろ教わりながら、発見に満ちた生活を送る。
タカの家族に会いに行く。
タカさん死す。
ホームレス同士で遺品争いが発生。磯山は大事な箱を奪取、現場から脱走する。
タカの家族に"遺産"を持っていく。
住み込みでラブホテルの受付を始める。
ホテルのオーナーが襲われる。
犯人とおぼしき女の似顔絵を残してホテルを去る。

上記以外にも、女房に「上司はスケコマシだ」と忠告を与え(小学生3人の台詞が一番笑えた)、また留守宅部隊にも動きがあり、映画一本にも相当する充実した内容。心に残る50分だった。
CMがないから集中が途切れにくい、というのを差し引いても適度なテンポで飽きさせない演出である。

磯山はふだんは積極性のあるタイプではなさそうだが、社会から疎外された身分になったからこそ、なんとか人とつながろうと試みるのではないか。
タカも地獄を見たが、家族も地獄を見た。妻子の生活の困窮が短時間で伝わってくる。
亡き父が貯めた札束、そして励ましのメモを見る息子。感動せよ! のお節介なBGMも、余計な回想シーンも説明台詞も、息子の涙もない。淡々として硬質な演出が心にしみる。

辻萬長ほどの役者を使ってたんなる寝たきり老人で終わるとは思えない。最終回で何をやってくれるのだろう?
このドラマで一番ユニークなのは、金貸しの高峰の描き方である。磯山の父と同じくらい今後の予想がつかない。とりあえず、ななみは変なおじさんを家に上げるのはやめたほうがいいと思う。

『悦ちゃん』最終回

これはハッピーエンドが約束されたコメディだ。春奴は碌さんをあきらめて旦那との腐れ縁に落ち着きそうだし、碌さんは鏡子とゴールインだろうし、だったらカオルは夢月とくっつくしかないだろうと予想しつつも、負傷した碌さんが囚われの身となるシーンがことのほか長く、これはどうなることかと少々やきもきした。

鏡子と悦ちゃんのコンビは間違いない!と思わせ、でもカオルもいじらしくて可哀想だなと思わせ、だが片思いの相手を手厚い看護という形で独占する場面には、恋心というシロモノのあまり綺麗でない部分も描き……一筋縄ではいかない終盤だった。

「超絶楽しいドラマ」とのふれこみだったが、終始抱腹絶倒のコメディではなく、色恋のままならなさやら、先立つものがないと目が曇りがちな男心やら、商業主義と作家主義の相克やら、いろいろな人情の機微が温かく描かれたヒューマンドラマであった。それでいて、機微なんてものがわからない小学生でも笑ったりドキドキしたりしながら、楽しめたのではないか。
朝ドラでは明治~昭和初期の中流家庭から「ばあや」や「ねえや」の存在が消されることが多々あるそうだが、『悦ちゃん』はそのへんの考証がきちんとしていた。(そうでなければ、鏡子と碌さんの距離が近づかないということもあろうが) 日下部、大林、柳、池辺の四家族の暮らし向きの違いが、一部マンガチックではあれしっかり描き分けられていたのも階級を無視できない時代ドラマならではのおもしろさ。

橋本由香利の音楽センスが光った。よくぞ獅子文六の歌詞にぴったりなメロディーをつけてくれたものだ!
今後は"脚本:櫻井剛"のドラマがあったら、一度はチェックしてみたい。
演技面では、なんといっても平尾菜々花の功労大である。子役から年寄り役までうまい人ばかり出てきたが、最後はウルフルズトータス松本が一瞬顔を出すだけという贅沢な配役だった。

『全力失踪』第1回~第2回

「何やってるんですか、闇金のくせに!」にウケた。

営業職としてはいっこうに芽が出ず、家庭では邪険にされ、家族のためと思って始めた投資は大失敗。行き詰った男が全力で失踪する(たぶん)ロードムービー兼中年男の自己発見の物語が始まった。
初回、磯山の追い詰められ方がハードで、毎回このモードだと見続けるのがきついのではと危惧したが、第2回は適度に和む場面もあり。公式HPを見たところ、主人公はあらたな世界に足を踏み入れては逃げ出す、の繰り返しで、ひたすら落ちていくわけでもなさそうだ。

都会のサラリーマン家庭を舞台にして、主婦が被害者みたいな設定はいい加減嘘臭いと思っていたら、今作は実際の世相を反映したつくりである。
『八重の桜』で利発そうでかわいかった鈴木梨央が、ヤな感じのガキを好演していい調子。

うかつにもテレビに映ってしまう磯山。それを悪徳金貸しの高峰が発見! ではなく……愛想を尽かしたとはいえ、女房が夫の居場所を高峰に言いつけるという非情な展開であった。だがそのへんの演出にユーモラスな味付けもあるのがなかなか。

磯山は良くも悪くもたいしたことはできないが、ささやかな善意の持ち主であり、それがいい方に転んだのが第2回。次回以降、自覚しなかったあらたな欠点が描かれたら話に深みが増すと思う。

暗めの色調に暗めの音楽だが、見ていてさほどどんよりしない。これが岩本仁志Dのカラーなのか。落ち着いてみられる大人向けドラマだ。最終回まで失速しませんように。オリジナル脚本担当の"嶋田うれ葉"は初めて見る名前。新しい才能がこういう形でデビューできるのもBSプレミアムならではか。

原田泰造ユースケ・サンタマリアとならんでサラリーマン顔の名優だと思う。今季、二人とも優良作品に主演しておりなんともめでたい。正直、植木等もこの二人のほうがイメージに合う。新婚のころは仲良し夫婦だったという回想シーンが早くも出てきたので、緒川たまきもこれから意外な面を見せてくれそうだ。「勉強しないとパパみたいになっちゃうわよ」を「パパやママみたいに」としないところがいかにもダメな母親。手塚とおるは嫌味な役をやったら無敵の俳優だが、意外と"舐めきってた"相手にしてやられる間抜けな場面続出で笑わせてくれるのだろうか?

『伝七捕物帳2』第5回「鬼か仏か、屋台騒がす手拭い侍」

いつにもまして時代劇ならではの"絵"に魅了された。
文字通り緑したたる境内で、寺の階(きざはし)に腰かけて語る若い侍と、分をわきまえて立ったまま応対する伝七。
夜の室内。仄明るい行燈の明かりに浮かび上がる男たちの顔。

スタッフ(撮影:山本浩太郎、照明:奥田祥平、演出:清水和彦)の仕事のすばらしさ。

「野暮天はよせ」、「潔い」。江戸っ子気質と侍気質が生かされ、気持ちのいい幕引きであった。

『伝七捕物帳2』第4回「伝七、狐に化かされる」

吉原裏同心』で完璧なドラマデビューを飾った野々すみ花がゲスト出演。
彼女が演じる女盗賊・白狐のお仙は、ちょっとした女優なら誰もが挑戦したいであろう、『雲霧仁左衛門』の七化けのお千代のような役柄だ。ふた昔前の池上季実子でも見てみたかった。で、もちろん野々嬢、お上手ではあるが若干無理して気張っている気配が感じられた。次回は大名の奥方とか位の高い御殿女中を演じていただきたい。

お仙の手下が松尾諭。泉ちゃん、こんなところで何やってんだ……この人と六角精児の見分けがつかないお年寄りがいそうだな。

脛に傷持つ人間が悪党からの誘いを断ったばかりに、難儀な目に遭う。時代劇によくあるパターンだが、手堅くまとめて、最後の締めは毎度おなじみ梅雀の「めでてえな!」。よく練られて後味の良い娯楽時代劇である。

脚本がお久しぶりの山本むつみだった。過去10年、正攻法で政治を描けた大河脚本家は彼女のみ。変化球の三谷幸喜森下佳子もそれなりに楽しませてもらっているが、数年後の山本女史の再登板を強く希望する。

『伝七2』は9月22日で終わるようだ。寂しいことだが、その翌週『神谷玄次郎捕物控』再放送が始まるのはひじょうに楽しみだ。ここ数年、『神谷』を超える渋くかっこよいチャンバラ時代劇に出会っていない。