『真田丸』雑感こもごも

しまらないtwitterもどきのように印象に残った点を羅列。
*何度も地図を見せてくれてたいへん親切だった。陣構えの説明もわかりやすかった。
*せっっかく真田丸のセットを組んだのに、冬の陣の合戦シーンがしょぼくて残念。エキストラの指導がむずかしいのなら、手持ちカメラを使うなど撮り方で工夫できそうなものだが。
*死んだ敵兵の処理、落ち武者狩り、敗軍の女たちの運命など、さりげなく残酷な事実を描いていた。
*いつもは側室や妾が出てくると噴き上がる界隈が静かな一年だった。要は描き方なのだと再認識。側室は正室の部下、ということも簡潔に描いていた。おこうは正室の重責から解放されてからのほうが気楽そうだし、子宝にも恵まれたし、武家の娘と生まれても正室向きと側室向きとあるのだ、と思わされた。
阿茶局がそこそこ活躍してくれてなにより。
*現代劇では達者な俳優として地位を確立している堺雅人。インタビューからは深い知性がうかがわれ、「このドラマは信繁から見た世界を描いているから、出浦や勝頼とちがって信繁に人気が出ないんでしょう」にもなるほどと思うし、この言葉に付け加えるべき感想もない。ただ、そういうニヤニヤ顔は時代劇に合わないと思ったことが数回、こんなに甲冑姿が似合わない主役がいただろうかと思ったことが数回(『天地人』は脳内で消去されている)。今後時代劇に出ることがあったら、なるべくデスクワークのみの役をお願いしたい。
*なぜ九度山から降りた信繁にあんなに人望があったのか、ピンとこない。「義を貫き通した幸村」のような賞賛の言葉も腑に落ちない。
竹内結子にも「そのニヤニヤは……」と感じた。母性で息子を縛ったというより、"傷ついた娘"から成長できないまま一生を終えたという、あまり見ないタイプの茶々だった。三谷作品との相性では、現代コメディ『大空港2013』のほうがよかったような。
長澤まさみは『わが家の歴史』以来、シリアスで大役をやってほしいと思っているのだが、なかなか叶わない。きりは、とにかく主人公とともにいる時間が長い、主人公の幸せより「生きた証を残す」ことを願う、男前な女性だった。「大事な仕事があるので残ってくれるか」と訊かれて一礼し、正室に向かって「かしこまりました」と答える場面が印象に残る。修羅場大好きで、こつこつと仕事の実績を積んできた彼女ならではの覚悟を感じさせて、しみじみした。千姫を徳川の陣に送り届けて一礼して去る場面も感慨深い。
内野聖陽が家康でほんとうによかったと言うべきか、家康がラスボスでよかったと言うべきか。伊賀越えのコミカルな演技で笑わせ、小心さを部下に諫められつつも、腹芸もできるし大局を見る目もある、陰影に富んだ「最後の戦国武将」だった。『風林火山』で堂々と主役を張り、今作ではチャーミングなラスボスを演じ、ますます時代劇俳優としての値打ちが上がった。西田敏行なみに大河で連投していただきたい。
*たいていのドラマでは、主人公は成長しても敵役は変わらないことが多いが、今作では、家康は小心者なりに成長したのに信繁はその場しのぎの男のまま成長していない。「人間なんて成長しないんだ」という舞台劇を何作か書いた三谷ならではの筆致である。
*兼続がちゃんとしたたかな戦国の参謀をやっていた半面、景勝はウルウルしすぎ。エンケンにとっては、やや物足りないキャラだったのでは?
*畑を作って生きてきた作兵衛は、畑の上で死んだ。藤本隆宏は、いつか弁慶の大往生をやりそうだな。
*『独眼竜政宗』では、主人公が遭遇する災難はだいたいが本人が招いたものだった。『真田丸』は味付けは軽妙だが、主人公の自業自得ぶりは同じようなものではないか。とくに、大坂夏の陣でかたっぱしから希望の芽を摘んでいく信繁描写には仮借ないものがあった。
*内記がかっこいい爺さんだった。槍→太刀の立ち回りができるだけでも、中原丈雄は貴重な男優である。
*冒頭の美しき敗者は武田勝頼だったが、中盤では石田三成と大谷刑部。山本耕史片岡愛之助とも、ふた昔前の大河が好きな視聴者でも納得できる芝居を見せてくれる。
賤ヶ岳の七本槍のその後を見せてもらえたのもよかったが、大阪五人衆というのを知らなかったので、いろいろ新鮮だった。勝永は一番戦国のにおいが濃厚で、twitterで紹介されていた参考文献を読んでみる気になった。家来が陣を畳むなか、祈りを捧げる明石の姿も印象的。盛親を演じた阿南健治はよくも悪くも三谷色が強い。
*塙団衛門の名刺配りが愉快。
*おっさん祭りと囃された今作だが、実質上前半の主役だった草刈正雄がワルくて熱くて野心はあるけど大局を見る目がなくて、とにかく人間臭くて魅力的だった。ときどき台詞が不明瞭なのには困った。
千葉哲也新井浩文が大河デビューしたことはめでたい! 秀長の出番が予想外に短かったのは残念。
*信伊を演じた栗原英雄は今作が映像デビューとか。昌幸が頼りにする懐刀の説得力抜群だった。
*若手もよかった。とくに大助役の浦上晟周は、内気で感受性が強く賢い役で何度でも見てみたい。
*魅力的な役柄、役者満載の一年だったが、最後に大泉洋を讃えたい。最後の三か月はもうすこし信之の真田当主たるゆえんを強調するかと期待していた。お通とのつきあいを稲たちにやり込められるお笑い場面はいささか邪魔。全体を通しては、父親からは正面切って褒めてもらえず、思うに任せないことは多々あり、しかしそれでも腐らずに力を蓄え世情を見る目を養い、成長していく武将を、脚本の意を汲んでよく表現していたと思う。

『真田丸』完走

今年のエンタメ界は、未見の『君の名は。』、『逃げ恥』、etc.をふくめて質、客受けとも豊饒の一年だったようだ。で、そうした幸福な作品の一つが『真田丸』だった。近年は何度も「大河はもうおしまいか」と思わされたものの、過去10年に、『風林火山』、『八重の桜』(の三分の二)、『真田丸』と三作、高品質なドラマが放映されたのだから、まだあきらめなくてもよさそうだ。優劣ではなく好き嫌いで言うと、『風林火山』>『八重の桜』>>『真田丸』。脚本がスカスカでも『龍馬伝』は大友演出のエネルギーで、『平清盛』は撮影、美術、音楽、役者の力演による補強のおかげで、断続的に楽しんだ記憶がある。

例年になく歴史考証の先生方の意見が通る現場だったとかで、脚本家本人も、いろいろ勉強してわかったうえで遊んでいる感じが楽しかった。国衆と大名のちがいをずいぶんと勉強させてもらった。時代劇での三谷式コメディシーンは半分くらいしか乗れず、己の許容範囲の狭さを実感。
三つに分けるとすれば、一番おもしろかったのが群雄割拠の時代、次が豊臣政権の時代、最後が信繁が実質上の主役となる時代。

第一回は、悲劇のプリンス風な武田勝頼平岳大の名演!)を出してきて、つかみはOKな印滑り出し。三谷幸喜本人がインタビューで語る通りの、「偉大な父を持った男の物語」がその後繰り返し語られることとなった。敗者として死を遂げた息子が、勝頼、氏政、そして主人公の信繁。出だしはパッとしなかったけれど、棟梁の立場となってからは仕事ぶりも立派で家系を残したのが秀忠、信之。
信繁から憧れのまなざしを受けつつも「わしのようになるな」と言ったのが、信伊、景勝。この二人は表だってスカッとする活躍はせず、たびたび己の欲求を押し殺し、大人としての責任を果たして生きていく。昌幸の腹心、昌相も同じことを言いつつ仕事を一つ一つ片づけていったものの、残念ながら最後の大仕事を阻止されてしまう。

徳川が主役のドラマを見るたびに「ホントははなから豊臣を潰すつもりだったくせにぃ」と思ったものだが、主人公が豊臣につく今年の大河を見るかぎり、あれじゃ豊臣が滅びるのも仕方がないという感想しか湧いてこない。秀吉が権力者になる前から冷たい人間だった、と寧々に言わせる脚本はユニーク。敵方にも惻隠の情を示し、しっかり後継者を育成し、女性をふくめて部下への仕事の割り振りがうまい家康。この三点で圧倒的に劣る秀吉。豊臣編は、秀吉がすでに頂点に立っている状況で始まったので、終始もう腐って落ちていくしかない不穏な空気が満ちていた。

『真田丸』最終回

大野治長「ただちに御出馬を」
その気になる秀頼。
使者その1「一大事でございますー。馬印が引き返したのを見て雑兵どもが逃亡」
秀頼「今から出馬する」
使者その2「申し上げます。真田勢が引き上げ、毛利勢苦戦のようす云々」
治長「どうやら流れが変わったようです」
カメラは一つの部屋から動かないのに、ころころ変わるシチュエーションに翻弄される男たち女たち。三谷劇の真骨頂である。

一番爽快感があったのが、敵方の親子が優位を見せつける場面だった。
「真田でございます」「またか!」
謙信と信玄の軍配でコン!のオマージュを大坂夏の陣で拝めるとは!
信繁の生き方は時代遅れだと言い渡すじいさんと、先に死んだ者たちのために戦うのだと言い張る若者……っぽいけど、五十代。
銃声ののち、「父上ー、お助けに参じましたー!」。秀忠が番組史上初の晴れ晴れとした笑顔で登場する。
「遅ーい」「真田左衛門佐、ここまでじゃー。放てー!」
げほげほしながら、息子に後を任せて引き上げる家康。父親としてやるべきことをやった男の幸せな退却シーン。近年優勢な、"秀忠が優秀だったからこそ徳川幕府は盤石になった"説を、ちゃんと視覚化してくれて嬉しい。「信繁」とか「幸村」とかでなく「左衛門佐」と呼ばせるところもさすが。

いっぽう信繁に感情移入する偉い人々の台詞にはあまり感動しなかった。
伊達政宗「見事な戦いぶりよ」
上杉景勝「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたいものだ」←まだ死んでないし。
直江兼続「戦は終わりました。戻りましょう」
上杉景勝「源二郎、さらばじゃ」
重責を負った大名たちにとっては、信繁の行動はしょせん軽はずみな行動だし他人事だし……兼続の台詞がすべてなのだ。

「そう悪くない一生だった」みたいな顔で寺で死を迎える信繁。親父さん譲りの卑怯な手で敵を刺し殺すが、小さな悪あがきの印象しかない。関係者の顔をいろいろ思い浮かべる信繁。すえは実父とあまり接触がなかったからこそ、救われた。

秀吉は「茶々には人生の最期の日に『日の本一幸せな女だった』と言って死んでほしい」と語っていた。茶々が最後のシーンで、劇的な台詞を口にするかと予想していたら、何もなかったのが少々肩透かし。予想外の誇り高い言葉もなく、かといってこの作品の茶々像に合った怨嗟の台詞もなく、信繁の言葉を信じてけっして来ることがない和平の使者を"座して待つ"姿が惨めで哀れだった。

EDが流れる直前の場面を本多正信と信之が締める。百姓は生かさぬよう殺さぬよう年貢はきっちり取り立て、領主たるもの贅沢をしてはならぬ、とたいへん日本的なリーダー論を語る正信。「大阪から火急の知らせでございます」と使者が飛んでくる。弟御はお気の毒に、と目で哀悼の意を示す正信。沈痛なおももちでそれを受ける信之。無言の大人の芝居が心に沁みる。今年の大河はふざけた演出も多いが、こういう行間を読ませる演出も多かったのが好きなところだ。
生きつづけて松代藩の藩主となる信之の「参るぞ!」が最後の台詞となった。あらためて『真田幸村』ではなく『真田丸』でよかったと思う。

『わたしに運命の恋なんてありえないって思ってた』

ふた昔前なら主演を張るタイプではない多部未華子高橋一生が出ると聞いて視聴。
スタージュエリーの、フジテレビによる、スタージュエリーのためのドラマであった。
アクセサリー(&それをつけた女優)をちゃんと撮ることに注意が払われているため、画面が明るく綺麗である。
クリスマス前に気軽に楽しく見られるストーリーだった。
社長が最初に落とそうとする役を、多部ちゃんとタイプが違う大政絢にしたのは納得のキャスティング
だったら"王子様"は社長役と峻別するためもっと濃いイケメンにすればいいのに、なんであの人選なのだろう。なんか名前の読み方もよくわからんし、シ・ソンジュンではあるまいな。

十年たっても馬鹿な白野の男子同窓生にあきれた。女友達二人の"ドン引き顔"がリアルで笑えた。
高橋一生の「バカなの?」に『民王』を思い出した。もはや彼の「バカなの?」は持ちネタというか持ち台詞の域に入っている。

多部&高橋で文芸ドラマが見てみたい。

『漱石悶々』

二、三の点でひじょうに苦手な脚本家。しかし、めったにクローズアップされない磯田多佳が出てきて、しかも演出が源孝志。後者の磁力が勝ったので視聴した。ちょいと高級な酒を使った菓子を味わうような一時間半であった。

京の旅館、お茶屋、大丸別荘、伏見稲荷、博物館といった名所の数々。
蒸気機関車の蒸気、霧雨のなかを歩く男二人。
ヒロインがこんなに羽織をとっかえひっかえしてくれるドラマは珍しい。小豆色の半襟もあまり見たことがないタイプだった。
水に浮かんで流れていく赤い椿の花や、白い花びら。
源孝志らしい映像美を堪能したが、なかでも大友の店先に提灯が灯る場面と、二間つづきの和室の襖を開け放って男女が夕餉を囲む場面が忘れがたい。オレンジがかったほの明るい画面作りでは、ドラマ演出家のなかでこの人が筆頭では?
せっかく京都見物をする機会なのに、名所旧跡に「なぜだなぜだなぜ他の男と」のモノローグを重ねる趣向が愉快。妄想場面と現実場面の切り替えも、ほど良い塩梅。

事前にあれこれ調べなかったおかげで、『真田丸』で直江兼続を絶賛好演中の村上新悟が拝めたのはサプライズである。
「ほー、せんせ、おいでになるのんか」
「是非行くとまでは決心していませんが」
「決めてはらへんのんか」
「だいぶ心は動いています」
「どっちや」
清風が読み上げる漱石の手紙に相槌を打つ粋人。いい声でとぼけたユーラスな台詞を聞かせてもらってありがたし。

尾上紫の登場も当方にとっては大サービス。和事の名手なのに、時代劇ではいつも役が小さめでもったいないと感じてきた。今回は三味線の弾き唄いで本領発揮! 正直なところ、宮沢りえの踊りをどう思われたのだろう? 

豊川悦司漱石をやるには少々色気過多な気もするが、まあこれは『漱石の妻』ではないからいいか。多佳がからむとやたら嫉妬深く、小さい男なのに小さい男と思われたくなくて背伸びして加賀正太郎を呼ばせるくだりが愉快だった。

襖越しに妄想しているという妄想場面。
「春の川を 隔てて 男女哉」
おそらく源孝志が演出担当したであろう回の『新日本風土記』で知った歌だ。初めて聞いた時は、こんなふうにドラマ化されるとは夢にも思わなかった。

多佳の選曲について「あからさま」だからとdisる台詞あり。それは本来の脚本家の作風と矛盾している。
いつもの藤本脚本だと主人公に過剰なヒステリーを起こさせたりするところ、史実の漱石が女々しく長たらしい手紙を書いたのをそのまま流すだけで、十分彼女らしいテイストの話に持って行けたので、事なきを得た印象だ。

東京の漱石邸。黒猫がいい仕事をしている!

多佳が、素人女みたいに恋にのぼせてはいけない、とおのれに言い聞かせる場面が実に大人のドラマである。
『風流ぬす人』って粋なタイトルだなぁ。

「あんたは紫陽花でも虞美人草でもあらへん……京都でしか咲かれへん、特別な花や」
「さすが野暮な言葉尽くさんでもわからはった」
橘仙はん、一度も目が笑わない怖い男はんやなぁと思っていたが、京女の本質も漱石の胸の内もお見通しのあたり、別の意味でも怖いお人やった。

最大の功労者は、ライティングにこだわった源孝志Dであるが、ピアノやオーボエを効果的に使って非日常感やサスペンスを助長した阿部海太郎の功績も大である。

 

今年のドラマ(NHK、BS以外)

上半期
重版出来!』の圧勝。というか、他に見たものがあるかどうかすら思い出せない。
実写ではなくアニメだが、特例で『昭和元禄落語心中』も挙げたい。原作は未読。絵の魅力は原作がいいからと言われてしまったらそれまでだが、渋い中間色が粋でよかった。芸の道の厳しさ、一番求めているものは他にあるのに、互いにすがりつきながら生きる助六とみよ吉。菊比古のむごい言葉が引鉄で助六が死を選ぶ……みたいな展開を予想していたら全然ちがい、まったくあっけない最期であった。
来年1月6日に続編スタートとのこと、楽しみだ。八雲となった菊比古はますます寂しい影をまといそうな予感がする。

これをゴールデンに実写でやるとして、石田彰山寺宏一レベルの口跡で落語をやれそうなスター俳優を思いつかない。アニメでやらねばならない最大の理由は、風俗再現の資金不足よりテレビ俳優の技術不足か。クドカンの『タイガー&ドラゴン』がどんなものだったのか、怖さ半分、興味半分で見たくなってきた。

下半期
見たいものが一つもなかった。家族につきあって『神の舌を持つ男』と『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』を視聴。『神の舌』は堤幸彦の作品なのに、ちょっとずつテンポが遅いのと、主人公がものや人(!)を舐めて成分を分析する絵面が気持ち悪いのと、主演トリオのうち佐藤二朗しか演技がこなれていないのとで、なんだか残念な印象しか残らない。

『校閲』は、いままで光が当たらなかった業種をテーマにしたのが売り? 完全な門外漢が見てもありえないことだらけの刑事ドラマや医療ドラマにくらべれば、とっぴな展開はなかった。が、いかなトンデモドラマでも、刑事が犯人を逮捕する、医者が手術をする、といった職分のツボははずさない。出版業界と無縁の視聴者は、編集と校閲の区別がつかないまま見終わったのではないか。「やらなくていい」と言われたことをやったり、他人の領分に踏み込んだりするのを良しとするムードもなんだかな。字面チェックがメインの本当の校閲ドラマを作るとすれば、CGキラキラで半分アニメにしなければ視聴者の興味を継続させるのは無理そうだから、まあ仕方がないのか。たいして貯金があるはずもない主人公がかなりの衣裳持ちだったり、「もっと仕事に精進してからでないと」という理由でいったん恋人と別れる結末だったり……そういうのが今でもウケるのか、とやや意外であった。
不満はあってもさほど不快感なく見られたのは、ひとえに石原さとみの魅力ゆえ。彼女の温かみのある個性がなかったら、早とちりとお節介と「タコ」含む無礼な発言の連発には耐えられなかった。
名前は表に出なくても社会を支える職業人が大勢いる、という主人公の気づき描写はたいへん好印象。

『鬼平犯科帳 THE FINAL』

京極備前守「いかな人助けでも、悪をもってしては台なしではないか」
長谷川平蔵「ごもっともなる仰せ。しかしながら、貧しき者の理屈はまた別。命をつなぐひと椀の粥に、善悪の区別がござりましょうや。人というものは、良いことをしながら悪いことをする、善と悪とがないまぜになった生き物でござります。人の世も、尋常一様にはまいりません。かように、是非弁別の分かちがたきことは、見て見ぬふりをするのも寛容かと」

前編『五年目の客』の冒頭あたりでは『大岡越前』かよ!と思うくらい、少々説明過多な台詞が気になったが、だんだんとなじんだ。上記の『雲竜剣』ラストの台詞は、『鬼平』総括にふさわしい内容であった。脚本担当は、前半が金子成人、後半が田村恵。

中村吉右衛門は歩き方などさすがに年齢を隠せない様子だったが、「火付盗賊改方である!」の発生などまだまだ力強い。お声がしっかり出るうちの幕引きでよかったのだと思う。
若村麻由美は『老盗流転』で年増の色気を魅せたが、今回は予想を超えて辛い過去に悩む女の風情がよかった。谷原章介は死角のない俳優というイメージだが、ときどき甘くて良い声が鬼平の世界にそぐわないような印象を持った。もちろんミスキャストとは思わない。
田中泯はいい役ばかりやる兼業俳優。登場シーンの笑顔に凶悪さがにじみ出ていたような……報謝宿に向かう時にあれではあかんのではないか。

鬼平』シリーズは初めて見た時から、「総合芸術」と呼びたいくらい映像美と音楽の味わいと緩急自在な演出と達者な俳優陣の組み合わせが見事だった。最終回を仕切ったのが、先日の『顔』の冴えた演出も記憶に新しい山下智彦監督でよかった。なんといっても長らく企画を担当してこられた能村庸一氏にお疲れさまと申し上げたい。