『悦ちゃん~昭和駄目パパ恋物語~』第5回「専属作詞家・碌太郎」

今回も愉快で盛りだくさんだった!

公式HPにユースケ・サンタマリアのインタビューが掲載されていた。
「男が女性に求める要素は母性、ミステリアス、色気と3つあると思うんですけど、それぞれがその役割を担っている」
この言葉さえ引用すれば、以下は蛇足であるが……

このドラマ、碌さんが女神たちに囲まれて救われる話なのだな、というのが今回の感想。
春奴がポリムビアへの移籍話しをかなり強引に持ちかける。ずいぶんといい話じゃねえか、と思ったら、なんと裏で働きかけていたのはカオルさまの弟であった!
鏡子は見合いが破談になり、なのに退職せざるを得ず、しかし碌さんの家でねえやの口にありつく。すばらしい! ぎっくり腰の婆やを踏み台にした幸せのようでもあるが、あれでも情のある碌さんは、高額な入院費を肩代わりするのであった。だからカツレツなんて贅沢なおかずは当分おあずけらしい。極私的に最大懸案事項だった婆やのお給金問題がかたづいてなにより。昔の日本人は今ほど律儀ではなかったので、給金未払いで泣き寝入りの下男下女もけっこういたのだろうなぁ。住み込みで食と住を保証されていた人々なら、なおさら。

楽し気な演出だが、鏡子と父とのやり取りは、きれいな池に投じられた小石のように心の隅に残る。自分の人生なんてどこにもない、ハリウッドスターへの憧れを書き連ねている最中だけがほんとうの自分でいられるという鏡子。職人気質の久蔵には理解不能な考え方だ。鏡子ちゃんは、平成の世に生まれていれば、ネットでオタ仲間もできただろうし、もうすこし楽しい青春時代を過ごせたにちがいない。久蔵だって娘の行く末を心配して暴言吐きまくってるわけで、けっして悪い父親ではない。それでも、ああいう一コマを見ると、まちがっても「昔はよかった」とは言うまいと思う。

愛しい男がほかの女といる場面にわざわざ押しかけて、「これはジェラシー?」と自問するカオルのおハイソな滑稽味がたまらない。そして、カオルの車を見送る碌さんと鏡子を引きで撮った絵に、なんともいえない風情があった。

『1942年のプレイボール』だけおもしろかった件

前半愚痴注意。
お盆の番組というのはもともと日本人から思考力を奪うための企画であったが、今年は"今そこにある危機"が増しているにもかかわらずそれをやり続けている点が罪深い。しかも資金源は受信料。
NHKにはいったん始めるとやめられない習性があってWGIPを70年を超えてやりつづけているのか、それとも"中韓に捧げるバラード"のつもりなのか? 大差ないか……。
731部隊』は専門家に却下された古い説を出してきたそうで、見なくて大正解。
が、『忘れられた戦場~樺太40万人の悲劇~』は見てしまった。外国が協定を破ったことは咎めず、そこから生じる被害を必死で防ごうとした日本側を責めるのはなんなのか? ずっとアンバランスな報道姿勢をとってきたから、局内で疑問視する声もあがらないのだろうか。ペイペイの24歳児に制作を任せる"大人たち"の見識を疑う。ソ連軍が白旗掲げた民間人を射殺した件も、白旗掲げた民間船を撃沈した件もスルー。悪意があるというより、無知で無邪気だからふれなかった可能性が高そうなのがなんともかとも。
お年寄りたちはテレビに映るのが嬉しくてスタッフの誘導にしたがってしまったのだろうが、元兵隊が上官の意図を曲解させる発言をしたのはいただけない。
インフラを支える仕事に従事していた女性について、「ホッぽり出して逃げればよかった」みたいな言い方はあまりに失礼だ。24歳児たちは、学校で習わないから「ロスケ」という言葉を知らなかったらしく、ピー音もかぶせずに流していた。あとで誰かのお叱りを受けただろうか?
トータルで見れば北海道の恩人と言ってもいい樋口李一郎をdisりまくるあたりが一番醜悪だった。これでもし、声の大きな白人が「オトポールの恩人を忘れるな」と言い出したら、恥も外聞もなく『知られざるユダヤ人救出作戦』みたいな企画を立ち上げるにちがいない。

これでまた、「セ」と聞いたとたんに頭に血が上ってまともに物が考えられなくなる"中二"的大人子供が量産されたのならゆゆしきことである。
識者たちが「NHKはもうドキュメンタリーをやめたほうがいい」とおっしゃっているが、撮影機材だけはいいものを持っているので、海とか山とかイカとかもふもふの番組に熱を入れるのがいいと思われる。

『返還交渉人』は予告にうんざり、ナレーターも虫が好かない……時点でやめておけばよかったのに録画視聴。最後の新聞切り抜き連発が偏向報道の上塗りそのもの。地政学的な基地の意味を無視するのはあいかわらず。井浦新は肩に力が入り過ぎ。でも、ここ数年演じてきた純粋すぎて滅びゆく男だけでなく、目標に向かって邁進する外交官役もはまらないわけではないとわかったことは収穫だ。


『1942年のプレイボール』は誠実で温かいつくりの青春ドラマだった。
野口兄弟の野球人生のひとこまを、実話を交えて描く。ハーフフィクションと呼ぶ人もいるらしい。
冒頭から父親が次々と商売に手を出しては失敗するタイプだとわかる。が、親父は失敗を妻子にあやまるし、妻子もしょうがないなぁという顔をしながら大黒柱を愛している。
いいタイミングで何度もユーモラスなシーンがはさまるのが意外だった。目を吊り上げて作ってるのがわかる作品より、ゆとりや笑いがある作品のほうが豊かだ。
四人も男の子がいる家でなんで長男に召集がかかるんだ、不勉強か!と思ったが、あとで野口明氏は実際に1938~1941年に出征していたと知る。
念願があるていど叶い、三兄弟がピッチャー、キャッチャー、バッターとして介する場面は感動的。兄たちの必死のプレーをラジオで聞く渉の顔もいい。二郎は明を尊敬し、選手として立ち直らせ、恋愛面でも助言する。こうしてみるとデキスギ君のようだが、現実味のあるいい奴だった。母は明の体調の変化にいち早く気づく。仲が良くたがいに思いやる家族をさらっと描いていやみがない。

脚本担当の八津弘幸は『半沢直樹』を書いた人なのか! あんな暑苦しいシナリオを書かされた人でも、プロデューサー(吉永証)に恵まれれば、ほどのよい人情話を書けるのだ。中学で野球部を中退したとか。最後までがんばった自信満々のスポーツマンでなく、「うしろめたさを感じて生きてきた」(本人弁)人だからこそバランス感覚のある脚本にできたのではないか。
桑野智宏Dの作る画面にはなつかしい色合いがあった。安らぐ場面、不穏な場面。緩急自在であった。

太賀、勝地涼忽那汐里はこれからの歴史ドラマや文芸ドラマに欠かせない人材になるだろう。
太賀は土のにおいと知的な雰囲気を両立させた。首が太いのでスポーツ選手を演じて違和感がない。将来は剣豪の役などやってもらいたい。忽那嬢がここまで昭和の美人役をこなせるとは! (NHKドラマのメシマズ美人設定には少々あきてきた)
勝地のりりしい顔がアップになるたびに、家人が「クネオだ! クネオだ!」とはしゃいで茶化してムードをぶち壊すのがはなはだ迷惑。今回ばかりはクドカンがうらめしい。

『悦ちゃん』第2回~第4回

『4号警備』もよかったが、この調子なら『悦ちゃん』が今年のNHKドラマ、マイベストになりそうな勢いだ。
第2回でお嬢様との縁談は破談決定かと予想したら、意外と引っ張っている。

見合いののち、碌さんは心機一転名作をものするかと思いきやあいかわらず評価されない。カオルは芸術を楽しめなくなる。鏡子にふられて夢月が作曲できなくなる。
いちどきに三人のスランプ人間が出てくるが、いちはやく抜け出すのは一番ぐだぐだだった碌さんであった。
春奴だけは最後まで安定して涼しい顔をしながら碌さんに片思いしつづけるのか?

浮世離れした日下部カオルが恋に目覚めた!
石田ニコルのしなやかな肢体といい、モノクロ時代のハリウッドのコメディエンヌめいた軽みといい、小学生も見ているような時間に贅沢なものを見せてもらってありがたや。

中流の上に属するのがメインな登場人物のなかで(ばあやさんをのぞけば)池辺鏡子は唯一の庶民。思ったとおりに行動したりしゃべったりとはいかない境遇にある。門脇麦は、いろいろ辛いことも多い若い女性を体現しながら、過度に湿っぽくならず、困惑する場面でもユーモラスな雰囲気を醸し出して、とにかく巧い!

彼女の義母を演じるのが、これまた何をやらせても安心な堀内敬子なのだが、黙って座るさまが黒田清輝の絵を彷彿させる。しばらく停止画像で見ていたいような風情があった。

碌さんは、カオルの前で詩を論じる時は、当時約5パーセントしかいなかった学士様らしく教養を感じさせてうっかりかっこよくなってしまったが、あとはしょぼくれたりあわてたり、ユースケ・サンタマリアの面目躍如である。そういや『踊る大捜査線』でも現実の東大出ってこんな感じだよなと思わせた人だ。

本作の成功の三分の一くらいは平尾菜々花をキャスティングした時点で決まったのではないか。はつらつとして多感そうで、見ているだけで楽しくなる名子役だ。

碌さんの姉夫婦の小芝居も愉快。
岡本健一のコメディアンぶりも楽しい。思い込みが激しすぎるハンサムを演じてここまで吹っ切れた芝居ができるJ俳優がほかにいるだろうか?

演出は大原拓、清水拓哉、二見大輔。うだつの上がらない中年男と闊達な女性たちのお話を、大正昭和モダンのセンスで魅せてくれている。繊細ぶったしなしなした女を出さない作風を、ほかでも拝みたいものだ。
最後の一秒まで、家冨未央Pが宣言したとおり「超絶楽しいドラマ」でありますように!

『ブランケット・キャッツ』最終話『さよならのブランケット・キャット』

平成版『生きる』としてしばらく記憶に残りそうなエピソードだった。
「死ぬな、死んじゃだめだ!」
どの人間関係でも一歩踏み込むことができなかった秀亮が、たえ子を救おうとざぶざぶ海に入っていく。
手持ちカメラが作る揺れる画面にも役者二人の演技にも、地上波ではなかなかお目にかかれない吸引力があった。

「あんたのことを大切に思ってる誰かがいるんだ」
「だから死ぬな。あんたのことを心の底から心配している誰かのために」
なんでそこで「永島文具の人たちは本気で心配してるぞ」と言わないのかな~と思っていたら
間髪を入れず社長夫妻が駆けつけた。

血縁やら惚れた腫れたのつながりの他に、仕事仲間のつながりというやつだってある。
家庭を持っていても、配偶者より職場の同僚と過ごす時間の方が長かったり
考え方や気性をわかってくれるのは配偶者より同僚だったり、ということもある。
「たえちゃん、病院行こう」に泣ける。
「元気になって、働いて、使った金返してもらおう。いやって言わせないよ」もいい台詞。
社長夫妻もいい人だが、こう言ってもらえるのは、たえ子が長年誠実に勤めてきたゆえなのだ。

無欲で生きてきたたえ子のやりたいことNo. 10。クロを育てるとか病気を治すとかスケールの小さい予想をしていたら
「生きる」
と力強い書き込み。

富田靖子はさすがの存在感だった。

 

勤勉じゃないはずの猫たちがよく働き、ゲストは演技巧者ばかりで、回を追って深刻度が増すエピソードも丁寧に描かれた。
このドラマを全話見てよかった。
……が、暗めのゲストのお話とバランスを取るためのレギュラー陣のお芝居の場面が、なんだかちぐはぐに感じられたのが残念。
佳作『八重の桜』は、せっかく覚馬を登場させながら肝心の業績を描き切れなかった。西島秀俊は今回の『ブランケット』で、4年前の――本人にはなかったとしても、一部視聴者の――もやもやを晴らせるかと期待したが、美咲とのやり取りに要求される軽妙なコメディ演技は彼の得意分野ではなかったようだ。吉瀬嬢と彼の組み合わせに、マイナスの相乗効果が発生していた。"碌でもない亭主"設定だけは不動だったけれども、一度くらい家庭内不破と無縁な男を演じてもらいたい。

 

『密使と番人』(時代劇専門チャンネル)

ネタバレあり。

 

8/11、29、9/30再放送あり。
渋谷ユーロスペースで上映中。

 

ドキュメンタリータッチの時代劇。
19世紀初め、蘭学者の一派が日本地図をオランダ人に渡すため、若き蘭学者、道庵を密使として江戸から出発させる。彼を追って山狩りする番人たち。道庵はとある番小屋を訪れ――。

三宅唄監督は、『THE COCKPIT』(2014)でヒップホップ・アーチストの二日間にわたる創作活動を撮ったそうだ。どうりで、台詞が極端に少ないこともあり、今作で一番印象に残ったのはBGMの〈Searchin'〉(HiSpec)と〈Miss It Burning'〉(OMSB)だ。

ふれこみどおり、冬山の空気感はじゅうぶん伝わった。当時でも都会人にはとても住めそうもない厳しい土地のようすはなんとなくわかるが、江戸から長崎をめざすならともかく、北上しているように見えてしまうのはどうなのかとか、小屋と高山が倒れる場所の位置関係がどうなのかとか、地理的な違和感が残った。
ドキュメンタリー風だからと言っても、太陽光や囲炉裏の火の処理がちょっと雑な感じ。
映画らしいアクションが生まれた!と感じたのは、高山がいきなり画面に飛び込んできた瞬間。しかし、道庵はどうやって高山を倒したのか? 片手を負傷しているにしてもあまりにも動きがぎこちなく、刀で刺したようにも見えず。高山が勝手に疲労困憊で動けなくなったように見えなくもない。雪の中を進むもどかしさを表したかったのだと思うが、それにしても何をしたいのかわからない動きが多すぎた。
追う者と追われる者のあいだに感情の交錯があまりない。この辺のドライな作りは新鮮。40分くらいでまとめればもっとぴりっとしたのではないか。

最後、晴れやかな若者たちが映るったのは気持ちがいい。幸たちが旅に出た理由は考えるだけ野暮なのか……。

冒頭の妙な植物群はなんだろうと気になった。最長6mになるというヨシだろうか。

森岡龍の主演作が増えたのはめでたい。嶋田久作の顔がこんなに安堵感を与えるとは! 新人、石橋静河は新鮮味とたのもしさを同時に感じさせる。河の字のごとくスケールの大きな女優に育ってほしい。

『ブランケット・キャッツ』いよいよ終盤へ

第5話『嫌われ者のブランケット・キャット』
今のところ、第5話が一番意外性があって、プロットそのものにも魅せられた。
老人の理不尽に見える用心深さの背景には、息子一家を喪う悲劇があった。
卓也は浅はかだが純粋で、人の気持ちの核心がよくわかる。そんな若者を演じる太賀のうまさに、ちょっと凄みを感じた。恋人の悦子は世間的にはできた娘さんと言われるのだろうが、人を試そうとするところやら湿っぽい目つきやら、極私的には苦手なタイプだ。

第6話『助手席のブランケット・キャット』
ひたすら我慢する人生を歩んできて、死ぬまでにしたいことリストを8までしか書けないたえ子……今の日本は大声で文句を言う女性だらけなようにも見えるが、おとなしくて目立たない、たえ子のような女性もじつは一定数存在するのだ。馬鹿がつくほど正直に生きてきたのに、魔がさして会社の金を持ってきてしまう痛ましさ。家出兄妹と親子ごっこに興じるつかのまの幸福……来週警察にうんと怒られるのかなぁ……。富田靖子は近年、病んだ女の怖さを達者に演じるイメージが強いが、今回は薄幸感がたまらない。

猫かゲストが中心になる場面の吸引力にくらべ、人間のレギュラー陣中心場面がちょっと辛い(美保純はOK)。美咲と楓がキャピキャピ(死語)騒ぐくだりに、バブル期のドラマが紛れ込んだような違和感を感じる。

『おんな城主直虎』第28回『死の帳面』

"国衆はつらいよ!"と"武士だけでなく坊さんや商人も含めた戦国の風俗"の描写に力を入れている今年の大河。ちょっと受け狙いな感じの"政次カワイソス"パートにはあまり乗れず。うじうじしたしの相手に暴走気味の父性を示した回以外は、主人公にもこれといって魅力を感じず。このところ、人間ドラマとしては龍雲丸のくだりがちょっとおもしろいと思うくらいだった
が、
今回は浅丘ルリ子の独壇場だった! そして、つまらなくはないけれど著しく重厚さに欠けるきらいのあった『直虎』にはめずらしく、彼女と尾上松也のやりとりなど、ひさびさにこれぞ大河ドラマ!と呼びたい趣があった。寿桂尼は『風林火山』の藤村志保がベストと思っていたが、浅丘ルリ子の造形にも同じくらい強いインパクトがある。信玄を「そなた」呼ばわりする脚本はやりすぎでは、とは思ったが。

「なんという思い上がり。私が説き伏せましょう」
「お見苦しや、太守さま。弱音を吐いた者から負けるのです」
これまでの駄目な方の女大河では、まず聞けなかったシビアな台詞の数々がすがすがしい。

直虎に面と向かって「今川をよろしく頼みますぞ」と訴える老いた尼。そう言った舌の根も乾かぬうちに敵認定すれば、『直虎』は水準以上の作品になると思い……まあ、期待は裏切られなかった。
「我に似たおなごは、老いた主家に義理立てなどせぬ」
HPの来週のあらすじによれば「寿桂尼が死の床についていた」。さんざん死ぬ死ぬ詐欺をかまされてきたが、今度は本物らしい。佐名が退場した時くらいがっくりきそうだ。

次の大河ムード醸成役者として、栗原小巻於大の方)の登場が待ち遠しい。
家康の老獪さや怖さはあまり強調されないのだろうか。