『真田丸』第43回『軍議』

サブタイトルを堂々『軍議』と名付けて、ちゃんと魅せる脚本家が今年の作家でまことに僥倖。軍議をまともに描けたのは、過去10年では大森寿美男山本むつみくらいだ。藤本有紀は古典の抜粋みたいな軍議シーンだけはよかった。

幸村が具体的な策を出し、せっかく五人衆の意見がまとまったのを、有楽斎がぶちこわし。
その後、秀頼が幸村の策を用いようとしたのに、今度は茶々がぶちこわし。

『十二人の優しい日本人』以来、日本人の話し合いをいろいろと書いてきた三谷が、パッと見薄口ながら、なかなか残酷な会議の流れを書いてくれた。言葉遣いが重厚ではないので、時代の雰囲気を出せるかどうかは役者の力量によるところが大きい。翔さんもいいが、勝永を演じる岡本健一が割り当てられた台詞以上に戦好きの男を体現していて魅力的。

徳川勢と豊臣勢をくらべると、男のレベルの差があるのは当然ながら、大蔵卿局や茶々といった女のレベルが低すぎるのも敗因と思わされる。実家が敗戦つづきで辛酸をなめてきたゆえに極端な人生観が身につき、さらに秀吉の側室となってからはあえて現実から目を背けて生きてきた(←今作では)。知力胆力ともに、阿茶局にも(今作の)お江与の方にも負けている。

有楽斎のことはアニメ『へうげもの』で初めて知ったくらいで、実写では今年が初見。これからどんな活躍をしてくれるのか――というより、どんな邪魔をしてくれるのか――楽しみだ。

『夏目漱石の妻』第4回『たたかう夫婦』

『坊ちゃん』のキヨ=鏡子なんて、こじつけすぎじゃあないかと思ったら、孫の房之介が唱えている説だとか。相性がいいんだか悪いんだかわからなくても結婚生活というものは続いていく、みたいなまとめもありだと思うが、肯定的な空気で終わらないと鏡子夫人が浮かばれない。

冒頭は漱石が謡を披露する場面。弟子だか友人だかに「ヤギが絞殺されているようだ」と酷評された酷い声ではなく、ふつうに音痴という表現だった。こんなところで安いお笑いを入れたくないというスタッフの矜持か。

かわいがっていた文鳥が死んで激昂する漱石。たかがペットが死んだくらいという鏡子の反応は、当時というか昭和のなかごろまでの常識で、「坊主を呼べ」のほうが常軌を逸している。演出によってはブラックコメディにもなったろうが、今回は夫婦の亀裂をきわだたせていた。

荒井の造形が興味深い。子供たちにはなつかれ、鏡子にたいしては差し出がましい口をきき、ほかの弟子には優越感を示す。金銭面で房子に迷惑をかけ、新聞社におしかけて漱石を中傷する。池端俊策NHKでの仕事がすくなくないのに、今作でも『足尾からきた女』でも活動家の無責任や卑劣を仮借なく描き出す。満島真之介は巧いのだけれど、涙流すより人に聞こえる声を発するほうに注意を払ってほしいと思う場面がちらほらあり。

按摩を演じる梅沢昌代があいかわらずいい味を出している。あんなおばちゃんでも『野分』なんか読んでたのか! そして、鏡子が息抜きできて、かつ大人相手に本音をつぶやける貴重な時間を描きながら、当時の漱石作品の人気やら日本人の知的水準やらをうかがわせる一コマであった。

尾野真千子は毎回好演してきたが、今回は結婚生活も十年に入っている女の疲れや生活感をさりげなくにじませていた。修善寺の大患での、山ほどいやなところがあっても絶対に死なれたくない夫への「あなた!」も真に迫っていた。いいシーンでどうでもいいことが気になったのだが……鏡子の涙をシーツがはじいていた。撥水シーツってあのころあったのか?

文人なんて配偶者としても交際相手としてもロクなもんじゃないと悟り、堅気の名古屋人と結婚する房子は賢い。最後の手伝いをする場面の房子は匂うように美しい。嫁入りを控えた娘としての黒島結菜の演技が秀逸だったのか? それともメイクの技術によるものか? 房子は夏目家で花嫁修業をする間に、男どもを観察しただけでなく、鏡子の人となりを深く理解し、『青鞜』の思想に触れ、実に充実した四年間を過ごしたようだ。

ラストの漱石の「君はどこまでも君だね」は、房子の「女性にも個性はあります。鏡子さんを見てそれがわかりました」に対応する台詞か。山の緑に白い衣装をまとった夫婦が映える。『坂の上の雲』を彷彿させる絵作りで、柴田岳志はこの場面を一番撮りたかったのかと思うほどだ。


「くさくさしてしかたがない」なんて、ドラマでは久しぶりに聞いた言葉だ。「~してらっしゃい」や「~なさい」が、かならずしも目下相手の言葉遣いではないことを、若い世代にわかってもらえたかなぁ。このほかにも、漱石の小説に出てくるような言い回しが多々あり、耳にも楽しいドラマであった。池端氏は日本語の達人ではあるが、ずいぶん前から「お食べになる」という台詞を書くのが少々ひっかかる。


イギリスでノイローゼになって帰ってくる漱石が日本人のシンパシーを呼びやすいのにひきかえ、ドイツに行って白人相手に堂々と論戦を挑み、女泣かせて帰ってきちゃった鴎外はいまいちドラマになりにくい。数少ない鴎外関連の映像作品の一つがNHK単発ドラマ『玉と砕けず・ある森鴎外伝』(作:山下久、演出:望月良雄、制作:高橋康夫)である。この傑作を再放送するか、あるいは新作に挑むかしてもらえないものか。

オノマチはハセヒロとのかけあいだけでなく、借金を申し込みにきた中根、塩原との(ある意味)たたかいの場面に魂がこもっていてすばらしかった。身長は本人とかけはなれているにもかかわらず、当分長谷川博己以外の漱石を見ても違和感しか湧きそうにない。第4回の夫婦、親子の諍いの場面には、前回までより怖さが増していて、明治の男の不機嫌はこれくらい嫌な感じだっただろうなという説得力があった。だからこそ「うちへ帰ろう」という愛の言葉に重みが出る。
期待したより出番がすくなかったが檀蜜もよかった。斜め後ろから映されたときの、ほっそりした首のなよやかな美人ぶりときたら! 今作といい『経世済民の男高橋是清』といい、作品と共演者に恵まれているなぁ。昔の女の風情を出せる人なので、これからもNHKの文芸ドラマなどで重宝されそうだ。

明治の文人ドラマといえば硯友社は恰好な題材なので、森下佳子あたりに書いてほしい。ちょび髭生やしたハセヒロは山田美妙に似てないこともないが、演じるなら尾崎紅葉だろう。

池端ドラマのオノマチにはなんの不満もないが、そろそろまたガサツでない役が回ってこないと役柄が限定されてしまいそうで心配だ。

 

『忠臣蔵の恋~四十八人目の恋』第4回『事件』

浅野内匠頭が刃傷事件を起こして即日切腹を命じられ、きよと十郎左衛門の縁組どころではなくなる。

吉良の造形がなんとも古めかしい単なる嫌な奴だった。大事なのはヒロインの波乱に満ちた生涯なので、吉良がらみの描写はサクサク進むことになりそうだ。
内匠頭は回想以外ではもう登場なしなのか。今井翼は出番は短いながら、質実で神経質すぎるにしても家臣に慕われる殿さまを好演。このレベルで時代劇演技をやれるなら、大河に出てもおかしくないと思わされた。
それにひきかえ、阿久利から漂う"小娘感"がなんとも残念。今回などは、主君がいない状態で、正室がいかに権限を発揮すべきかを示すに絶好なエピソードだったはず。ミムラあたりがやってくれれば、説得力が出たのになぁ。
武井咲さん、表情演技がんばれ! 福士誠治はこれからもっと力量発揮の場面をもらえるのだろう。

全20回とのこと、間延びせずに最終回まで魅了してほしい。

『Nのために』一挙再放送(TBSチャンネル1)

イヤミスの大家たる湊かなえは敬遠しているのだが、映像作品『贖罪』(WOWOW黒澤清監督)には痺れた。『N』は友人が勧めていたので、CATVの放送を視聴。

のっぴきならない状況にもがきながら人を思い、ある時は黙って身を引く若者たち――号泣や絶叫に頼らずに見る者を感動させる、良質なドラマだった。節度のあるテンポや絵作りといい、あざとくない場面転換といい、要所要所で絵を止める手法といい、『名もなき毒』と『ペテロの葬列』に通じるものがある。調べたところ、演出担当の梶原あゆ子、山本剛義、音楽担当の横山克は三作に関わっていた。家入レオの『Silly』は作品に合っていたが、音楽で補わなくても十分いいシーンにまで流し過ぎなのはちょっと残念。

2014年、高級マンションで殺人事件の現場に四人の若者が集まった。うち二人はその10年前、瀬戸内海の青景島で起きた放火事件に関わりがあると疑われている。なぜ二人は両方の現場に居合わせたのか? 引退した元警官、高野が真相を突き止めるべく関係者の話を聞いて回る。若者たちは全員イニシャルがNだが、火災現場で声を失った高野の妻「なっちゃん」だってNである。きっと彼女が火災現場でなんかやらかしたか被害に遭ったかしたのだろうと思って見ていたら、予想を超える展開であった。

冒頭、ヒロインの父親が「義務と労働だけの人生はもういやだ」と言って、いきなり愛人を家に連れ込み、妻子をぼろ家に追い立てる。笑顔で妻子を追い出す杉下には狂気すら感じられるが、その気持ちはわからないでもない。そのあと主にヒロインを苦しめるのは、長いこと保護される権利を享受し浪費だけしてきた母親である。この母親がのちにまともに働き出す展開は意外だった。最後に希美と和解する場面は感動的だが、あれは原作通りなのか?

10話かけて放火事件の真相とマンション殺人事件の真相を明かしていく手際が見事で、ミステリ・ドラマとしても堪能した。野口夫妻の究極の共依存はともかく、いくら世間知らずとはいえ奈央子のものすごい勘違いにもびっくり。

高野の調査活動は、究極的には妻Nの心の解放を導き出す。彼も若者たちと同じくNのために生きる道を選択するのだ。

成瀬は日本人好みの切なさ漂う青年で、窪田正孝のはまり役。極私的には小出恵介の芝居のほうが印象的で……『吉原裏同心』はよっぽど不向きな題材だったのかと思わされた。メイン四役のうち一番割を食いやすかったのは安藤役だったはずだが、賀来賢人は日向を歩いてきたがゆえに、不本意な形で仲間から守られてしまう――それは疎外されるということでもある――役を好演していた。2004年のクリスマスイブが近づくにつれ、成瀬にある感情を抱くようになるのだが、ありきたりの憎悪や嫉妬に見せないのはむずかしかったのではないか。最終回、成瀬と安藤が対峙するさいの、ほどよい距離感や緊張感や互いに示す敬意もよかった。
榮倉奈々は予想以上に魅力的だった。ひたむきだが暑苦しくはなく、成瀬や安藤のためを思って何かを我慢する演技に妙な被害者風味や痛々しさがないのも彼女ならではか。

三浦友和は重みのある語り部だった。織本順吉演じる野原老人もN。若者たちが野口に近づいたのも、老人Nのためだった。両親に恵まれなかった希美や西崎にとって、野原はよき祖父のような存在である。彼が若者たちに慈愛を示す場面も忘れがたい。

『夏目漱石の妻』第3回『やっかいな客』

初回は流産、第2回は夫の神経衰弱と実家の零落。今回鏡子が直面したのは、かつての養子にたかりにくる塩原老人であった。

黒島結菜を初めて見たのは、鴎外の娘を演じたドキュメンタリー・ドラマだった。そのころから時代物が合う人だと思っていたが、今作でも明治の娘がぴったり。素直な声質によるナレーションが、ドラマをすこしは明るくしている。いつか大正時代のモダンガールでもやってほしい。
金之助パートは重苦しい場面が多いけれど、鏡子夫人の物忘れに文句を言うシーンなどは、長谷川博己がそこはかとなくおかしみを感じさせる芝居をしていて、くすりと笑わされる。心身の不調が始まる時の眉芸は毎度見ものである。苦しむシーンをかっこよく見せようとしないところもいい。

「新聞なんてしょせんはかわら版と同じお商売」は拍手したくなる台詞。夫の新聞社への転職にもろ手を挙げて賛成する気はないけれど、夫が強く望むなら反対はしない妻、の描写がリアルだ。

恩師との散歩中、ブルジョアプロレタリアートだとくっちゃべる意識高い系の若者をよそに、塩原から現実的な厄災がふりかかる予感におののく金之助。

お金が余っているから書生の世話をしているわけではなく、小説が当たっても質屋通いがやめられない夏目家。
花嫁修業に来ている房子にお針を教える鏡子。
子供たちの遊びや服装も含め、明治の中流家庭の暮らしぶりが丁寧に描かれる。

映像で代言人を見たのは初めてだ。オーバーアクトに辟易させられることが多い竹中直人だが、今回は節度があって心情がにじみ出るいい演技である。かつては優しい養父だったのに、今はすがるような目をしながら金之助の懐を狙う。卑屈になったり居丈高になったり、じわりじわりとかつての我が子を追い詰めていく。金に困った人間の描写が容赦ない。

金之助の兄は郵便局勤務だったのか。直矩は弟とは違って屈託のない人柄で、旦那衆と浪花節を聞きに行くなど人生を楽しんでいるもよう。「旦那衆」のゆったりとした響きがいいなぁ。五十過ぎてできたから愛情が湧かずに養子に出した末っ子を、240円で買い戻した実の父。多産多死の時代ならではの小さな悲劇である。まだ少年の金之助を連れてきた塩原が「申し訳ない」と言ったのは、家業が傾いて育てられなくなったからかと思ってしまったが、漱石年譜によれば、養父母が離縁したため実家に帰されたということらしい。金之助は本家に居場所がなく、ロンドンでも居場所がなかった。ドラマ終了までに、この人は地上に安住の場所を見いだせるのだろうか?

境内で子供たちを遊ばせる塩原を目撃する鏡子。塩原は、金之助の強情やわがままが、生来のもののようにも、部分的には養父母の甘やかしからきているかのようにも取れる説明をする。この場面、緑が美しく、葉ずれの音が耳に優しい。

雨の日に、またも塩原が金の無心に来る。柴田岳志なら夏目家に向かう男の後ろ姿を足元から映すところだが、今回は榎戸崇泰が演出担当なのでそれはなかった。しかし、全体的に格調があり、鏡子の体温が伝わってくるような撮り方は柴田演出と共通するものがある。
後妻に責めたてられて200円借りにきたと言い出す塩原。「(新聞社で)べらぼうに貰ってるな」の言い回しがいかにも明治の文芸ドラマだ。養子でなくなってからも、金之助が家に上がり込んで羊羹や肉を要求し、友人と酒盛りをしたとの事実を突きつける塩原。金之助にとってきつい一撃だ。ストレスのあまり胃痛で倒れる金之助。仮病じゃないかとそしる塩原。
「よくご覧ください。これが仮病? よくご覧なさい!」
「鏡子、もういい(よく聞き取れず)。この人はいい父親だったんだ。たった一人の大事な父親だったんだ」
過去形で元養父をかばう金之助。三人が三人とも追い詰められた迫真の一場である。

「たがいに不実不人情にならぬように――うちの人は人情はありますよ。あなたはどうなのですか!?」
鏡子は三年がかりでためた100円を突きつけ、質札を見せ、説得力に満ちた演説によって塩原から念書を取り戻す。鏡子さん、平成に転生して外務省に入ってほしいぞ!
しかし夫は妻の手柄を褒めはしない。
「これでまた一人、身内が減った。身内というのはやっかいだが、自分が生きてきた証拠のようなものだからね」「残念だ。おれは君ほど強くはない」
出産を控えた鏡子にとって、大事なのは過去よりもこれからの生活である。さみしさとあきらめ、そして少なくとも塩原の催促からは逃げ切ったという安堵。悲喜こもごもの「あーあ」である。

塩原との決別シーンでは控えめでやや突き放すようなBGMが効いていたが、荒井伴男の登場場面には明るいワルツ風の曲が流れ、画面に新しい風が吹く。
労働争議や治安警察法施行が簡潔に紹介される。これは家庭の中だけを描くホームドラマではない。

実験的な作品と称される『坑夫』を読みたくなった。

『狙撃』

原作未読。警察機構の改革ネタといい、公安の陰謀ネタといい、手あかがつきすぎではないのか。チェック機能が働かない第四権力がこんなドラマ作って悦に入るのは笑止。演出でおもしろくなっていればテーマなんかどうでもいいし、ヒロインと花村や成瀬の交流には惹きつけられるものもあったが、真武の神出鬼没がオカルトじみているのと、最後の雑な四連殺には当惑した。

いきなり不自然な大人数一斉ダッシュをやらかすので、てっきり鶴橋康夫が演出と思ったが、エンドクレジットの文字は"秋山純"。もしかして鶴橋氏の弟子なのか。

佐藤の浩ちゃんてば、大事なシーンで何度も髪をかき上げるなよ。屋上で予想外の風が吹いたのなら、扇風機でなんとかできたのでは?

上月のその後が容易に想像できる終わり方だったが……狙撃事件の真実暴露は、大きなものを犠牲にしてまでやる価値があるのか?? と思ってしまうダメな視聴者である。

最近では人殺しより目の敵にされる喫煙シーンを主演女優にやらせていた。いちおう気骨ある演出と褒めなければいけないのかな。なんだか最近オノマチとハセヒロばかり見ている気がする。今回は『外事警察』の二番煎じの声もあって、それは否定できないが、とりあえず仕事に生きざるをえない女がはまるのだから、尾野真千子は大事にしてもらいたい。彼女が出演する民放ドラマで視聴したくなるものが滅多にない。
鈴木麻衣花は、ふんわりした見た目ながら芯がある役を好演。

『夏目漱石の妻』第2回『吾輩は猫である』

前回は"動物的なオノマチ"を前面に出し過ぎていて、仮にも深窓のお嬢さん出の妻という雰囲気が足りない印象があった。第2回はカメラも引き気味だったし、尾野真千子も引くべきところは引いた演技で、自分にとっては納得のできる鏡子像になっていた。

シューベルトソナタばかり印象に残った前回とことなり、今回は清水靖晃のBGMがかなり効いていた。もっとも悲惨な場面でも彼の音楽が画面を過剰にべたつかないようにしていたし、金之助みずから中根家に持って行って持ち帰った長たらしい離縁状が出てくる場面では若干滑稽さも醸し出していた。

イギリス留学で神経をやられて帰ってきた金之助。地上波9時としては幼児ヘの暴力表現にも限度があるので、子供より妻と女中に対する狼藉の比重をふやし、しかも打擲より襟首をつかんでひきずる――それだって、酷いものだが――といった、演出上の工夫が見られた。彼の狂気が最大に発揮されたふるまいは、ゴジラが通過したような書斎の惨状を映すことで、視聴者の想像に任せている。神経衰弱が最悪だった時期、女中が何回入れ替わったのか訊いてみたいものだ。

心を病んで帰ってきた男の表情作りやら、心身ともに苦しいなかでも中根家への気遣いを示すさまやら、長谷川博己にとってはお手の物の芝居なのか。今後この人に演じてもらいたい作家の名前があれこれ浮かんでくる。妻の呼称が「おまえ」ではなく「きみ」なのは、"どれだけ荒れても根はインテリ"という人物像を崩さないため?
猫を追って四足状態で台所に入ってくる金之助。しかし彼が台所から去ると、女二人は何事もなかったかのように作業を続行する。男の奇矯な行動に動じなくなっていく過程が想像される、ユーモラスな場面でもある。

芸達者ぞろいのキャストだが、今回は芝居にかぎっていうと婿に保証人になってほしくて来訪した父と、それを断る娘の対面シーンが圧巻だった。
尾羽打ち枯らした元貴族院書記官長。ダンディー高山がこんな味のある演技をできるようになるとは感慨深い。落魄する前はけっしてしなかったであろう上目遣いで娘を見る。金之助の辛さを理解して、婿が作った「うつむいて 膝に抱きつく 寒さかな」を引用する。最後はなけなしの自尊心をもって紳士的に引き下がる。
自分と同じくらい夫も苦しいことを重々承知している鏡子を演じる尾野万千子にも心打たれた。文学的なセンスはなく抽象的な思考も苦手だが、夫の葛藤を肌で感じ取れる妻の語り口――池端俊策の言葉の選び方がすばらしい。
借金1200円は保証人になってはいけない額だと示したあと、400円かきあつめてくる金之助を見せるので、額の重みが伝わってくる。たびたび性格破綻者であるかのように見える金之助が、家族の愛に恵まれなかったにもかかわらず、身内のためにできる範囲で金策の努力をする男であることも伝わってくる。

警官がやってきた時、『吾輩』よろしく「わたしが伏せったのはあなたよりすこし前ですわ」「ぼくが寝たのはきみよりあとだ」と使えない証言をするかと思ったら、そんな台詞はなかった。

黒猫無双で、暗かった夏目家に薄日が差し始めるエンディング。来週は一難去ってまた一難のようだ。全四話のうち半分終わってしまったので、心して見なければ。